第五章 浮舟の物語 浮舟、三条の隠れ家に身を寄せる
5. 浮舟の三条のわび住まい
本文 |
現代語訳 |
旅の宿りは、つれづれにて、庭の草もいぶせき心地するに、いやしき東声したる者どもばかりのみ出で入り、慰めに見るべき前栽の花もなし。うちあばれて、晴れ晴れしからで明かし暮らすに、宮の上の御ありさま思ひ出づるに、若い心地に恋しかりけり。あやにくだちたまへりし人の御けはひも、さすがに思ひ出でられて、 |
旅の宿は、所在なくて、庭の草もうっとうしい気がするので、卑しい東国の声をした連中ばかりが出入りして、慰めとして見ることのできる前栽の花もない。未完成の所で、気分も晴れないまま明かし暮らすので、宮の上のご様子を思い出すと、若い気持ちに恋しかった。困ったことをなさった方のご様子も、やはり思い出されて、 |
「何事にかありけむ。いと多くあはれげにのたまひしかな」 |
「何と言ったのだろうか。とてもたくさんしみじみとおっしゃったなあ」 |
名残をかしかりし御移り香も、まだ残りたる心地して、恐ろしかりしも思ひ出でらる。 |
立ち去った後の御移り香が、まだ残っている気がして、恐ろしかったことも思い出される。 |
「母君、たつやと、いとあはれなる文を書きておこせたまふ。おろかならず心苦しう思ひ扱ひたまふめるに、かひなうもて扱はれたてまつること」とうち泣かれて、 |
「母君が、どうしているだろうかと、とてもしみじみとした手紙を書いてお寄こしになる。並々ならずおいたわしく気づかってくださるようなのに、世話していただく効もないようなこと」とつい泣けてきて、 |
「いかにつれづれに見ならはぬ心地したまふらむ。しばし忍び過ぐしたまへ」 |
「どのように所在なく落ち着かない気がなさっていることでしょう。しばらく隠れてお過ごしなさい」 |
とある返り事に、 |
とあるのに対する返事に、 |
「つれづれは何か。心やすくてなむ。 |
「所在なさが何でしょう。この方が気楽です。 |
ひたぶるにうれしからまし世の中に あらぬ所と思はましかば」 |
一途に嬉しいことでしょう ここが世の中で別の世界だと思えるならば」 |
と、幼げに言ひたるを見るままに、ほろほろとうち泣きて、「かう惑はしはふるるやうにもてなすこと」と、いみじければ、 |
と、子供っぽく詠んだのを見ながら、ほろほろと泣いて、「このように行方も定めずふらふらさせていること」と、ひどく悲しいので、 |
「憂き世にはあらぬ所を求めても 君が盛りを見るよしもがな」 |
「憂き世ではない所を尋ねてでも あなたの盛りの世を見たいものです」 |
と、なほなほしきことどもを言ひ交はしてなむ、心のべける。 |
と、素直な思いのままに詠み交わして、心情を吐露するのであった。 |