第三章 柏木の物語 夕霧の見舞いと死去
2. 夕霧、柏木を見舞う
本文 |
現代語訳 |
大将の君、常にいと深う思ひ嘆き、訪らひきこえたまふ。御喜びにもまづ参うでたまへり。このおはする対のほとり、こなたの御門は、馬、車たち込み、人騒がしう騷ぎ満ちたり。今年となりては、起き上がることもをさをさしたまはねば、重々しき御さまに、乱れながらは、え対面したまはで、思ひつつ弱りぬること、と思ふに口惜しければ、 |
大将の君、いつも大変に心配して、お見舞い申し上げなさる。ご昇進のお祝いにも早速参上なさった。このいらっしゃる対の屋の辺り、こちらの御門は、馬や、車がいっぱいで、人々が騒がしいほど混雑しあっていた。今年になってからは、起き上がることもほとんどなさらないので、重々しいご様子に、取り乱した恰好では、お会いすることがおできになれないで、そう思いながら会えずに衰弱してしまったこと、と思うと残念なので、 |
「なほ、こなたに入らせたまへ。いとらうがはしきさまにはべる罪は、おのづから思し許されなむ」 |
「どうぞ、こちらへお入り下さい。まことに失礼な恰好でおりますご無礼は、何とぞお許し下さい」 |
とて、臥したまへる枕上の方に、僧などしばし出だしたまひて、入れたてまつりたまふ。 |
と言って、臥せっていらっしゃる枕元に、僧たちを暫く外にお出しになって、お入れ申し上げなさる。 |
早うより、いささか隔てたまふことなう、睦び交はしたまふ御仲なれば、別れむことの悲しう恋しかるべき嘆き、親兄弟の御思ひにも劣らず。今日は喜びとて、心地よげならましをと思ふに、いと口惜しう、かひなし。 |
幼少のころから、少しも分け隔てなさることなく、仲好くしていらっしゃったお二方なので、別れることの悲しく恋しいに違いない嘆きは、親兄弟の思いにも負けない。今日はお祝いということで、元気になっていたらどんなによかろうと思うが、まことに残念に、その甲斐もない。 |
「などかく頼もしげなくはなりたまひにける。今日は、かかる御喜びに、いささかすくよかにもやとこそ思ひはべりつれ」 |
「どうしてこんなにお弱りになってしまわれたのですか。今日は、このようなお祝いに、少しでも元気になったろうかと思っておりましたのに」 |
とて、几帳のつま引き上げたまへれば、 |
と言って、几帳の端を引き上げなさったところ、 |
「いと口惜しう、その人にもあらずなりにてはべりや」 |
「まことに残念なことに、本来の自分ではなくなってしまいましたよ」 |
とて、烏帽子ばかりおし入れて、すこし起き上がらむとしたまへど、いと苦しげなり。白き衣どもの、なつかしうなよよかなるをあまた重ねて、衾ひきかけて臥したまへり。御座のあたりものきよげに、けはひ香うばしう、心にくくぞ住みなしたまへる。 |
と言って、烏帽子だけを押し入れるように被って、少し起き上がろうとなさるが、とても苦しそうである。白い着物で、柔らかそうなのをたくさん重ね着して、衾を引き掛けて臥していらっしゃる。御座所の辺りをこぎれいにしていて、あたりに香が薫っていて、奥ゆかしい感じにお過ごしになっていた。 |
うちとけながら、用意ありと見ゆ。重く患ひたる人は、おのづから髪髭も乱れ、ものむつかしきけはひも添ふわざなるを、痩せさらぼひたるしも、いよいよ白うあてなるさまして、枕をそばだてて、ものなど聞こえたまふけはひ、いと弱げに、息も絶えつつ、あはれげなり。 |
くつろいだままながら、嗜みがあると見える。重病人というものは、自然と髪や髭も乱れ、むさくるしい様子がするものだが、痩せてはいるが、かえって、ますます白く上品な感じがして、枕を立ててお話を申し上げなさる様子、とても弱々しそうで、息も絶え絶えで、見ていて気の毒そうである。 |