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横笛

第一章 光る源氏の物語 薫の成長    

3. 若君、竹の子を噛る   

 

本文

現代語訳

 若君は、乳母のもとに寝たまへりける、起きて這ひ出でたまひて、御袖を引きまつはれたてまつりたまふさま、いとうつくし。

 若君は、乳母のもとでお寝みになっていたが、起きて這い出しなさって、お袖を引っ張りまとわりついていらっしゃる様子、とてもかわいらしい。

 白き羅に、唐の小紋の紅梅の御衣の裾、いと長くしどけなげに引きやられて、御身はいとあらはにて、うしろの限りに着なしたまへるさまは、例のことなれど、いとらうたげに白くそびやかに、柳を削りて作りたらむやうなり。

 白い羅に、唐の小紋の紅梅のお召し物の裾、とても長くだらしなく引きずられて、お身体がすっかりあらわに見えて、後ろの方だけが着ていらっしゃる恰好は、幼児の常であるが、とてもかわいらしく色白ですんなりとして、柳の木を削って作ったようである。

 頭は露草してことさらに色どりたらむ心地して、口つきうつくしうにほひ、まみのびらかに、恥づかしう薫りたるなどは、なほいとよく思ひ出でらるれど、

 頭は露草で特別に染めたような感じがして、口もとはかわいらしく艶々として、目もとがおっとりと、気がひけるほど美しいのなどは、やはりとてもよく思い出さずにはいられないが、

 「かれは、いとかやうに際離れたるきよらはなかりしものを、いかでかからむ。宮にも似たてまつらず、今より気高くものものしう、さま異に見えたまへるけしきなどは、わが御鏡の影にも似げなからず」見なされたまふ。

 「あの人は、とてもこのようにきわだった美しさはなかったが、どうしてこんなに美しいのだろう。母宮にもお似申さず、今から気品があり立派で、格別にお見えになる様子などは、自分が鏡に映った姿にも似てはいないこともないな」というお気持ちになる。

 わづかに歩みなどしたまふほどなり。この筍の櫑子に、何とも知らず立ち寄りて、いとあわたたしう取り散らして、食ひかなぐりなどしたまへば、

 やっとよちよち歩きをなさる程である。この筍が櫑子に、何であるのか分からず近寄って来て、やたらにとり散らかして、食いかじったりなどなさるので、

 「あな、らうがはしや。いと不便なり。かれ取り隠せ。食ひ物に目とどめたまふと、もの言ひさがなき女房もこそ言ひなせ」

 「まあ、お行儀の悪い。いけません。あれを片づけなさい。食べ物に目がなくていらっしゃると、口の悪い女房が言うといけない」

 とて、笑ひたまふ。かき抱きたまひて、

 と言って、お笑いになる。お抱き寄せになって、

 「この君のまみのいとけしきあるかな。小さきほどの稚児を、あまた見ねばにやあらむ、かばかりのほどは、ただいはけなきものとのみ見しを、今よりいとけはひ異なるこそ、わづらはしけれ。女宮ものしたまふめるあたりに、かかる人生ひ出でて、心苦しきこと、誰がためにもありなむかし。

 「若君の目もとは普通と違うな。小さい時の子を、多く見ていないからだろうか、これくらいの時は、ただあどけないものとばかり思っていたが、今からとても格別すぐれているのが、厄介なことだ。女宮がいらっしゃるようなところに、このような人が生まれて来て、厄介なことが、どちらにとっても起こるだろうな。

 あはれ、そのおのおのの生ひゆく末までは、見果てむとすらむやは。花の盛りは、ありなめど」

 ああ、この人たちが育って行く先までは、見届けることができようか。花の盛りにめぐり逢うことは、寿命あってのことだ」

 と、うちまもりきこえたまふ。

 と言って、じっとお見つめ申していらっしゃる。

 「うたて、ゆゆしき御ことにも」

「何とまあ、縁起でもないお言葉を」

 と、人びとは聞こゆ。

 と、女房たちは申し上げる。

 御歯の生ひ出づるに食ひ当てむとて、筍をつと握り待ちて、雫もよよと食ひ濡らしたまへば、

 歯の生えかけたところに噛み当てようとして、筍をしっかりと握り持って、よだれをたらたらと垂らしてお齧りになっているので、

「いとねぢけたる色好みかな」とて、

 「変わった色好みだな」とおっしゃって、

 「憂き節も忘れずながら呉竹の

   こは捨て難きものにぞありける」

 「いやなことは忘れられないがこの子は

   かわいくて捨て難く思われることだ」

 と、率て放ちて、のたまひかくれど、うち笑ひて、何とも思ひたらず、いとそそかしう、這ひ下り騷ぎたまふ。

 と、引き離して連れて来て、お話しかけになるが、にこにことしていて、何とも分からず、とてもそそくさと、這い下りて動き回っていらっしゃる。

 月日に添へて、この君のうつくしうゆゆしきまで生ひまさりたまふに、まことに、この憂き節、皆思し忘れぬべし。

 月日が経つにつれて、この君がかわいらしく不吉なまでに美しく成長なさっていくので、本当に、あの嫌なことが、すべて忘れられてしまいそうである。

 「この人の出でものしたまふべき契りにて、さる思ひの外の事もあるにこそはありけめ。逃れ難かなるわざぞかし」

 「この人がお生まれになるためのご縁で、あの思いがけない事件も起こったのだろう。逃れられない宿命だったのだ」

 と、すこしは思し直さる。みづからの御宿世も、なほ飽かぬこと多かり。

 と、少しはお考えが改まる。ご自身の運命にもやはり不満のところが多かった。

 「あまた集へたまへる中にも、この宮こそは、かたほなる思ひまじらず、人の御ありさまも、思ふに飽かぬところなくてものしたまふべきを、かく思はざりしさまにて見たてまつること」

 「大勢集っていらっしゃるご夫人方の中でも、この宮だけは、不足に思うところもなく、宮ご自身のご様子も、物足りないと思うところもなくていらっしゃるはずなのに、このように思いもかけない尼姿で拝見するとは」

 と思すにつけてなむ、過ぎにし罪許し難く、なほ口惜しかりける。

 とお思いになるにつけて、過去の二人の過ちを許し難く、今も無念に思われるのであった。



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