第三章 玉鬘の物語 夏の雨と養父の恋慕の物語
5. 苦悩する玉鬘
本文 |
現代語訳 |
またの朝、御文とくあり。悩ましがりて臥したまへれど、人びと御硯など参りて、「御返りとく」と聞こゆれば、しぶしぶに見たまふ。白き紙の、うはべはおいらかに、すくすくしきに、いとめでたう書いたまへり。 |
翌朝、お手紙が早々にあった。気分が悪くて臥せっていらっしゃったが、女房たちがお硯などを差し上げて、「お返事を早く」とご催促申し上げるので、しぶしぶと御覧になる。白い紙で、表面は穏やかに、生真面目で、とても立派にお書きになってあった。 |
「たぐひなかりし御けしきこそ、つらきしも忘れがたう。いかに人見たてまつりけむ。 |
「またとないご様子は、つらくもまた忘れ難くて。どのように女房たちはお思い申したでしょう。 |
うちとけて寝も見ぬものを若草の ことあり顔にむすぼほるらむ |
気を許しあって共寝をしたのでもないのに どうしてあなたは意味ありげな顔をして思い悩んでいらっしゃるのでしょう |
幼くこそものしたまひけれ」 |
子供っぽくいらっしゃいますよ」 |
と、さすがに親がりたる御言葉も、いと憎しと見たまひて、御返り事聞こえざらむも、人目あやしければ、ふくよかなる陸奥紙に、ただ、 |
と、それでも親めいたお言葉づかいも、とても憎らしいと御覧になって、お返事を差し上げないようなのも、傍目に不審がろうから、厚ぼったい陸奥紙に、ただ、 |
「うけたまはりぬ。乱り心地の悪しうはべれば、聞こえさせぬ」 |
「頂戴致しました。気分が悪うございますので、お返事は失礼致します」 |
とのみあるに、「かやうのけしきは、さすがにすくよかなり」とほほ笑みて、恨みどころある心地したまふ、うたてある心かな。 |
とだけあったので、「こういうやりかたは、さすがにしっかりしたものだ」とにっこりして、口説きがいのある気持ちがなさるのも、困ったお心であるよ。 |
色に出でたまひてのちは、「太田の松の」と思はせたることなく、むつかしう聞こえたまふこと多かれば、いとど所狭き心地して、おきどころなきもの思ひつきて、いと悩ましうさへしたまふ。 |
いったん口に出してしまった後は、「太田の松のように」と思わせることもなく、うるさく申し上げなさることが多いので、ますます身の置き所のない感じがして、どうしてよいか分からない物思いの種となって、ほんとうに気を病むまでにおなりになる。 |
かくて、ことの心知る人は少なうて、疎きも親しきも、むげの親ざまに思ひきこえたるを、 |
こうして、真相を知っている人は少なくて、他人も身内も、まったく実の親のようにお思い申し上げているので、 |
「かうやうのけしきの漏り出でば、いみじう人笑はれに、憂き名にもあるべきかな。父大臣などの尋ね知りたまふにても、まめまめしき御心ばへにもあらざらむものから、ましていとあはつけう、待ち聞き思さむこと」 |
「こんな事情が少しでも世間に漏れたら、ひどく世間の物笑いになり、情けない評判が立つだろうな。父大臣などがお尋ね当てて下さっても、親身な気持ちで扱っても下さるまいだろうから、他人が思う以上に浮ついたようだと、待ち受けてお思いになるだろうこと」 |
と、よろづにやすげなう思し乱る。 |
と、いろいろと心配になりお悩みになる。 |
宮、大将などは、殿の御けしき、もて離れぬさまに伝へ聞きたまうて、いとねむごろに聞こえたまふ。この岩漏る中将も、大臣の御許しを見てこそ、かたよりにほの聞きて、まことの筋をば知らず、ただひとへにうれしくて、おりたち恨みきこえまどひありくめり。 |
宮、大将などは、殿のご意向が、相手にしていなくはないと伝え聞きなさって、とても熱心に求婚申し上げなさる。あの岩漏る中将も、大臣がお認めになっていると、小耳にはさんで、ほんとうの事を知らないで、ただ一途に嬉しくなって、身を入れて熱心に恋の恨みを訴え申してうろうろしているようである。 |