第四章 光る源氏の物語 六条院の女楽
3. 夕霧、箏を調絃す
本文 |
現代語訳 |
大将、いといたく心懸想して、御前のことことしく、うるはしき御試みあらむよりも、今日の心づかひは、ことにまさりておぼえたまへば、あざやかなる御直衣、香にしみたる御衣ども、袖いたくたきしめて、引きつくろひて参りたまふほど、暮れ果てにけり。 |
大将は、とてもたいそう緊張して、御前での大がかりな、改まった御試楽以上に、今日の気づかいは、格別に勝って思われなさったので、鮮やかなお直衣に、香のしみたいく重ものお召し物で、袖に特に香をたきしめて、化粧して参上なさるころ、日はすっかり暮れてしまった。 |
ゆゑあるたそかれ時の空に、花は去年の古雪思ひ出でられて、枝もたわむばかり咲き乱れたり。ゆるるかにうち吹く風に、えならず匂ひたる御簾の内の香りも吹き合はせて、鴬誘ふつまにしつべく、いみじき御殿のあたりの匂ひなり。御簾の下より、箏の御琴のすそ、すこしさし出でて、 |
趣深い夕暮の空に、花は去年の古雪を思い出されて、枝も撓むほどに咲き乱れている。緩やかに吹く風に、何とも言えず素晴らしく匂っている御簾の内側の薫りも一緒に漂って、鴬を誘い出すしるべにできそうな、たいそう素晴らしい御殿近辺の匂いである。御簾の下から箏のお琴の裾、少しさし出して、 |
「軽々しきやうなれど、これが緒調へて、調べ試みたまへ。ここにまた疎き人の入るべきやうもなきを」 |
「失礼なようですが、この絃を調節して、みてやって下さい。ここには親しくない人を入れることはできないものですから」 |
とのたまへば、うちかしこまりて賜はりたまふほど、用意多くめやすくて、「壱越調」の声に発の緒を立てて、ふとも調べやらでさぶらひたまへば、 |
とおっしゃると、礼儀正しくお受け取りになる態度、心づかいも行き届いていて立派で、「壱越調」の音に発の緒を合わせて、すぐには弾き始めずに控えていらっしゃるので、 |
「なほ、掻き合はせばかりは、手一つ、すさまじからでこそ」 |
「やはり、調子合わせの曲ぐらいは、一曲、興をそがない程度に」 |
とのたまへば、 |
とおっしゃるので、 |
「さらに、今日の御遊びのさしいらへに、交じらふばかりの手づかひなむ、おぼえずはべりける」 |
「まったく、今日の演奏会のお相手に、仲間入りできるような腕前では、ございませんから」 |
と、けしきばみたまふ。 |
と、思わせぶりな態度をなさる。 |
「さもあることなれど、女楽にえことまぜでなむ逃げにけると、伝はらむ名こそ惜しけれ」 |
「もっともな言い方だが、女楽の相手もできずに逃げ出したと、噂される方が不名誉だぞ」 |
とて笑ひたまふ。 |
と言ってお笑いになる。 |
調べ果てて、をかしきほどに掻き合はせばかり弾きて、参らせたまひつ。この御孫の君達の、いとうつくしき宿直姿どもにて、吹き合はせたる物の音ども、まだ若けれど、生ひ先ありて、いみじくをかしげなり。 |
調絃を終わって、興をそそる程度に調子合わせだけを弾いて、差し上げなさった。このお孫の君たちが、とてもかわいらしい宿直姿で、笛を吹き合わせている音色は、まだ幼い感じだが、将来性があって、素晴らしく聞こえる。 |