第二章 浮舟と匂宮の物語 匂宮、薫の声をまねて浮舟の寝所に忍び込む
6. 右近、匂宮と浮舟の密事を隠蔽す
本文 |
現代語訳 |
右近出でて、このおとなふ人に、 |
右近が出て来て、この声を出した人に、 |
「かくなむのたまはするを、なほ、いとかたはならむ、とを申させたまへ。あさましうめづらかなる御ありさまは、さ思しめすとも、かかる御供人どもの御心にこそあらめ。いかで、かう心幼うは率てたてまつりたまふこそ。なめげなることを聞こえさする山賤などもはべらましかば、いかならまし」 |
「これこれとおっしゃっていますが、やはり、とても見苦しいなさりようです、と申し上げてください。驚くほど目にもあまるようなお振る舞いは、どんなにお思いになっても、あなた方お供の人びとの考えでどうにでもなりましょう。どうして、こう無分別にも宮をお連れ申し上げなさったのですか。無礼な行ないを致す山賊などが途中で現れましたら、どうなりましょう」 |
と言ふ。内記は、「げに、いとわづらはしくもあるかな」と思ひ立てり。 |
と言う。内記は、「なるほど、とてもやっかいなことであるなあ」と思って立っている。 |
「時方と仰せらるるは、誰れにか。さなむ」 |
「時方とおっしゃる方は、どなたですか。これこれとおっしゃっています」 |
と伝ふ。笑ひて、 |
と伝える。笑って、 |
「勘へたまふことどもの恐ろしければ、さらずとも逃げてまかでぬべし。まめやかには、おろかならぬ御けしきを見たてまつれば、誰れも誰れも、身を捨ててなむ。よしよし、宿直人も、皆起きぬなり」 |
「お叱りなさることが恐ろしいので、ご命令がなくても逃げ出しましょう。本当のところを申し上げますと、並々でないご愛情を拝見しますと、皆が皆、身を捨てて参ったのです。よいよい、宿直人も、皆起きたようです」 |
とて急ぎ出でぬ。 |
と言って急いで出て行った。 |
右近、「人に知らすまじうは、いかがはたばかるべき」とわりなうおぼゆ。人びと起きぬるに、 |
右近は、「人に知られないようにするには、どうだましたらよいものか」と困りきっている。女房たちが起きたので、 |
「殿は、さるやうありて、いみじう忍びさせたまふけしき見たてまつれば、道にていみじきことのありけるなめり。御衣どもなど、夜さり忍びて持て参るべくなむ、仰せられつる」 |
「殿は、ある理由があって、ひどくこっそりといらっしゃっています様子を拝見しますと、道中で大変なことがあったようです。お召物などを、夜になってこっそりと持参するように、お命じになっています」 |
など言ふ。御達、 |
などと言う。御達は、 |
「あな、むくつけや。木幡山は、いと恐ろしかなる山ぞかし。例の、御前駆も追はせたまはず、やつれておはしましけむに、あな、いみじや」 |
「まあ、気味が悪い。木幡山は、とても恐ろしいという山ですよ。いつものように、お先も払わせなさらず、身を簡略にしていらっしゃったので、まあ、大変なこと」 |
と言へば、 |
と言うので、 |
「あなかま、あなかま。下衆などの、ちりばかりも聞きたらむに、いといみじからむ」 |
「お静かに、お静かに。下衆どもが、少しでも聞きつけたら、とても大変なことになりましょう」 |
と言ひゐたる、心地恐ろし。あやにくに、殿の御使のあらむ時、いかに言はむと、 |
と言っているが、嘘をつくのが恐ろしい。具合悪く、殿のお使いが来た時にはどのように言おうと、 |
「初瀬の観音、今日事なくて暮らしたまへ」 |
「初瀬の観音様、今日一日がご無事で暮らせますように」 |
と、大願をぞ立てける。 |
と、大願を立てるのであった。 |
石山に今日詣でさせむとて、母君の迎ふるなりけり。この人びともみな精進し、きよまはりてあるに、 |
石山寺に今日参詣させようとして、母君が迎えに来るのであった。この邸の女房たちも皆精進潔斎をし、身を清めていたが、 |
「さらば、今日は、え渡らせたまふまじきなめり。いと口惜しきこと」 |
「それでは、今日は、お出かけになるわけにはゆかないでしょう。とても残念なこと」 |
と言ふ。 |
と言う。 |