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朝顔

第一章 朝顔姫君の物語 昔の恋の再燃

2. 朝顔姫君と対話

 

本文

現代語訳

 あなたの御前を見やりたまへば、枯れ枯れなる前栽の心ばへもことに見渡されて、のどやかに眺めたまふらむ御ありさま、容貌も、いとゆかしくあはれにて、え念じたまはで、

 あちらのお前の方にお目をやりなさると、うら枯れた前栽の風情も格別に見渡されて、のんびりと物思いに耽っていらっしゃるらしいご様子、ご器量も、たいそうお目にかかりたくしみじみと思われて、我慢することがおできになれず、

 「かくさぶらひたるついでを過ぐしはべらむは、心ざしなきやうなるを、あなたの御訪らひ聞こゆべかりけり」

 「このようにお伺いした機会を逃しては、無愛想になりますから、あちらへのお見舞いも申し上げなくてはなりませんでした」

 とて、やがて簀子より渡りたまふ。

 と言って、そのまま簀子からお渡りになる。

 暗うなりたるほどなれど、鈍色の御簾に、黒き御几帳の透影あはれに、追風なまめかしく吹き通し、けはひあらまほし。簀子はかたはらいたければ、南の廂に入れたてまつる。

 暗くなってきた時分であるが、鈍色の御簾に、黒い御几帳の透き影がしみじみと見え、追い風が優美に吹き通して、風情は申し分ない。簀子では不都合なので、南の廂の間にお入れ申し上げる。

 宣旨、対面して、御消息は聞こゆ。

 宣旨が、対面して、ご挨拶はお伝え申し上げる。

 「今さらに、若々しき心地する御簾の前かな。神さびにける年月の労数へられはべるに、今は内外も許させたまひてむとぞ頼みはべりける」

  「今さら、若者扱いの感じがします御簾の前ですね。神さびるほど古い年月の年功も数えられますので、今は御簾の内への出入りもお許しいただけるものと期待しておりましたが」

 とて、飽かず思したり。

 と言って、物足りなくお思いでいらっしゃる。

 「ありし世は皆夢に見なして、今なむ、覚めてはかなきにやと、思ひたまへ定めがたくはべるに、労などは、静かにやと定めきこえさすべうはべらむ」

 「今までのことはみな夢と思い、今、夢から覚めてはかない気がするのかと、はっきりと分別しかねておりますが、年功などは、静かに考えさせていただきましょう」

 と、聞こえ出だしたまへり。「げにこそ定めがたき世なれ」と、はかなきことにつけても思し続けらる。

 とお答え申し上げさせなさった。「なるほど無常な世である」と、ちょっとしたことにつけても自然とお思い続けられる。

 「人知れず神の許しを待ちし間に

   ここらつれなき世を過ぐすかな

 「誰にも知られず神の許しを待っていた間に

   長年つらい世を過ごしてきたことよ

 今は、何のいさめにか、かこたせたまはむとすらむ。なべて、世にわづらはしきことさへはべりしのち、さまざまに思ひたまへ集めしかな。いかで片端をだに」

 今は、どのような戒めにか、かこつけなさろうとするのでしょう。総じて、世の中に厄介なことまでがございました後、いろいろとつらい思いをするところがございました。せめてその一部なりとも」

 と、あながちに聞こえたまふ、御用意なども、昔よりも今すこしなまめかしきけさへ添ひたまひにけり。さるは、いといたう過ぐしたまへど、御位のほどには合はざめり。

 と、たって申し上げなさる、そのお心づかいなども、昔よりもう一段と優美さまでが増していらっしゃった。その一方で、とてもたいそうお年も召していらっしゃるが、ご身分には相応しくないようである。

 「なべて世のあはればかりを問ふからに

   誓ひしことと神やいさめむ」

 「一通りのお見舞いの挨拶をするだけでも

   誓ったことに背くと神が戒めるでしょう」

 とあれば、

  とあるので、

 「あな、心憂。その世の罪は、みな科戸の風にたぐへてき」

 「ああ、情けない。あの当時の罪は、みな科戸の風にまかせて吹き払ってしまったのに」

 とのたまふ愛敬も、こよなし。

 とおっしゃる魅力も、この上ない。

 「みそぎを、神は、いかがはべりけむ」

 「その罪を払う禊を、神は、どのようにお聞き届けたのでございましょうか」

 など、はかなきことを聞こゆるも、まめやかには、いとかたはらいたし。世づかぬ御ありさまは、年月に添へても、もの深くのみ引き入りたまひて、え聞こえたまはぬを、見たてまつり悩めり。

 などと、ちょっとしたことを申し上げるのも、まじめな話、とても気が気でない。結婚しようとなさらないご態度は、年月とともに強く、ますます引っ込み思案になりなさって、お返事もなさらないのを、困ったことと拝するようである。

 「好き好きしきやうになりぬるを」

 「好色めいたふうになってしまって」

 など、浅はかならずうち嘆きて立ちたまふ。

 などと、深く嘆息してお立ちになる。

 「齢の積もりには、面なくこそなるわざなりけれ。世に知らぬやつれを、今ぞ、とだに聞こえさすべくやは、もてなしたまひける」

 「年をとると、臆面もなくなるものですね。世に類ないやつれた姿を、この今は、と御覧くださいとだけでも申し上げられるほどにも、扱って下さったでしょうか」

 とて、出でたまふ名残、所狭きまで、例の聞こえあへり。

 と言って、お出になった後は、うるさいまでに、例によってお噂申し上げていた。

 おほかたの、空もをかしきほどに、木の葉の音なひにつけても、過ぎにしもののあはれとり返しつつ、その折々、をかしくもあはれにも、深く見えたまひし御心ばへなども、思ひ出できこえさす。

 ただでさえも、空は風情があるころなので、木の葉の散る音につけても、過ぎ去った過去のしみじみとした情感が甦ってきて、その当時の、嬉しかったり悲しかったりにつけ、深くお見えになったお気持ちのほどを、お思い出し申し上げなさる。



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