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早蕨

第一章 中君の物語 匂宮との結婚を前にした宇治での生活   

1. 宇治の新春、山の阿闍梨から山草が届く   

 

本文

現代語訳

 薮し分かねば、春の光を見たまふにつけても、「いかでかくながらへにける月日ならむ」と、夢のやうにのみおぼえたまふ。

 薮だからといって分け隔てして日光は差すものでないので、春の光を御覧になるにつけても、「どうしてこう生き永らえてきた月日なのだろう」と、夢のようにばかり思われなさる。

 行き交ふ時々にしたがひ、花鳥の色をも音をも、同じ心に起き臥し見つつ、はかなきことをも、本末をとりて言ひ交はし、心細き世の憂さもつらさも、うち語らひ合はせきこえしにこそ、慰む方もありしか、をかしきこと、あはれなるふしをも、聞き知る人もなきままに、よろづかきくらし、心一つをくだきて、宮のおはしまさずなりにし悲しさよりも、ややうちまさりて恋しくわびしきに、いかにせむと、明け暮るるも知らず惑はれたまへど、世にとまるべきほどは、限りあるわざなりければ、死なれぬもあさまし。

 去っては迎える時節時節にしたがって、花や鳥の色をも声をも、同じ気持ちで起き臥し見ては、ちょっとした和歌を詠むことでも、上の句と下の句とをそれぞれ付け交わして、心細いこの世の悲しさも辛さも、語り合ってきたからこそ、慰むこともあったが、おもしろいことや、しみじみとしたことを、聞き知る人がいないままに、すべてまっくら闇で、心一つに思い悩んで、父宮がお亡くなりになった悲しさよりも、もう少しまさって恋しくわびしいので、どうしたらよいかと、明けるのも暮れるのも分からず茫然としていらっしゃるが、世に生きている間は、定めがあることだったので、死ぬことができないのもあきれたことだ。

 阿闍梨のもとより、

 阿闍梨のもとから、

 「年改まりては、何ごとかおはしますらむ。御祈りは、たゆみなく仕うまつりはべり。今は、一所の御ことをなむ、安からず念じきこえさする」

 「新年になってからは、いかがお過ごしでしょうか。ご祈祷は、怠りなくお勤めいたしております。今は、お一方の事を、ご無事にと祈念いたしております」

 など聞こえて、蕨、つくづくし、をかしき籠に入れて、「これは、童べの供養じてはべる初穂なり」とて、たてまつれり。手は、いと悪しうて、歌は、わざとがましくひき放ちてぞ書きたる。

 などと申し上げて、蕨、土筆を、風流な籠に入れて、「これは、童たちが献じましたお初穂です」といって、差し上げた。筆跡は、とても悪筆で、和歌は、わざとらしく放ち書きにしてあった。

 「君にとてあまたの春を摘みしかば

   常を忘れぬ初蕨なり

 「わが君にと思って毎年毎年の春に摘みましたので

   今年も例年どおりの初蕨です

 御前に詠み申さしめたまへ」

 御前でお詠み申し上げてください」

 とあり。

 とある。



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