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東屋

第三章 浮舟の物語 浮舟の母、中君に娘の浮舟を託す   

4. 中君、薫に浮舟を勧める    

 

本文

現代語訳

 例の、物語いとなつかしげに聞こえたまふ。事に触れて、ただいにしへの忘れがたく、世の中のもの憂くなりまさるよしを、あらはには言ひなさで、かすめ愁へたまふ。

 いつものように、お話をとても親しく申し上げなさる。何につけても、ただ亡き姫君が忘れられず、世の中がますますつまらなくなっていくことを、はっきりとは言わないで、それとなく訴えなさる。

 「さしも、いかでか、世を経て心に離れずのみはあらむ。なほ、浅からず言ひ初めてしことの筋なれば、名残なからじとにや」など、見なしたまへど、人の御けしきはしるきものなれば、見もてゆくままに、あはれなる御心ざまを、岩木ならねば、思ほし知る。

 「そんなにまで深く、どうして、いつまでも忘れられずばかりいらっしゃるのだろう。やはり、深く思っているように言い出したことだから、忘れられたと思われたくないのだろうか」などと、しいてお思いになるが、相手のご様子ははっきりとしているので、見ているうちに、しみじみとしたお気持ちを、岩木ではないから、お分かりになる。

 怨みきこえたまふことも多かれば、いとわりなくうち嘆きて、かかる御心をやむる禊をせさせたてまつらまほしく思ほすにやあらむ、かの人形のたまひ出でて、

 お恨み申し上げることが多いので、たいそう困って嘆息して、このようなお気持ちを無くす禊をおさせ申し上げたくお思いになったのであろうか、あの人形のことをお話し出しになって、

 「いと忍びてこのわたりになむ」

 「とても人目を忍んでこの辺りにいます」

 と、ほのめかしきこえたまふを、かれもなべての心地はせず、ゆかしくなりにたれど、うちつけにふと移らむ心地はたせず。

 と、それとなく申し上げなさると、相手も平気な気持ちではいられず、興味をもったが、急に心移りする気はしない。

 「いでや、その本尊、願ひ満てたまふべくはこそ尊からめ、時々、心やましくは、なかなか山水も濁りぬべく」

 「さあ、そのご本尊が、願いをお満たしくださったら尊いことでしょうが、時々、悩ましく思うようでは、かえって悟りも濁ってしまいましょう」

 とのたまへば、果て果ては、

 とおっしゃると、最後は、

 「うたての御聖心や」

 「困ったご道心ですこと」

 と、ほのかに笑ひたまふも、をかしう聞こゆ。

 と、かすかにお笑いになるのも、おもしろく聞こえる。

 「いで、さらば、伝へ果てさせたまへかし。この御逃れ言葉こそ、思ひ出づればゆゆしく」

 「さあ、それでは、すっかりお伝えになってください。このお逃れの言葉も、思い出すと不吉な気がします」

 とのたまひても、また涙ぐみぬ。

 とおっしゃって、再び涙ぐんだ。

 「見し人の形代ならば身に添へて

   恋しき瀬々のなでものにせむ」

 「亡き姫君の形見ならば、いつも側において

   恋しい折々の気持ちを移して流す撫物としよう」

 と、例の、戯れに言ひなして、紛らはしたまふ。

 と、いつものように、冗談のように言って、紛らわしなさる。

 「みそぎ河瀬々に出ださむなでものを

   身に添ふ影と誰れか頼まむ

 「禊河の瀬々に流し出す撫物を

   いつまでも側に置いておくと誰が期待しましょう

 引く手あまたに、とかや。いとほしくぞはべるや」

 引く手あまたで、とか言います。不憫でございますわ」

 とのたまへば、

 とおっしゃると、

 「つひに寄る瀬は、さらなりや。いとうれたきやうなる水の泡にも争ひはべるかな。かき流さるるなでものは、いで、まことぞかし。いかで慰むべきことぞ」

 「最後の寄る瀬は、言うまでもありませんよ。たいそういまいましいような水の泡にも負けないようでございますね。捨てられて流される撫物は、いやもう、まったくその通りです。どうして慰められることができましょうか」

 など言ひつつ、暗うなるもうるさければ、かりそめにものしたる人も、あやしくと思ふらむもつつましきを、

 などと言っているうちに、暗くなってくるのもやっかいなので、一時的に泊まっている人も、変だと思うのも気がひけて、

 「今宵は、なほ、とく帰りたまひね」

 「今夜は、やはり、早くお帰りなさいませ」

 と、こしらへやりたまふ。

 と、機嫌をおとりになる。



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