第三章 玉鬘の物語 玉鬘、右近と椿市で邂逅
4. 右近、玉鬘に再会す
本文 |
現代語訳 |
からうして、 |
やっとして、 |
「おぼえずこそはべれ。筑紫の国に、二十年ばかり経にける下衆の身を、知らせたまふべき京人よ。人違へにやはべらむ」 |
「身に覚えのないことです。筑紫の国に、二十年ほど過ごした下衆の身を、ご存知の京の人がいようとは。人違いでございましょう」 |
とて、寄り来たり。田舎びたる掻練に衣など着て、いといたう太りにけり。わが齢もいとどおぼえて恥づかしけれど、 |
と言って、近寄って来た。田舎者めいた掻練の上に衣などを着て、とてもたいそう太っていた。自分の年もますます思い知らされて、恥ずかしかったが、 |
「なほ、さし覗け。われをば見知りたりや」 |
「もっとよく、覗いてみなさい。私を知っていませんか」 |
とて、顔さし出でたり。この女の手を打ちて、 |
と言って、顔を差し出した。この女は手を打って、 |
「あが御許にこそおはしましけれ。あな、うれしともうれし。いづくより参りたまひたるぞ。上はおはしますや」 |
「あなた様でいらしたのですね。ああ、何とも嬉しいことよ。どこから参りなさったのですか。ご主人様はいらっしゃいますか」 |
と、いとおどろおどろしく泣く。若き者にて見なれし世を思ひ出づるに、隔て来にける年月数へられて、いとあはれなり。 |
と言って、とてもおおげさに泣く。まだ若いころを見慣れていたのを思い出すと、今まで過ぎてきた年月の長さが数えられて、とても感慨深いものがある。 |
「まづ、おとどはおはすや。若君は、いかがなりたまひにし。あてきと聞こえしは」 |
「まずは、乳母殿はいらっしゃいますか。若君は、どうおなりになりましたか。あてきと言った人は」 |
とて、君の御ことは、言ひ出でず。 |
と言って、ご主人のお身の上のことは、言い出さない。 |
「皆おはします。姫君も大人になりておはします。まづ、おとどに、かくなむと聞こえむ」 |
「皆さんいらっしゃいます。姫君も大きくおなりです。まずは、乳母殿に、これこれと申し上げましょう」 |
とて入りぬ。 皆、驚きて、 |
と言って入って行った。 皆、驚いて、 |
「夢の心地もするかな」 「いとつらく、言はむかたなく思ひきこゆる人に、対面しぬべきことよ」 |
「夢のような心地がしますね」 「とても辛く何とも言いようのないとお思い申していた人に、とうとう逢えるのだなんて」 |
とて、この隔てに寄り来たり。気遠く隔てつる屏風だつもの、名残なくおし開けて、まづ言ひやるべき方なく泣き交はす。老い人は、ただ、 |
と言って、この中仕切りに近寄って来た。よそよそしく隔てていた屏風のような物を、すっかり払い除けて、何とも言葉にも出されず、お互いに泣き合う。年老いた乳母が、ほんのわずかに、 |
「わが君は、いかがなりたまひにし。ここらの年ごろ、夢にてもおはしまさむ所を見むと、大願を立つれど、遥かなる世界にて、風の音にてもえ聞き伝へたてまつらぬを、いみじく悲しと思ふに、老いの身の残りとどまりたるも、いと心憂けれど、うち捨てたてまつりたまへる若君の、らうたくあはれにておはしますを、冥途のほだしにもてわづらひきこえてなむ、またたきはべる」 |
「ご主人様は、どうなさいましたか。長年、夢の中でもいらっしゃるところを見たいと大願を立てましたが、都から遠い筑紫にいたために、風の便りにも噂を伝え聞くことができませんでしたのを、たいそう悲しく思うと、老いた身でこの世に生きながらえていますのも、とてもつらいのですが、お残し申された若君が、いじらしく気の毒でいらっしゃったのを、冥途の障りになろうかとお世話に困ったままで、まだ目を瞑れないでおります」 |
と言ひ続くれば、昔その折、いふかひなかりしことよりも、応へむ方なくわづらはしと思へども、 |
と言い続けるので、昔のあの当時のことを、今さら言っても詮ない事よりも、答えようがなく困ったと思うが、 |
「いでや、聞こえてもかひなし。御方は、はや亡せたまひにき」 |
「いえもう、申し上げたところで詮ないことでございます。御方は、もうとっくにお亡くなりになりました」 |
と言ふままに、二、三人ながらむせかへり、いとむつかしく、せきかねたり。 |
と言うなり、二、三人皆涙が込み上げてきて、とてもどうすることもできず、涙を抑えかねていた。 |