第四章 源典侍の物語 老女との好色事件
2. 源氏、源典侍と和歌を詠み交わす
本文 |
現代語訳 |
主上の御梳櫛にさぶらひけるを、果てにければ、主上は御袿の人召して出でさせたまひぬるほどに、また人もなくて、この内侍常よりもきよげに、様体、頭つきなまめきて、装束、ありさま、いとはなやかに好ましげに見ゆるを、「さも古りがたうも」と、心づきなく見たまふものから、「いかが思ふらむ」と、さすがに過ぐしがたくて、裳の裾を引きおどろかしたまへれば、かはぼりのえならず画きたるを、さし隠して見返りたるまみ、いたう見延べたれど、目皮らいたく黒み落ち入りて、いみじうはつれそそけたり。 |
お上の御髪梳りに伺候したが、終わったので、お上は御袿係の者をお召しになってお出になりあそばした後に、他に人もなくて、この典侍がいつもよりこざっぱりとして、姿形、髪の具合が艶っぽくて、衣装や、着こなしも、とても派手に洒落て見えるのを、「何とも若づくりな」と、苦々しく御覧になる一方で、「どんな気でいるのか」と、やはり見過ごしがたくて、裳の裾を引っ張って注意をお引きになると、夏扇に派手な絵の描いてあるのを、顔を隠して振り返ったまなざし、ひどく流し目を使っているが、目の皮がげっそり黒く落ち込んで、肉が削げ落ちてたるんでいる。 |
「似つかはしからぬ扇のさまかな」と見たまひて、わが持たまへるに、さしかへて見たまへば、赤き紙の、うつるばかり色深きに、木高き森の画を塗り隠したり。片つ方に、手はいとさだ過ぎたれど、よしなからず、「森の下草老いぬれば」など書きすさびたるを、「ことしもあれ、うたての心ばへや」と笑まれながら、 「森こそ夏の、と見ゆめる」 とて、何くれとのたまふも、似げなく、人や見つけむと苦しきを、女はさも思ひたらず、 |
「似合わない派手な扇だな」と御覧になって、ご自分のお持ちのと取り替えて御覧になると、赤い紙で顔に照り返すような色合いで、木高い森の絵を金泥で塗りつぶしてある。その端の方に、筆跡はとても古めかしいが、風情がなくもなく、「森の下草が老いてしまったので」などと書き流してあるのを、「他に書くことも他にあろうに、嫌らしい趣向だ」と微笑まれて、 「森こそ夏の、といったようですね」 と言って、いろいろとおっしゃるのも、不釣り合いで、人が見つけるかと気になるが、女はそうは思っていない。 |
「君し来ば手なれの駒に刈り飼はむ 盛り過ぎたる下葉なりとも」 |
「あなたがいらしたならば良く馴れた馬に秣を刈ってやりましょう 盛りの過ぎた下草であっても」 |
と言ふさま、こよなく色めきたり。 |
と詠み出す様子、この上なく色気たっぷりである。 |
「笹分けば人やとがめむいつとなく 駒なつくめる森の木隠れ わづらはしさに」 |
「笹を分けて入って行ったら人が注意しましょう いつでも馬を懐けている森の木陰では 厄介なことだからね」 |
とて、立ちたまふを、ひかへて、 「まだかかるものをこそ思ひはべらね。今さらなる、身の恥になむ」 とて泣くさま、いといみじ。 「いま、聞こえむ。思ひながらぞや」 とて、引き放ちて出でたまふを、せめておよびて、「橋柱」と怨みかくるを、主上は御袿果てて、御障子より覗かせたまひけり。「似つかはしからぬあはひかな」と、いとをかしう思されて、 「好き心なしと、常にもて悩むめるを、さはいへど、過ぐさざりけるは」 とて、笑はせたまへば、内侍は、なままばゆけれど、憎からぬ人ゆゑは、濡衣をだに着まほしがるたぐひもあなればにや、いたうもあらがひきこえさせず。 |
と言って、お立ちになるのを、袖を取って、 「まだこんなつらい思いをしたことはございません。今になって、身の恥に」 と言って泣き出す様子、とても大げさである。 「そのうち、お便りを差し上げましょう。心にかけていますよ」 と言って、振り切ってお出になるのを、懸命に取りすがって、「橋柱」と恨み言を言うのを、お上はお召し替えが済んで、御障子の隙間から御覧あそばしたのであった。「似つかわしくない仲だな」と、とてもおかしく思し召されて、 「好色心がないなどと、いつも困っているようだが、そうは言うものの、見過ごさなかったのだな」 と言って、お笑いあそばすので、典侍は、ばつが悪い気がするが、恋しい人のためなら、濡衣をさえ着たがる類もいるそうだからか、大して弁解も申し上げない。 |
人びとも、「思ひのほかなることかな」と、扱ふめるを、頭中将、聞きつけて、「至らぬ隈なき心にて、まだ思ひ寄らざりけるよ」と思ふに、尽きせぬ好み心も見まほしうなりにければ、語らひつきにけり。 この君も、人よりはいとことなるを、「かのつれなき人の御慰めに」と思ひつれど、見まほしきは、限りありけるをとや。うたての好みや。 |
女房たちも、「意外なことだわ」と、取り沙汰するらしいのを、頭中将、聞きつけて、「知らないことのないこのわたしが、まだ気がつかなかったことよ」と思うと、いくつになっても止まない好色心を見たく思って、言い寄ったのであった。 この君も、人よりは素晴らしいので、「あのつれない方の気晴らしに」と思ったが、本当に逢いたい人は、お一人であったとか。大変な選り好みだことよ。 |