第二章 夕霧の物語 光る源氏の子息教育の物語
2. 大学寮入学の準備
本文 |
現代語訳 |
字つくることは、東の院にてしたまふ。東の対をしつらはれたり。上達部、殿上人、珍しくいぶかしきことにして、我も我もと集ひ参りたまへり。博士どももなかなか臆しぬべし。 |
字をつける儀式は、東の院でなさる。東の対を準備なさった。上達部、殿上人、めったにないことで見たいものだと思って、我も我もと参集なさった。博士たちもかえって気後れしてしまいそうである。 |
「憚るところなく、例あらむにまかせて、なだむることなく、厳しう行なへ」 |
「遠慮することなく、慣例のとおりに従って、手加減せずに、厳格に行いなさい」 |
と仰せたまへば、しひてつれなく思ひなして、家より他に求めたる装束どもの、うちあはず、かたくなしき姿などをも恥なく、面もち、声づかひ、むべむべしくもてなしつつ、座に着き並びたる作法よりはじめ、見も知らぬさまどもなり。 |
とお命じになると、無理に平静をよそおって、他人の家から調達した衣装類が、身につかず、不恰好な姿などにもかまいなく、表情、声づかいが、もっともらしくしては、席について並んでいる作法をはじめとして、見たこともない様子である。 |
若き君達は、え堪へずほほ笑まれぬ。さるは、もの笑ひなどすまじく、過ぐしつつ静まれる限りをと、選り出だして、瓶子なども取らせたまへるに、筋異なりけるまじらひにて、右大将、民部卿などの、おほなおほな土器とりたまへるを、あさましく咎め出でつつおろす。 |
若い君達は、我慢しきれず笑ってしまった。一方では、笑ったりなどしないような、年もいった落ち着いた人だけをと、選び出して、お酌などもおさせになるが、いつもと違った席なので、右大将や、民部卿などが、一所懸命に杯をお持ちになっているのを、あきれるばかり文句を言い言い叱りつける。 |
「おほし、垣下あるじ、はなはだ非常にはべりたうぶ。かくばかりのしるしとあるなにがしを知らずしてや、朝廷には仕うまつりたうぶ。はなはだをこなり」 |
「おおよそ、宴席の相伴役は、はなはだ不作法でござる。これほど著名な誰それを知らなくて、朝廷にはお仕えしている。はなはだおろかである」 |
など言ふに、人びと皆ほころびて笑ひぬれば、また、 |
などと言うと、人々がみな堪えきれず笑ってしまったので、再び、 |
「鳴り高し。鳴り止まむ。はなはだ非常なり。座を引きて立ちたうびなむ」 |
「うるさい。お静かに。はなはだ不作法である。退席していただきましょう」 |
など、おどし言ふも、いとをかし。 |
などと、脅して言うのも、まことにおかしい。 |
見ならひたまはぬ人びとは、珍しく興ありと思ひ、この道より出で立ちたまへる上達部などは、したり顔にうちほほ笑みなどしつつ、かかる方ざまを思し好みて、心ざしたまふがめでたきことと、いとど限りなく思ひきこえたまへり。 |
見慣れていらっしゃらない方々は、珍しく興味深いことと思い、この大学寮ご出身の上達部などは、得意顔に微笑みながら、このような道をご愛好されて、大学に入学させなさったのが結構なことだと、ますますこのうえなく敬服申し上げていらっしゃった。 |
いささかもの言ふをも制す。無礼げなりとても咎む。かしかましうののしりをる顔どもも、夜に入りては、なかなか今すこし掲焉なる火影に、猿楽がましくわびしげに、人悪げなるなど、さまざまに、げにいとなべてならず、さまことなるわざなりけり。 |
少し私語を言っても制止する。無礼な態度であると言っても叱る。騒がしく叱っている博士たちの顔が、夜に入ってからは、かえって一段と明るくなった燈火の中で、滑稽じみて貧相で、不体裁な様子などが、何から何まで、なるほど実に普通でなく、変わった様子であった。 |
大臣は、 |
大臣は、 |
「いとあざれ、かたくななる身にて、けうさうしまどはかされなむ」 |
「とてもだらしなく、頑固な者なので、やかましく叱られてまごつくだろう」 |
とのたまひて、御簾のうちに隠れてぞ御覧じける。 |
とおっしゃって、御簾の内に隠れて御覧になっていたのであった。 |
数定まれる座に着きあまりて、帰りまかづる大学の衆どもあるを聞こしめして、釣殿の方に召しとどめて、ことに物など賜はせけり。 |
用意された席が足りなくて、帰ろうとする大学寮の学生たちがいるのをお聞きになって、釣殿の方にお呼び止めになって、特別に賜物をなさった。 |