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柏木

第二章 女三の宮の物語 女三の宮の出家    

4. 朱雀院、夜明け方に山へ帰る  

 

本文

現代語訳

 帰り入らむに、道も昼ははしたなかるべしと急がせたまひて、御祈りにさぶらふ中に、やむごとなう尊き限り召し入れて、御髪下ろさせたまふ。いと盛りにきよらなる御髪を削ぎ捨てて、忌むこと受けたまふ作法、悲しう口惜しければ、大殿はえ忍びあへたまはず、いみじう泣いたまふ。

 山に帰って行くのに、道中が昼間では不体裁であろうとお急がせあそばして、御祈祷に伺候している中で、位が高く有徳の僧だけを召し入れて、お髪を下ろさせなさる。まことに女盛りで美しいお髪を削ぎ落として、戒をお受けになる儀式、悲しく残念なので、大殿は堪えることがおできになれず、ひどくお泣きになる。

 院はた、もとより取り分きてやむごとなう、人よりもすぐれて見たてまつらむと思ししを、この世には甲斐なきやうにないたてまつるも、飽かず悲しければ、うちしほたれたまふ。

 院は院で、もとから特別大切に、誰よりも幸福にしてさし上げたいとお思いになっていたのだが、この世ではその甲斐もないようにおさせ申し上げるのも、どんなに考えても悲しいので、涙ぐみなさる。

 「かくても、平かにて、同じうは念誦をも勤めたまへ」

 「こうした姿にしたが、健康になって、同じことなら念仏誦経をもお勤めなさい」

 と聞こえ置きたまひて、明け果てぬるに、急ぎて出でさせたまひぬ。

 と申し上げなさって、夜が明けてしまうので、急いでお帰りになった。

 宮は、なほ弱う消え入るやうにしたまひて、はかばかしうもえ見たてまつらず、ものなども聞こえたまはず。大殿も、

 宮は、今も弱々しく息も絶えそうでいらっしゃって、はっきりともお顔も拝見なさらず、ご挨拶も申し上げなさらない。大殿も、

 「夢のやうに思ひたまへ乱るる心惑ひに、かう昔おぼえたる御幸のかしこまりをも、え御覧ぜられぬらうがはしさは、ことさらに参りはべりてなむ」

 「夢のように存じられて心が乱れておりますので、このように昔を思い出させます御幸のお礼を、御覧に入れられない御無礼は、後日改めて参上致しまして」

 と聞こえたまふ。御送りに人びと参らせたまふ。

 と申し上げなさる。お帰りのお供に家臣を差し上げなさる。

 「世の中の、今日か明日かにおぼえはべりしほどに、また知る人もなくて、漂はむことの、あはれに避りがたうおぼえはべしかば、御本意にはあらざりけめど、かく聞こえつけて、年ごろは心やすく思ひたまへつるを、もしも生きとまりはべらば、さま異に変りて、人しげき住まひはつきなかるべきを、さるべき山里などにかけ離れたらむありさまも、またさすがに心細かるべくや。さまに従ひて、なほ、思し放つまじく」

 「わたしの寿命も、今日か明日かと思われました時に、また他に面倒を見る人もなくて、寄るべもなく暮らすことが、気の毒で放っておけないように思われましたので、あなたの本意ではなかったでしょうが、このようにお願い申して、今まではずっと安心しておりましたが、もしも宮が命を取り留めましたら、普通とは変わった尼姿で、人の大勢いる中で生活するのは不都合でしょうが、適当な山里などに離れ住む様子も、またそうはいっても心細いことでしょう。尼の身の上相応に、やはり、今まで通りお見捨てなさらずに」

 など聞こえたまへば、

 などとお頼み申し上げなさると、

 「さらにかくまで仰せらるるなむ、かへりて恥づかしう思ひたまへらるる。乱り心地、とかく乱れはべりて、何事もえわきまへはべらず」

 「改めてこのようにまで仰せ下さいましたことが、かえってこちらが恥ずかしく存じられます。乱れ心地に、何やかやと思い乱れまして、何事も判断がつきかねております」

 とて、げに、いと堪へがたげに思したり。

 と答えて、なるほど、とても辛そうに思っていらっしゃった。

 後夜の御加持に、御もののけ出で来て、

 後夜の御加持に、御物の怪が現れ出て、

 「かうぞあるよ。いとかしこう取り返しつと、一人をば思したりしが、いとねたかりしかば、このわたりに、さりげなくてなむ、日ごろさぶらひつる。今は帰りなむ」

 「それごらん。みごとに取り返したと、一人はそうお思いになったのが、まことに悔しかったので、この辺に、気づかれないようにして、ずっと控えていたのだ。今はもう帰ろう」

 とて、うち笑ふ。いとあさましう、

 と言って、ちょっと笑う。まことに驚きあきれて、

 「さは、このもののけのここにも、離れざりけるにやあらむ」

 「それでは、この物の怪がここにも、離れずにいたのか」

 と思すに、いとほしう悔しう思さる。宮、すこし生き出でたまふやうなれど、なほ頼みがたげに見えたまふ。さぶらふ人びとも、いといふかひなうおぼゆれど、「かうても、平かにだにおはしまさば」と、念じつつ、御修法また延べて、たゆみなく行なはせなど、よろづにせさせたまふ。

 とお思いになると、お気の毒に悔しく思わずにはいらっしゃれない。宮は、少し生き返ったようだが、やはり頼りなさそうにお見えになる。伺候する女房たちも、まことに何とも言いようもなく思われるが、「こうしてでも、せめてご無事でいらっしゃったならば」と、祈りながら、御修法をさらに延長して、休みなく行わせたりなど、いろいろとおさせになる。



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