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橋姫

第四章 薫の物語 薫、出生の秘密を知る   

3. 薫、弁の君の昔語りの続きを聞く   

 

本文

現代語訳

 さて、暁方の、宮の御行ひしたまふほどに、かの老い人召し出でて、会ひたまへり。

 そうして、払暁の、宮がご勤行をなさる時に、あの老女を召し出して、お会いになった。

 姫君の御後見にてさぶらはせたまふ、弁の君とぞいひける。年も六十にすこし足らぬほどなれど、みやびかにゆゑあるけはひして、ものなど聞こゆ。

 姫君のご後見として伺候させなさっている、弁の君と言った人である。年も六十に少し届かない年齢だが、優雅で教養ある感じがして、話など申し上げる。

 故権大納言の君の、世とともにものを思ひつつ、病づき、はかなくなりたまひにしありさまを、聞こえ出でて、泣くこと限りなし。

 故大納言の君が、いつもずっと物思いに沈み、病気になって、お亡くなりになった様子を、お話し申し上げて泣く様子はこの上ない。

 「げに、よその人の上と聞かむだに、あはれなるべき古事どもを、まして、年ごろおぼつかなく、ゆかしう、いかなりけむことの初めにかと、仏にも、このことをさだかに知らせたまへと、念じつる験にや、かく夢のやうにあはれなる昔語りを、おぼえぬついでに聞きつけつらむ」と思すに、涙とどめがたかりけり。

 「なるほど、他人の身の上話として聞くのでさえ、しみじみとした昔話を、それ以上に、長年気がかりで、知りたく、どのようなことの始まりだったのかと、仏にも、このことをはっきりとお知らせ下さいと、祈って来た効があってか、このように夢のようなしみじみとした昔話を、思いがけない機会に聞き付けたのだろう」とお思いになると、涙を止めることができなかった。

 「さても、かく、その世の心知りたる人も残りたまへりけるを。めづらかにも恥づかしうもおぼゆることの筋に、なほ、かく言ひ伝ふるたぐひや、またもあらむ。年ごろ、かけても聞き及ばざりける」とのたまへば、

 「それにしても、このように、その当時の事情を知っている人が生き残っていらっしゃったよ。驚きもし恥ずかしくも思われる話について、やはり、このように伝え知っている人が、他にもいるだろうか。長年、少しも聞き及ばなかったが」とおっしゃると、

 「小侍従と弁と放ちて、また知る人はべらじ。一言にても、また異人にうちまねびはべらず。かくものはかなく、数ならぬ身のほどにはべれど、夜昼かの御影に、つきたてまつりてはべりしかば、おのづからもののけしきをも見たてまつりそめしに、御心よりあまりて思しける時々、ただ二人の中になむ、たまさかの御消息の通ひもはべりし。かたはらいたければ、詳しく聞こえさせず。

 「小侍従と弁を除いて、他に知る人はございませんでしょう。一言でも、また他人には話しておりません。このように頼りなく、一人前でもない身分でございますが、昼も夜もあの方のお側に、お付き申し上げておりましたので、自然と事の経緯をも拝見致しましたので、お胸に納めかねていらっしゃった時々、ただ二人の間で、たまのお手紙のやりとりがございました。恐れ多いことですので、詳しくは存じ上げません。

 今はのとぢめになりたまひて、いささかのたまひ置くことのはべりしを、かかる身には、置き所なく、いぶせく思うたまへわたりつつ、いかにしてかは聞こしめし伝ふべきと、はかばかしからぬ念誦のついでにも、思うたまへつるを、仏は世におはしましけり、となむ思うたまへ知りぬる。

 ご臨終におなりになって、わずかにご遺言がございましたが、このような身には、処置に窮しまして、気がかりに存じ続けながら、どのようにしてお伝え申し上げたらよいかと、おぼつかない念誦の折にも、祈っておりましたが、仏はこの世にいらっしゃったのだ、と存じられました。

 御覧ぜさすべき物もはべり。今は、何かは、焼きも捨てはべりなむ。かく朝夕の消えを知らぬ身の、うち捨てはべりなば、落ち散るやうもこそと、いとうしろめたく思うたまふれど、この宮わたりにも、時々、ほのめかせたまふを、待ち出でたてまつりてしは、すこし頼もしく、かかる折もやと、念じはべりつる力出でまうで来てなむ。さらに、これは、この世のことにもはべらじ」

 御覧入れたい物がございます。もう必要がない、いっそ、焼き捨ててしまいましょうか。このように朝夕の露のようにいつ消えてしまうかも分からない身の上で、放っておきましたら、他人の目にも触れようかと、とても気がかりに存じておりましたが、この邸辺りにも、時々、お立ち寄りになるのを、お待ち申し上げるようになりましてからは、少し頼もしく、このような機会もあろうかと、祈っておりました効が出て参りました。まったく、これは、この世だけの事ではございません」

 と、泣く泣く、こまかに、生まれたまひけるほどのことも、よくおぼえつつ聞こゆ。

 と、泣く泣く、こまごまと、お生まれになった時の事も、よく思い出しながら申し上げる。



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