第一章 柏木の物語 女三の宮、薫を出産
2. 柏木、女三の宮へ手紙
本文 |
現代語訳 |
「などかく、ほどもなくしなしつる身ならむ」と、かきくらし思ひ乱れて、枕も浮きぬばかり、人やりならず流し添へつつ、いささか隙ありとて、人びと立ち去りたまへるほどに、かしこに御文たてまつれたまふ。 |
「どうしてこのように、生きる瀬もなくしてしまった身の上なのだろう」と、心がまっくらになる思いがして、枕も浮いてしまうほどに、誰のせいでもなく涙を流しては、少しは具合が好いとあって、ご両親たちがお側を離れなさっていた時に、あちらにお手紙を差し上げなさる。 |
「今は限りになりにてはべるありさまは、おのづから聞こしめすやうもはべらむを、いかがなりぬるとだに、御耳とどめさせたまはぬも、ことわりなれど、いと憂くもはべるかな」 |
「今はもう最期となってしまいました様子は、自然とお耳に入っていらっしゃいましょうが、せめていかがですかとだけでも、お耳に止めて下さらないのも、無理もないことですが、とても情けなく存じられますよ」 |
など聞こゆるに、いみじうわななけば、思ふことも皆書きさして、 |
などと申し上げるにつけても、ひどく手が震えるので、思っていることも皆書き残して、 |
「今はとて燃えむ煙もむすぼほれ 絶えぬ思ひのなほや残らむ |
「もうこれが最期と燃えるわたしの荼毘の煙もくすぶって 空に上らずあなたへの諦め切れない思いがなおもこの世に残ることでしょう |
あはれとだにのたまはせよ。心のどめて、人やりならぬ闇に惑はむ道の光にもしはべらむ」 |
せめて不憫なとだけでもおっしゃって下さい。気持ちを静めて、自分から求めての無明の闇を迷い行く道の光と致しましょう」 |
と聞こえたまふ。 |
と申し上げなさる。 |
侍従にも、こりずまに、あはれなることどもを言ひおこせたまへり。 |
侍従にも、性懲りもなく、つらい思いの数々を書いてお寄こしになった。 |
「みづからも、今一度言ふべきことなむ」 |
「直接お会いして、もう一度申し上げたい事がある」 |
とのたまへれば、この人も、童より、さるたよりに参り通ひつつ、見たてまつり馴れたる人なれば、おほけなき心こそうたておぼえたまひつれ、今はと聞くは、いと悲しうて、泣く泣く、 |
とおっしゃるので、この人も、子供の時から、あるご縁で行き来して、親しく存じ上げている人なので、大それた恋心は疎ましく思われなさるが、最期と聞くと、とても悲しくて、泣き泣き、 |
「なほ、この御返り。まことにこれをとぢめにもこそはべれ」 |
「やはり、このお返事。本当にこれが最後でございましょう」 |
と聞こゆれば、 |
と申し上げると、 |
「われも、今日か明日かの心地して、もの心細ければ、おほかたのあはればかりは思ひ知らるれど、いと心憂きことと思ひ懲りにしかば、いみじうなむつつましき」 |
「わたしも、今日か明日かの心地がして、何となく心細いので、人の死は悲しいものと思いますが、まことに嫌な事であったと懲り懲りしてしまったので、とてもその気になれません」 |
とて、さらに書いたまはず。 |
とおっしゃって、どうしてもお書きにならない。 |
御心本性の、強くづしやかなるにはあらねど、恥づかしげなる人の御けしきの、折々にまほならぬが、いと恐ろしうわびしきなるべし。されど、御硯などまかなひて責めきこゆれば、しぶしぶに書いたまふ。取りて、忍びて宵の紛れに、かしこに参りぬ。 |
ご性質が、しっかりしていて重々しいというのではないが、気の置ける方のご機嫌が時々良くないのが、とても恐く辛く思われるのであろう。けれども、御硯などを用意して是非にとお促し申し上げるので、しぶしぶとお書きになる。受け取って、こっそりと宵闇に紛れて、あちらに持って上がった。 |