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蓬生

第一章 末摘花の物語 光る源氏の須磨明石離京時代

5. 乳母子の侍従と叔母

 

本文

現代語訳

 侍従などいひし御乳母子のみこそ、年ごろあくがれ果てぬ者にてさぶらひつれど、通ひ参りし斎院亡せたまひなどして、いと堪へがたく心細きに、この姫君の母北の方のはらから、世におちぶれて受領の北の方になりたまへるありけり。

 侍従などと言った御乳母子だけが、長年お暇も取ろうともしない者としてお仕えしていたが、お出入りしていた斎院がお亡くなりなったりなどして、まことに生活が苦しく心細い気がしていたところ、この姫君の母北の方の姉妹で、落ちぶれて受領の北の方におなりになっていた人がいた。

 娘どもかしづきて、よろしき若人どもも、「むげに知らぬ所よりは、親どももまうで通ひしを」と思ひて、時々行き通ふ。この姫君は、かく人疎き御癖なれば、むつましくも言ひ通ひたまはず。

 娘たちを大切にしていて、見苦しくない若い女房たちも、「全然知らない家よりは、親たちが出入りしていた所を」と思って、時々出入りしている。この姫君は、このように人見知りするご性格なので、親しくお付き合いなさらない。

 「おのれをばおとしめたまひて、面伏せに思したりしかば、姫君の御ありさまの心苦しげなるも、え訪らひきこえず」

 「わたしを軽蔑なさって、不名誉にお思いであったから、姫君のご生活が困窮しているようなのも、お見舞い申し上げられないのです」

 など、なま憎げなる言葉ども言ひ聞かせつつ、時々聞こえけり。

  もとよりありつきたるさやうの並々の人は、なかなかよき人の真似に心をつくろひ、思ひ上がるも多かるを、やむごとなき筋ながらも、かうまで落つべき宿世ありければにや、心すこしなほなほしき御叔母にぞありける。

 などと、こ憎らしい言葉を言って聞かせては、時々手紙を差し上げた。

  もともと生まれついたそのような並みの人は、かえって高貴な人の真似をすることに神経をつかって、お高くとまっている人も多くいるが、高貴なお血筋ながらも、こうまで落ちぶれる運命だったからであろうか、心が少し卑しい叔母だったのであった。

 「わがかく劣りのさまにて、あなづらはしく思はれたりしを、いかで、かかる世の末に、この君を、わが娘どもの使人になしてしがな。心ばせなどの古びたる方こそあれ、いとうしろやすき後見ならむ」と思ひて、

 「わたしがこのように落ちぶれたさまを、軽蔑されていたのだから、何とかして、このような宮家の衰退した折に、この姫君を、自分の娘たちの召し使いにしたいものだ。考え方の古風なところがあるが、それはいかにも安心できる世話役といえよう」と思って、

 「時々ここに渡らせたまひて。御琴の音もうけたまはらまほしがる人なむはべる」

 「時々こちらにお出あそばして。お琴の音を聴きたがっている人がおります」

 と聞こえけり。この侍従も、常に言ひもよほせど、人にいどむ心にはあらで、ただこちたき御ものづつみなれば、さもむつびたまはぬを、ねたしとなむ思ひける。

 と申し上げた。この侍従も、いつもお勧めするが、人に張り合う気持ちからではないが、ただ大変なお引っ込み思案なので、そのように親しくなさらないのを、憎らしく思うのであった。

 かかるほどに、かの家主人、大弐になりぬ。娘どもあるべきさまに見置きて、下りなむとす。この君を、なほも誘はむの心深くて、

 こうしているうちに、あの叔母の夫が、大宰大弍になった。娘たちをしかるべく縁づけて、筑紫に下向しようとする。この姫君を、なおも誘おうという執念が深くて、

 「はるかに、かくまかりなむとするに、心細き御ありさまの、常にしも訪らひきこえねど、近き頼みはべりつるほどこそあれ、いとあはれにうしろめたくなむ」

 「遥か遠方に、このように赴任することになりましたが、心細いご様子が、つねにお見舞い申し上げていたわけではありませんでしたが、近くにいるという安心感があった間はともかく、とても気の毒で心配でなりません」

 など、言よがるを、さらに受け引きたまはねば、

  「あな、憎。ことことしや。心一つに思し上がるとも、さる薮原に年経たまふ人を、大将殿も、やむごとなくしも思ひきこえたまはじ」

  など、怨じうけひけり。

 などと、言葉巧みに言うが、全くご承知なさらないので、

  「まあ、憎らしい。ご大層なこと。自分一人お高くとまっていても、あのような薮原に過ごしていらっしゃる人を、大将殿も、大事にお思い申し上げないでしょう」

  などと、恨んだり呪ったりしているのであった。


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