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薄雲

第五章 光る源氏の物語 春秋優劣論と六条院造営の計画

3. 女御に春秋の好みを問う

 

本文

現代語訳

 「はかばかしき方の望みはさるものにて、年のうち行き交はる時々の花紅葉、空のけしきにつけても、心の行くこともしはべりにしがな。春の花の林、秋の野の盛りを、とりどりに人争ひはべりける、そのころの、げにと心寄るばかりあらはなる定めこそはべらざなれ。

 「頼もしい方面の望みはそれとして、一年の間の移り変わる四季折々の花や紅葉、空の様子につけても、心のゆく楽しみをしてみたいものですね。春の花の林や、秋の野の盛りについて、それぞれに論争しておりましたが、その季節の、まことにそのとおりと納得できるようなはっきりとした判断はないようでございます。

 唐土には、春の花の錦に如くものなしと言ひはべめり。大和言の葉には、秋のあはれを取り立てて思へる。いづれも時々につけて見たまふに、目移りて、えこそ花鳥の色をも音をもわきまへはべらね。

 唐土では、春の花の錦に匹敵するものはないと言っているようでございます。和歌では、秋のしみじみとした情緒を格別にすぐれたものとしています。どちらも季節折々につけて見ておりますと、目移りして、花や鳥の色彩や音色の美しさを判別することができません。

 狭き垣根のうちなりとも、その折の心見知るばかり、春の花の木をも植ゑわたし、秋の草をも堀り移して、いたづらなる野辺の虫をも棲ませて、人に御覧ぜさせむと思ひたまふるを、いづ方にか御心寄せはべるべからむ」

 狭い邸の中だけでも、その季節の情趣が分かる程度に、春の花の木を一面に植え、秋の草をも移植して、つまらない野辺の虫たちを棲ませて、皆様にも御覧に入れようと存じておりますが、どちらをお好きでしょうか」

 と聞こえたまふに、いと聞こえにくきことと思せど、むげに絶えて御応へ聞こえたまはざらむもうたてあれば、

 と申し上げなさると、とてもお答え申しにくいこととお思いになるが、まるっきり何ともお答え申し上げなさらないのも具合が悪いので、

 「まして、いかが思ひ分きはべらむ。げに、いつとなきなかに、あやしと聞きし夕べこそ、はかなう消えたまひにし露のよすがにも、思ひたまへられぬべけれ」

 「まして、どうして優劣を弁えることができましょうか。おっしゃるとおり、どちらも素晴らしいですが、いつとても恋しくないことはない中で、不思議にと聞いた秋の夕べが、はかなくお亡くなりになった露の縁につけて、自然と好ましく存じられます」

 と、しどけなげにのたまひ消つも、いとらうたげなるに、え忍びたまはで、

 と、とりつくろわないようにおっしゃって言いさしなさるのが、実にかわいらしいので、堪えることがおできになれず、

 「君もさはあはれを交はせ人知れず

   わが身にしむる秋の夕風

  忍びがたき折々もはべりかし」

 「あなたもそれでは情趣を交わしてください、誰にも知られず

   自分ひとりでしみじみと身にしみて感じている秋の夕風ですから

  我慢できないことも度々ございますよ」

 と聞こえたまふに、「いづこの御応へかはあらむ。心得ず」と思したる御けしきなり。このついでに、え籠めたまはで、恨みきこえたまふことどもあるべし。

 と申し上げなさると、「どのようなお返事ができよう、分かりません」とお思いのご様子である。この機会に、抑えきれずに、お恨み申し上げなさることがあるにちがいない。

 今すこし、ひがこともしたまひつべけれども、いとうたてと思いたるも、ことわりに、わが御心も、「若々しうけしからず」と思し返して、うち嘆きたまへるさまの、もの深うなまめかしきも、心づきなうぞ思しなりぬる。

 もう少しで、間違いもしでかしなさるところであるが、とてもいやだとお思いでいるのも、もっともなので、またご自分でも「若々しく良くないことだ」とお思い返しなさって、お嘆きになっていらっしゃる様子が、思慮深く優美なのも、気にくわなくお思いになった。

 やをらづつひき入りたまひぬるけしきなれば、

 少しずつ奥の方へお入りになって行く様子なので、

 「あさましうも、疎ませたまひぬるかな。まことに心深き人は、かくこそあらざなれ。よし、今よりは、憎ませたまふなよ。つらからむ」

 「驚くほどお嫌いになるのですね。ほんとうに情愛の深い人は、このようにはしないものと言います。よし、今からは、お憎みにならないでください。つらいことでしょう」

 とて、渡りたまひぬ。

 とおっしゃって、お渡りになった。

 うちしめりたる御匂ひのとまりたるさへ、疎ましく思さる。人びと、御格子など参りて、

 しっとりとした香が残っているのまでが、不愉快にお思いになる。女房たち、御格子などを下ろして、

 「この御茵の移り香、言ひ知らぬものかな」

 「この御褥の移り香は、何とも言えないですね」

 「いかでかく取り集め、柳の枝に咲かせたる御ありさまならむ」

 「どうしてこう、何から何まで柳の枝に花を咲かせたようなご様子なのでしょう」

 「ゆゆしう」

 「気味が悪いまでに」

 と聞こえあへり。

 とお噂申し上げていた。



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