第六章 浮舟と薫の物語 浮舟、右近の姉の悲話から死を願う
5. 薫、宇治へ随身を遣わす
本文 |
現代語訳 |
「我、すさまじく思ひなりて、捨て置きたらば、かならず、かの宮、呼び取りたまひてむ。人のため、後のいとほしさをも、ことにたどりたまふまじ。さやうに思す人こそ、一品宮の御方に人、二、三人参らせたまひたなれ。さて、出で立ちたらむを見聞かむ、いとほしく」 |
「自分が、嫌気がさしたといって、見捨てたら、きっと、あの宮が、呼び迎えなさろう。相手にとって、将来がお気の毒なのも、格別お考えなさるまい。そのように寵愛なさる女は、一品宮の御方のもとに女房を、二、三人出仕させなさったという。そのように、出仕させたのを見たり聞いたりするのも、気の毒なことだ」 |
など、なほ捨てがたく、けしき見まほしくて、御文遣はす。例の随身召して、御手づから人間に召し寄せたり。 |
などと、やはり見捨てがたく、様子を見たくて、お手紙を遣わす。いつもの随身を呼んで、ご自身で直接人のいない間に呼び寄せた。 |
「道定朝臣は、なほ仲信が家にや通ふ」 |
「道定朝臣は、今でも仲信の家に通っているのか」 |
「さなむはべる」と申す。 |
「そのようでございます」と申す。 |
「宇治へは、常にやこのありけむ男は遣るらむ。かすかにて居たる人なれば、道定も思ひかくらむかし」 |
「宇治へは、いつもあの先程の男を使いにやるのか。ひっそり暮らしている女なので、道定も思いをかけるだろうな」 |
と、うちうめきたまひて、 |
と、溜息をおつきになって、 |
「人に見えでをまかれ。をこなり」 |
「人に見られないように行け。馬鹿らしいからな」 |
とのたまふ。かしこまりて、少輔が常にこの殿の御こと案内し、かしこのこと問ひしも思ひあはすれど、もの馴れてえ申し出でず。君も、「下衆に詳しくは知らせじ」と思せば、問はせたまはず。 |
とおっしゃる。緊張して、少輔がいつもこの殿の事を探り、あちらの事を尋ねたことも思い合わされるが、なれなれしくは申し出ることもできない。君も、「下衆に詳しくは知らせまい」とお思いになったので、尋ねさせなさらない。 |
かしこには、御使の例よりしげきにつけても、もの思ふことさまざまなり。ただかくぞのたまへる。 |
あちらでは、お使いがいつもより頻繁にあるのにつけても、あれこれ物思いをする。ただこのようにおっしゃっていた。 |
「波越ゆるころとも知らず末の松 待つらむとのみ思ひけるかな |
「心変わりするころとは知らずにいつまでも 待ち続けていらっしゃるものと思っていました |
人に笑はせたまふな」 |
世間の物笑いになさらないでください」 |
とあるを、いとあやしと思ふに、胸ふたがりぬ。御返り事を心得顔に聞こえむもいとつつまし、ひがことにてあらむもあやしければ、御文はもとのやうにして、 |
とあるのを、とても変だと思うと、胸が真っ暗になった。お返事を理解したように申し上げるのも気がひける、何かの間違いだっら具合が悪いので、お手紙はもとのように直して、 |
「所違へのやうに見えはべればなむ。あやしく悩ましくて、何事も」 |
「宛先が違うように見えますので。妙に気分がすぐれませんので、何事も申し上げられません」 |
と書き添へてたてまつれつ。見たまひて、 |
と書き添えて差し上げた。御覧になって、 |
「さすがに、いたくもしたるかな。かけて見およばぬ心ばへよ」 |
「そうはいっても、うまく言い逃れたな。少しも思ってもみなかった機転だな」 |
とほほ笑まれたまふも、憎しとは、え思し果てぬなめり。 |
とにっこりなさるのも、憎いとは、お恨み切れないのであろう。 |