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薄雲

第五章 光る源氏の物語 春秋優劣論と六条院造営の計画

5. 源氏、大堰の明石を訪う

 

本文

現代語訳

 「山里の人も、いかに」など、絶えず思しやれど、所狭さのみまさる御身にて、渡りたまふこと、いとかたし。

 「山里の人も、どうしているだろうか」などと、絶えず案じていらっしゃるが、窮屈さばかりが増していくお身の上で、お出かけになること、まことにむずかしい。

 「世の中をあぢきなく憂しと思ひ知るけしき、などかさしも思ふべき。心やすく立ち出でて、おほぞうの住まひはせじと思へる」を、「おほけなし」とは思すものから、いとほしくて、例の、不断の御念仏にことつけて渡りたまへり。

 「夫婦仲をつまらなくつらいと思っている様子だが、どうしてそのように考える必要があろう。気安く出て来て、並々の生活はするまいと思っている」が、「思い上がった考えだ」とはお思いになる一方で、不憫に思って、いつもの、不断の御念仏にかこつけて、お出向きになった。

 住み馴るるままに、いと心すごげなる所のさまに、いと深からざらむことにてだに、あはれ添ひぬべし。まして、見たてまつるにつけても、つらかりける御契りの、さすがに、浅からぬを思ふに、なかなかにて慰めがたきけしきなれば、こしらへかねたまふ。

 住み馴れていくにしたがって、とてももの寂しい場所の様子なので、たいして深い事情がない人でさえ、きっと悲哀を増すであろう。まして、お逢い申し上げるにつけても、つらかった宿縁の、とはいえ、浅くないのを思うと、かえって慰めがたい様子なので、なだめかねなさる。

 いと木繁き中より、篝火どもの影の、遣水の螢に見えまがふもをかし。

 たいそう茂った木立の間から、いくつもの篝火の光が、遣水の上を飛び交う螢のように見えるのも趣深く感じられる。

 「かかる住まひにしほじまざらましかば、めづらかにおぼえまし」

 「このような生活に馴れていなかったら、さぞ珍しく思えたでしょうに」

 とのたまふに、

 とおっしゃると、

 「漁りせし影忘られぬ篝火は

   身の浮舟や慕ひ来にけむ

  思ひこそ、まがへられはべれ」

 「あの明石の浦の漁り火が思い出されますのは

  わが身の憂さを追ってここまでやって来たのでしょうか

  間違われそうでございます」

 と聞こゆれば、

 と申し上げると、

 「浅からぬしたの思ひを知らねばや

   なほ篝火の影は騒げる

  誰れ憂きもの」

 「わたしの深い気持ちを御存知ないからでしょうか

  今でも篝火のようにゆらゆらと心が揺れ動くのでしょう

  誰が憂きものと、させたでしょう」

 と、おし返し恨みたまへる。

 と、逆にお恨みになっていらっしゃる。

 おほかたもの静かに思さるるころなれば、尊きことどもに御心とまりて、例よりは日ごろ経たまふにや、すこし思ひ紛れけむ、とぞ。

 だいたいに自然と物静かな思いにおなりの時候なので、尊い仏事にご熱心になって、いつもよりは長くご滞在になったのであろうか、少し物思いも慰められたろう、と言うことである。



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