第六章 紫の上の物語 出家願望と発病
8. 明石女御、看護のため里下り
本文 |
現代語訳 |
女御の君も渡りたまひて、もろともに見たてまつり扱ひたまふ。 |
女御の君もお渡りになって、ご一緒にご看病申し上げなさる。 |
「ただにもおはしまさで、もののけなどいと恐ろしきを、早く参りたまひね」 |
「普通のお身体でもいらっしゃらないので、物の怪などがとても恐ろしいから、早くお帰りあそばせ」 |
と、苦しき御心地にも聞こえたまふ。若宮の、いとうつくしうておはしますを見たてまつりたまひても、いみじく泣きたまひて、 |
と、苦しいご気分ながらも申し上げなさる。若宮が、とてもかわいらしくていらっしゃるのを拝見なさっても、ひどくお泣きになって、 |
「おとなびたまはむを、え見たてまつらずなりなむこと。忘れたまひなむかし」 |
「大きくおなりになるのを、見ることができずになりましょうこと。きっとお忘れになってしまうでしょうね」 |
とのたまへば、女御、せきあへず悲しと思したり。 |
とおっしゃるので、女御は、涙を堪えきれず悲しくお思いでいらっしゃった。 |
「ゆゆしく、かくな思しそ。さりともけしうはものしたまはじ。心によりなむ、人はともかくもある。おきて広きうつはものには、幸ひもそれに従ひ、狭き心ある人は、さるべきにて、高き身となりても、ゆたかにゆるべる方は後れ、急なる人は、久しく常ならず、心ぬるくなだらかなる人は、長き例なむ多かりける」 |
「縁起でもない、そのようにお考えなさいますな。いくら何でも悪いことにはおなりになるまい。気持ちの持ちようで、人はどのようにでもなるものです。心の広い人には、幸いもそれに従って多く、狭い心の人には、そうなる運命によって、高貴な身分に生まれても、ゆったりゆとりのある点では劣り、性急な人は、長く持続することはできず、心穏やかでおっとりとした人は、寿命の長い例が多かったものです」 |
など、仏神にも、この御心ばせのありがたく、罪軽きさまを申し明らめさせたまふ。 |
などと、仏神にも、この方のご性質が又とないほど立派で、罪障の軽い事を詳しくご説明申し上げなさる。 |
御修法の阿闍梨たち、夜居などにても、近くさぶらふ限りのやむごとなき僧などは、いとかく思し惑へる御けはひを聞くに、いといみじく心苦しければ、心を起こして祈りきこゆ。すこしよろしきさまに見えたまふ時、五、六日うちまぜつつ、また重りわづらひたまふこと、いつとなくて月日を経たまへば、「なほ、いかにおはすべきにか。よかるまじき御心地にや」と、思し嘆く。 |
御修法の阿闍梨たち、夜居などでも、お側近く伺候する高僧たちは皆、たいそうこんなにまで途方に暮れていらっしゃるご様子を聞くと、何ともおいたわしいので、心を奮い起こしてお祈り申し上げる。少しよろしいようにお見えになる日が五、六日続いては、再び重くお悩みになること、いつまでということなく続いて、月日をお過ごしになるので、「やはり、どのようにおなりになるのだろうか。治らないご病気なのかしら」と、お悲しみになる。 |
御もののけなど言ひて出で来るもなし。悩みたまふさま、そこはかと見えず、ただ日に添へて、弱りたまふさまにのみ見ゆれば、いともいとも悲しくいみじく思すに、御心の暇もなげなり。 |
御物の怪などと言って出て来るものもない。お悩みになるご様子は、どこということも見えず、ただ日がたつにつれて、お弱りになるようにばかりお見えになるので、とてもとても悲しく辛い事とお思いになると、お心の休まる暇もなさそうである。 |