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橋姫

第三章 薫の物語 八の宮の娘たちを垣間見る   

7. 薫、大君と和歌を詠み交して帰京   

 

本文

現代語訳

 峰の八重雲、思ひやる隔て多く、あはれなるに、なほ、この姫君たちの御心のうちども心苦しう、「何ごとを思し残すらむ。かく、いと奥まりたまへるも、ことわりぞかし」などおぼゆ。

 峰の幾重にも重なった雲の、思いやるにも隔てが多く、心痛むが、やはり、この姫君たちのご心中もおいたわしく、「物思いのありたけを尽くしていられよう。あのように、とても引っ込みがちでいらっしゃるのも、もっともなことだ」と思われる。

 「あさぼらけ家路も見えず尋ね来し

   槙の尾山は霧こめてけり

 「夜も明けて行きますが帰る家路も見えません

   尋ねて来た槙の尾山は霧が立ち込めていますので

 心細くもはべるかな」

 心細いことですね」

 と、立ち返りやすらひたまへるさまを、都の人の目馴れたるだに、なほ、いとことに思ひきこえたるを、まいて、いかがはめづらしう見きこえざらむ。御返り聞こえ伝へにくげに思ひたれば、例の、いとつつましげにて、

 と、引き返して立ち去りがたくしていらっしゃる様子を、都の人で見慣れた人でさえ、やはり、たいそう格別にお思い申し上げているのに、まして、どんなにか珍しく思わないことあろうか。お返事を申し上げにくそうに思っているので、いつものように、たいそう慎ましそうにして、

 「雲のゐる峰のかけ路を秋霧の

   いとど隔つるころにもあるかな」

 「雲のかかっている山路を秋霧が

   ますます隔てているこの頃です」

 すこしうち嘆いたまへるけしき、浅からずあはれなり。

 少し嘆いていらっしゃる様子、並々ならず胸を打つ。

 何ばかりをかしきふしは見えぬあたりなれど、げに、心苦しきこと多かるにも、明うなりゆけば、さすがにひた面なる心地して、

 何ほども風情の見えない辺りだが、なるほど、おいたわしいことが多くある中にも、明るくなって行くと、いくら何でも直接顔を合わせる感じがして、

 「なかなかなるほどに、承りさしつること多かる残りは、今すこし面馴れてこそは、恨みきこえさすべかめれ。さるは、かく世の人めいて、もてなしたまふべくは、思はずに、もの思し分かざりけりと、恨めしうなむ」

 「なまじお言葉を聞いたために、途中までしか聞けなかった思いの多くの残りは、もう少しお親しみになってから、恨み言も申し上げさせていただきましょう。一方では、このように世間の人並みに、お扱いなさることは、意外にもお分かりにならない方だと、恨めしくて」

 とて、宿直人がしつらひたる西面におはして、眺めたまふ。

 と言って、宿直人が準備した西面にいらっしゃって、眺めなさる。

 「網代は、人騒がしげなり。されど、氷魚も寄らぬにやあらむ。すさまじげなるけしきなり」

 「網代では、人が騒いでいるようだ。けれど、氷魚も寄って来ないのだろうか。景気の悪そうな様子だ」

 と、御供の人びと見知りて言ふ。

 と、お供の人々は見知っていて言う。

 「あやしき舟どもに、柴刈り積み、おのおの何となき世の営みどもに、行き交ふさまどもの、はかなき水の上に浮かびたる、誰れも思へば同じことなる、世の常なさなり。われは浮かばず、玉の台に静けき身と、思ふべき世かは」と思ひ続けらる。

 「粗末な幾隻もの舟に、柴を刈り積んで、それぞれ何ということもない生活に、上り下りしている様子に、はかない水の上に浮かんでいるが、誰も皆考えてみれば同じことである、無常の世だ。自分は水に浮かぶような様でなく、玉の台に落ち着いている身だと、思える世だろうか」と思い続けられずにはいられない。

 硯召して、あなたに聞こえたまふ。

 硯を召して、あちらに申し上げなさる。

 「橋姫の心を汲みて高瀬さす

   棹のしづくに袖ぞ濡れぬる

 「姫君たちのお寂しい心をお察しして

   浅瀬を漕ぐ舟の棹の、涙で袖が濡れました

 眺めたまふらむかし」

 物思いに沈んでいらっしゃることでしょう」

 とて、宿直人に持たせたまへり。いと寒げに、いららぎたる顔して持て参る。御返り、紙の香など、おぼろけならむ恥づかしげなるを、疾きをこそかかる折には、とて、

 と言って、宿直人にお持たせになった。たいそう寒そうに、鳥肌の立つ顔して持って上る。お返事は、紙の香などが、いいかげんな物では恥ずかしいが、早いのだけをこのような場合は取柄としよう、と思って、

 「さしかへる宇治の河長朝夕の

   しづくや袖を朽たし果つらむ

 「棹さして何度も行き来する宇治川の渡し守は朝夕の雫に

   濡れてすっかり袖を朽ちさせていることでしょう

 身さへ浮きて」

 身まで浮かんで」

 と、いとをかしげに書きたまへり。「まほにめやすくもものしたまひけり」と、心とまりぬれど、

 と、実に美しくお書きになっていらっしゃた。「申し分なく感じの良い方だ」と、心が惹かれたが、

 「御車率て参りぬ」

 「お車を牽いて参りました」

 と、人びと騒がしきこゆれば、宿直人ばかりを召し寄せて、

 と、供人が騒がしく申し上げるので、宿直人だけを召し寄せて、

 「帰りわたらせたまはむほどに、かならず参るべし」

 「お帰りあそばしたころに、きっと参りましょう」

 などのたまふ。濡れたる御衣どもは、皆この人に脱ぎかけたまひて、取りに遣はしつる御直衣にたてまつりかへつ。

 などとおっしゃる。濡れたお召し物は、皆この人に脱ぎ与えなさって、取りにやったお直衣にお召し替えになった。



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