第二章 浮舟と匂宮の物語 匂宮、薫の声をまねて浮舟の寝所に忍び込む
1. 匂宮、宇治行きを大内記に相談
本文 |
現代語訳 |
ただそのことを、このころは思ししみたり。賭弓、内宴など過ぐして、心のどかなるに、司召など言ひて、人の心尽くすめる方は、何とも思さねば、宇治へ忍びておはしまさむことをのみ思しめぐらす。この内記は、望むことありて、夜昼、いかで御心に入らむと思ふころ、例よりはなつかしう召し使ひて、 |
ただそのことを、最近は考え込んでいらっしゃった。賭弓や、内宴などが過ぎて、のんびりとした時に、司召などといって、皆が夢中になっていることは、何ともお思いにならないで、宇治へこっそりとお出かけになることばかりをご思案なさる。この大内記は、期待するところがあって、昼夜、何とか気に入ってもらおうと思っているとき、いつもより親しく召し使って、 |
「いと難きことなりとも、わが言はむことは、たばかりてむや」 |
「たいへん難しいことではあるが、わたしの言うことを、何とかしてくれないか」 |
などのたまふ。かしこまりてさぶらふ。 |
などとおっしゃる。恐縮して承る。 |
「いと便なきことなれど、かの宇治に住むらむ人は、はやうほのかに見し人の、行方も知らずなりにしが、大将に尋ね取られにける、と聞きあはすることこそあれ。たしかには知るべきやうもなきを、ただ、ものより覗きなどして、それかあらぬかと見定めむ、となむ思ふ。いささか人に知るまじき構へは、いかがすべき」 |
「たいそう不都合なことだが、あの宇治に住んでいるらしい人は、早くにちらっと会った女で、行く方が分からなくなったのが、大将に捜し出された人と、思い当たるところがあるのだ。はっきりとは知る手立てもないが、ただ、物の隙間から覗き見して、その女か違うかと確かめたい、と思う。まったく誰にも知られない方法は、どうしたらよいだろうか」 |
とのたまへば、「あな、わづらはし」と思へど、 |
とおっしゃるので、「何と、やっかいな」と思うが、 |
「おはしまさむことは、いと荒き山越えになむはべれど、ことにほど遠くはさぶらはずなむ。夕つ方出でさせおはしまして、亥子の時にはおはしまし着きなむ。さて、暁にこそは帰らせたまはめ。人の知りはべらむことは、ただ御供にさぶらひはべらむこそは。それも、深き心はいかでか知りはべらむ」 |
「お出かけになることは、たいへん険しい山越えでございますが、格別遠くはございません。夕方お出かけあそばして、亥子の刻にはお着きになるでしょう。そうして、早朝にはお帰りあそばせましょう。誰か気づくとすれば、ただお供する者だけでございしょう。それも、深い事情はどうして分かりましょう」 |
と申す。 |
と申し上げる。 |
「さかし。昔も、一度二度、通ひし道なり。軽々しきもどき負ひぬべきが、ものの聞こえのつつましきなり」 |
「そうだ。昔も一、二度は、通ったことのある道だ。軽々しいと非難されるのが、その評判が気になるのだ」 |
とて、返す返すあるまじきことに、わが御心にも思せど、かうまでうち出でたまへれば、え思ひとどめたまはず。 |
と言って、繰り返しとんでもないことだと、自分自身反省なさるが、このようにまでお口に出されたので、お思い止めなさることはできない。 |