第三章 玉鬘の物語 裳着の物語
7. 内大臣、近江の君を愚弄
本文 |
現代語訳 |
大臣、この望みを聞きたまひて、いとはなやかにうち笑ひたまひて、女御の御方に参りたまへるついでに、 |
内大臣、この願いをお聞きになって、たいそう陽気にお笑いになって、女御の御方に参上なさった折に、 |
「いづら、この、近江の君。こなたに」 |
「どこですか、これ、近江の君。こちらに」 |
と召せば、 |
とお呼びになると、 |
「を」 |
「はい」 |
と、いとけざやかに聞こえて、出で来たり。 |
と、とてもはっきりと答えて、出て来た。 |
「いと、仕へたる御けはひ、公人にて、げにいかにあひたらむ。尚侍のことは、などか、おのれに疾くはものせざりし」 |
「たいそう、よくお仕えしているご様子は、お役人としても、なるほどどんなにか適任であろう。尚侍のことは、どうして、わたしに早く言わなかったのですか」 |
と、いとまめやかにてのたまへば、いとうれしと思ひて、 |
と、たいそう真面目な態度でおっしゃるので、とても嬉しく思って、 |
「さも、御けしき賜はらまほしうはべりしかど、この女御殿など、おのづから伝へ聞こえさせたまひてむと、頼みふくれてなむさぶらひつるを、なるべき人ものしたまふやうに聞きたまふれば、夢に富したる心地しはべりてなむ、胸に手を置きたるやうにはべる」 |
「そのように、ご内意をいただきとうございましたが、こちらの女御様が、自然とお伝え申し上げなさるだろうと、精一杯期待しておりましたのに、なる予定の人がいらっしゃるようにうかがいましたので、夢の中で金持になったような気がしまして、胸に手を置いたようでございます」 |
と申したまふ。舌ぶりいとものさはやかなり。笑みたまひぬべきを念じて、 |
とお答えなさる。その弁舌はまことにはきはきしたものである。笑ってしまいそうになるのを堪えて、 |
「いとあやしう、おぼつかなき御癖なりや。さも思しのたまはましかば、まづ人の先に奏してまし。太政大臣の御女、やむごとなくとも、ここに切に申さむことは、聞こし召さぬやうあらざらまし。今にても、申し文を取り作りて、びびしう書き出だされよ。長歌などの心ばへあらむを御覧ぜむには、捨てさせたまはじ。主上は、そのうちに情け捨てずおはしませば」 |
「たいそう変った、はっきりしないお癖だね。そのようにもおっしゃってくださったら、まず誰より先に奏上したでしょうに。太政大臣の姫君、どんなにご身分が高かろうとも、わたしが熱心にお願い申し上げることは、お聞き入れなさらぬことはありますまい。今からでも、申文をきちんと作って、立派に書き上げなさい。長歌などの趣向のあるのを御覧あそばしたら、きっとお捨て去りなさることはありますまい。主上は、とりわけ風流を解する方でいらっしゃるから」 |
など、いとようすかしたまふ。人の親げなく、かたはなりや。 |
などと、たいそううまくおだましになる。人の親らしくない、見苦しいことであるよ。 |
「大和歌は、悪し悪しも続けはべりなむ。むねむねしき方のことはた、殿より申させたまはば、つま声のやうにて、御徳をもかうぶりはべらむ」 |
「和歌は、下手ながら何とか作れましょう。表向きのことの方は、殿様からお申し上げ下されば、それに言葉を添えるようにして、お蔭を頂戴しましょう」 |
とて、手を押しすりて聞こえゐたり。御几帳のうしろなどにて聞く女房、死ぬべくおぼゆ。もの笑ひに堪へぬは、すべり出でてなむ、慰めける。女御も御面赤みて、わりなう見苦しと思したり。殿も、 |
と言って、両手を擦り合わせて申し上げていた。御几帳の後ろなどにいて聞いている女房は、死にそうなほどおかしく思う。おかしさに我慢できない者は、すべり出して、ほっと息をつくのであった。女御もお顔が赤くなって、とても見苦しいと思っておいでであった。殿も、 |
「ものむつかしき折は、近江の君見るこそ、よろづ紛るれ」 |
「気分のむしゃくしゃする時は、近江の君を見ることによって、何かと気が紛れる」 |
とて、ただ笑ひ種につくりたまへど、世人は、 |
と言って、ただ笑い者にしていらっしゃるが、世間の人は、 |
「恥ぢがてら、はしたなめたまふ」 |
「ご自分でも恥ずかしくて、ひどい目におあわせになる」 |
など、さまざま言ひけり。 |
などと、いろいろと言うのであった。 |