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胡蝶

第一章 光る源氏の物語 春の町の船楽と季の御読経    

3. 蛍兵部卿宮、玉鬘を思う     

 

本文

現代語訳

 夜も明けぬ。朝ぼらけの鳥のさへづりを、中宮はもの隔てて、ねたう聞こし召しけり。いつも春の光を籠めたまへる大殿なれど、心をつくるよすがのまたなきを、飽かぬことに思す人びともありけるに、西の対の姫君、こともなき御ありさま、大臣の君も、わざと思しあがめきこえたまふ御けしきなど、皆世に聞こえ出でて、思ししもしるく、心なびかしたまふ人多かるべし。

 夜も明けてしまった。朝ぼらけの鳥の囀りを、中宮は築山を隔てて、悔しくお聞きあそばすのであった。いつも春の光がいっぱいに満ちている六条院であるが、思いを寄せる姫君のいないのが残念なことにお思いになる方々もいたが、西の対の姫君、何一つ欠点のないご器量を、大臣の君も、特別に大事にしていらっしゃるご様子など、すっかり世間の評判となって、ご予想どおりに心をお寄せになる人々が多いようである。

 わが身さばかりと思ひ上がりたまふ際の人こそ、便りにつけつつ、けしきばみ、言出で聞こえたまふもありけれ、えしもうち出でぬ中の思ひに燃えぬべき若君達などもあるべし。そのうちに、ことの心を知らで、内の大殿の中将などは、好きぬべかめり。

 自分こそ適任者だと自負なさっている身分の方は、つてを求め求めしては、ほのめかし、口に出して申し上げなさる方もあったが、口には出せずに心中思い焦がれている若い公達などもいるのであろう。その中で、事情を知らないで、内の大殿の中将などは、思いを寄せてしまったようである。

 兵部卿宮はた、年ごろおはしける北の方も亡せたまひて、この三年ばかり、独り住みにてわびたまへば、うけばりて今はけしきばみたまふ。

 兵部卿宮は宮で、長年お連れ添いになった北の方もお亡くなりになって、ここ三年ばかり独身で淋しがっていらっしゃったので、気兼ねなく今は求婚なさる。

 今朝も、いといたうそら乱れして、藤の花をかざして、なよびさうどきたまへる御さま、いとをかし。大臣も、思ししさまかなふと、下には思せど、せめて知らず顔をつくりたまふ。

 今朝も、とてもひどく酔ったふりをして、藤の花を冠に挿して、しなやかに振る舞っていらっしゃるご様子、まこと優雅である。大臣も、お考えになっていたとおりになったと、心の底ではお思いになるが、しいて知らない顔をなさる。

 御土器のついでに、いみじうもて悩みたまうて、

 ご酒宴の折に、ひどく苦しそうになさって、

 「思ふ心はべらずは、まかり逃げはべりなまし。いと堪へがたしや」

 「内心思うことがございませんでしたら、逃げ出したいところでございます。とてもたまりません」

 とすまひたまふ。

 とお杯をご辞退なさる。

 「紫のゆゑに心をしめたれば

   淵に身投げむ名やは惜しけき」

 「ゆかりのある方に思いを懸けていますので

   淵に身を投げても名誉は惜しくもありません」

 とて、大臣の君に、同じかざしを参りたまふ。いといたうほほ笑みたまひて、

 と詠んで、大臣の君に、同じ藤の插頭を差し上げなさる。とてもたいそうほほ笑みなさって、

 「淵に身を投げつべしやとこの春は

   花のあたりを立ち去らで見よ」

 「淵に身を投げるだけの価値があるかどうか

   この春の花の近くを離れないでよく御覧なさい」

 と切にとどめたまへば、え立ちあかれたまはで、今朝の御遊び、ましていとおもしろし。

 と無理にお引き止めなさるので、お帰りになることもできないで、今朝の御遊びは、いっそう面白くなる。



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