第三章 内大臣家の物語 夕霧と雲居雁の物語
3. 夕霧と雲居の雁の仲
本文 |
現代語訳 |
かやうなる御諌めにつきて、戯れにても他ざまの心を思ひかかるは、あはれに、人やりならずおぼえたまふ。女も、常よりことに、大臣の思ひ嘆きたまへる御けしきに、恥づかしう、憂き身と思し沈めど、上はつれなくおほどかにて、眺め過ぐしたまふ。 |
このようなご教訓に従って、冗談にも他の女に心を移すようなことは、かわいそうなことだと、自分からお思いになっている。女も、いつもより格別に、大臣が思い嘆いていらっしゃるご様子に、顔向けのできない思いで、つらい身の上と悲観していらっしゃるが、表面はさりげなくおっとりとして、物思いに沈んでお過ごしになっている。 |
御文は、思ひあまりたまふ折々、あはれに心深きさまに聞こえたまふ。「誰がまことをか」と思ひながら、世馴れたる人こそ、あながちに人の心をも疑ふなれ、あはれと見たまふふし多かり。 |
お手紙は、我慢しきれない時々に、しみじみと深い思いをこめて書いて差し上げなさる。「誰の誠実を信じたらよいのか」と思いながら、男を知っている女ならば、むやみに男の心を疑うであろうが、しみじみと御覧になる文句が多いのであった。 |
「中務宮なむ、大殿にも御けしき賜はりて、さもやと、思し交はしたなる」 |
「中務宮が、大殿のご内意をも伺って、そのようにもと、お約束なさっているそうです」 |
と人の聞こえければ、大臣は、ひき返し御胸ふたがるべし。忍びて、 |
と女房が申し上げたので、大臣は、改めてお胸がつぶれることであろう。こっそりと、 |
「さることをこそ聞きしか。情けなき人の御心にもありけるかな。大臣の、口入れたまひしに、執念かりきとて、引き違へたまふなるべし。心弱くなびきても、人笑へならましこと」 |
「こういうことを聞いた。薄情なお心の方であったな。大臣が、口添えなさったのに、強情だというので、他へ持って行かれたのだろう。気弱になって降参しても、人に笑われることだろうし」 |
など、涙を浮けてのたまへば、姫君、いと恥づかしきにも、そこはかとなく涙のこぼるれば、はしたなくて背きたまへる、らうたげさ限りなし。 |
などと、涙を浮かべておっしゃるので、姫君、とても顔も向けられない思いでいるにも、何とはなしに涙がこぼれるので、体裁悪く思って後ろを向いていらっしゃる、そのかわいらしさ、この上もない。 |
「いかにせまし。なほや進み出でて、けしきをとらまし」 |
「どうしよう。やはりこちらから申し出て、先方の意向を聞いてみようか」 |
など、思し乱れて立ちたまひぬる名残も、やがて端近う眺めたまふ。 |
などと、お気持ちも迷ってお立ちになった後も、そのまま端近くに物思いに沈んでいらっしゃる。 |
「あやしく、心おくれても進み出でつる涙かな。いかに思しつらむ」 |
「妙に、思いがけず流れ出てしまった涙だこと。どのようにお思いになったかしら」 |
など、よろづに思ひゐたまへるほどに、御文あり。さすがにぞ見たまふ。こまやかにて、 |
などと、あれこれと思案なさっているところに、お手紙がある。それでもやはり御覧になる。愛情のこもったお手紙で、 |
「つれなさは憂き世の常になりゆくを 忘れぬ人や人にことなる」 |
「あなたの冷たいお心はつらいこの世の習性となって行きますが それでも忘れないわたしは世間の人と違っているのでしょうか」 |
とあり。「けしきばかりもかすめぬ、つれなさよ」と、思ひ続けたまふは憂けれど、 |
とある。「そぶりにも仄めかさない、冷たいお方だわ」と、思い続けなさるのはつらいけれども、 |
「限りとて忘れがたきを忘るるも こや世になびく心なるらむ」 |
「もうこれまでだと、忘れないとおっしゃるわたしのことを忘れるのは あなたのお心もこの世の習性の人心なのでしょう」 |
とあるを、「あやし」と、うち置かれず、傾きつつ見ゐたまへり。 |
とあるのを、「妙だな」と、下にも置かれず、首をかしげながらじっと座ったまま手紙を御覧になっていた。 |