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東屋

第六章 浮舟と薫の物語 薫、浮舟を伴って宇治へ行く   

9. 薫と浮舟、琴を調べて語らう    

 

本文

現代語訳

 ここにありける琴、箏の琴召し出でて、「かかることはた、ましてえせじかし」と、口惜しければ、一人調べて、

 ここにあった琴や、箏の琴を召し出して、「このような事は、またいっそうできないだろう」と、残念なので、独りで調べて、

 「宮亡せたまひてのち、ここにてかかるものに、いと久しう手触れざりつかし」

 「宮がお亡くなりになって以後、ここでこのような物に、実に久しく手を触れなかった」

 と、めづらしく我ながらおぼえて、いとなつかしくまさぐりつつ眺めたまふに、月さし出でぬ。

 と、珍しく自分ながら思われて、たいそうやさしく弄びながら物思いに耽っていらっしゃると、月が出た。

 「宮の御琴の音の、おどろおどろしくはあらで、いとをかしくあはれに弾きたまひしはや」

 「宮のお琴の音色が、仰々しくはなくて、とても美しくしみじみとお弾きになったなあ」

 と思し出でて、

 とお思い出しになって、

 「昔、誰れも誰れもおはせし世に、ここに生ひ出でたまへらましかば、今すこしあはれはまさりなまし。親王の御ありさまは、よその人だに、あはれに恋しくこそ、思ひ出でられたまへ。などて、さる所には、年ごろ経たまひしぞ」

 「昔、皆が生きていらっしゃった時に、ここで大きくおなりになったら、もう一段と感慨は深かったでしょうに。親王のご様子は、他人でさえ、しみじみと恋しく思い出され申します。どうして、そのような場所に、長年いられたのですか」

 とのたまへば、いと恥づかしくて、白き扇をまさぐりつつ、添ひ臥したるかたはらめ、いと隈なう白うて、なまめいたる額髪の隙など、いとよく思ひ出でられてあはれなり。まいて、「かやうのこともつきなからず教へなさばや」と思して、

 とおっしゃると、とても恥ずかしくて、白い扇を弄びながら、添い臥していらっしゃる横顔は、とてもどこからどこまで色白で、優美な額髪の間などは、まことによく思い出されて感慨深い。それ以上に、「このような音楽の技芸もふさわしく教えたい」とお思いになって、

 「これは、すこしほのめかいたまひたりや。あはれ、吾が妻といふ琴は、さりとも手ならしたまひけむ」

 「これは、少しお弾きになったことがありますか。ああ、吾が妻という和琴は、いくらなんでもお手を触れたことがありましょう」

 など問ひたまふ。

 などとお尋ねになる。

 「その大和言葉だに、つきなくならひにければ、まして、これは」

 「その和歌でさえ、聞きつけずにいましたのに、まして、和琴などは」

 と言ふ。いとかたはに心後れたりとは見えず。ここに置きて、え思ふままにも来ざらむことを思すが、今より苦しきは、なのめには思さぬなるべし。琴は押しやりて、

 と言う。まったく見苦しく気がきかないようには見えない。ここに置いて、思い通りに通って来られないことをお思いになるのが、今からつらいのは、並一通りにはお思いでないのだろう。琴は押しやって、

 「楚王の台の上の夜の琴の声」

 「楚王の台の上の夜の琴の声」

 と誦じたまへるも、かの弓をのみ引くあたりにならひて、「いとめでたく、思ふやうなり」と、侍従も聞きゐたりけり。さるは、扇の色も心おきつべき閨のいにしへをば知らねば、ひとへにめできこゆるぞ、後れたるなめるかし。「ことこそあれ、あやしくも、言ひつるかな」と思す。

 と朗誦なさるのも、あの弓ばかりを引く所に住み馴れて、「とても素晴らしく、理想的である」と、侍従も聞いているのであった。一方では、扇の色も心を配らねばならない閨の故事を知らないので、一途にお誉め申し上げているのは、教養のないことである。「事もあろうに、変なことを、言ってそまったなあ」とお思いになる。

 尼君の方より、くだもの参れり。箱の蓋に、紅葉、蔦など折り敷きて、ゆゑゆゑなからず取りまぜて、敷きたる紙に、ふつつかに書きたるもの、隈なき月にふと見ゆれば、目とどめたまふほどに、くだもの急ぎにぞ見えける。

 尼君のもとから、果物を差し上げた。箱の蓋に、紅葉や、蔦などを折り敷いて、風流にとりまぜて、敷いてある紙に、不器用に書いてあるものが、明るい月の光にふと見えたので、目を止めなさっていると、果物を欲しがっているように見えた。

 「宿り木は色変はりぬる秋なれど

   昔おぼえて澄める月かな」

 「宿木は色が変わってしまった秋ですが

   昔が思い出される澄んだ月ですね」

 と古めかしく書きたるを、恥づかしくもあはれにも思されて、

 と古風に書いてあるのを、恥ずかしくもしみじみともお思いになって、

 「里の名も昔ながらに見し人の

   面変はりせる閨の月影」

 「里の名もわたしも昔のままですが

   昔の人が面変わりしたかと思われる閨の月光です」

 わざと返り事とはなくてのたまふ、侍従なむ伝へけるとぞ。

 特に返歌というわけではなくおっしゃったのを、侍従が伝えたとか。



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