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浮舟

第二章 浮舟と匂宮の物語 匂宮、薫の声をまねて浮舟の寝所に忍び込む   

8. 匂宮と浮舟、一日仲睦まじく過ごす    

 

本文

現代語訳

 例は暮らしがたくのみ、霞める山際を眺めわびたまふに、暮れ行くはわびしくのみ思し焦らるる人に惹かれたてまつりて、いとはかなう暮れぬ。紛るることなくのどけき春の日に、見れども見れども飽かず、そのことぞとおぼゆる隈なく、愛敬づきなつかしくをかしげなり。

 いつもは時間のたつのも長く感じられ、霞んでいる山際を眺めながら物思いに耽っていたのに、日の暮れて行くのが侘しいとばかり思い焦がれていらっしゃる方に惹かれ申して、まことにあっけなく暮れてしまった。誰に妨げられることのない長い春の日を、いくら見てもいて見飽きず、どこがと思われる欠点もなく、愛嬌があって、慕わしく魅力的である。

 さるは、かの対の御方には似劣りなり。大殿の君の盛りに匂ひたまへるあたりにては、こよなかるべきほどの人を、たぐひなう思さるるほどなれば、「また知らずをかし」とのみ見たまふ。

 その実は、あの対の御方には見劣りがするのである。大殿の姫君の女盛りで美しくいらっしゃる方に比べたら、お話にもならないほどの女なのに、二人といないと思っていらっしゃる時なので、「こんなによい女は他に知らない」とばかり思っていらっしゃる。

 女はまた、大将殿を、いときよげに、またかかる人あらむやと見しかど、「こまやかに匂ひきよらなることは、こよなくおはしけり」と見る。

 女はまた一方、大将殿を、とても美しそうで他にこのような方がいるだろうかと思っていたが、「情愛こまやかで輝くような美しさは、この上なくいらっしゃるなあ」と思う。

 硯ひき寄せて、手習などしたまふ。いとをかしげに書きすさび、絵などを見所多く描きたまへれば、若き心地には、思ひも移りぬべし。

 硯を引き寄せて、手習などをなさる。たいそう美しそうに書き遊んで、絵などを上手にたくさんお描きになるので、若い女心には、愛情も移ることであろう。

 「心より外に、え見ざらむほどは、これを見たまへよ」

 「思うにまかせず、お逢いになれない時は、この絵を御覧なさい」

 とて、いとをかしげなる男女、もろともに添ひ臥したる画を描きたまひて、

 と言って、とても美しそうな男と女が、一緒に添い臥している絵を描きなさって、

 「常にかくてあらばや」

 「いつもこうしていたいですね」

 などのたまふも、涙落ちぬ。

 などとおっしゃるのにも、涙が落ちた。

 「長き世を頼めてもなほ悲しきは

   ただ明日知らぬ命なりけり

 「末長い仲を約束してもやはり悲しいのは

   ただ明日を知らない命であるよ

 いとかう思ふこそ、ゆゆしけれ。心に身をもさらにえまかせず、よろづにたばからむほど、まことに死ぬべくなむおぼゆる。つらかりし御ありさまを、なかなか何に尋ね出でけむ」

 まことにこのように思うのは、縁起でもないことだ。思いのままに訪ねることがまったくできず、万策めぐらすうちに、ほんとうに死んでしまいそうに思われる。つらかったご様子を、かえってどうして探し出したりしたのだろうか」

 などのたまふ。女、濡らしたまへる筆を取りて、

 などとおっしゃる。女は、濡らしていらっしゃる筆を取って、

 「心をば嘆かざらまし命のみ

   定めなき世と思はましかば」

 「心変わりなど嘆いたりしないでしょう

   命だけが定めないこの世と思うのでしたら」

 とあるを、「変はらむをば恨めしう思ふべかりけり」と見たまふにも、いとらうたし。

 とあるのを、「心変わりするのを恨めしく思うようだ」と御覧になるにつけても、まことにかわいらしい。

 「いかなる人の心変はりを見ならひて」

 「どのような人の心変わりを見てなのか」

 など、ほほ笑みて、大将のここに渡し初めたまひけむほどを、返す返すゆかしがりたまひて、問ひたまふを、苦しがりて、

 などと、にっこりして、大将がここに連れて来なさった当時のことを、繰り返し知りたくなって、お尋ねになるのを、つらく思って、

 「え言はぬことを、かうのたまふこそ」

 「申し上げられませんことを、このようにお尋ねになるとは」

 と、うち怨じたるさまも、若びたり。おのづからそれは聞き出でてむ、と思すものから、言はせまほしきぞわりなきや。

 と、恨んでいる様子も、若々しい。自然とそれは聞き出そう、とお思いになる一方で、言わせたく思うのも困ったことだ。



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