第七章 浮舟の物語 浮舟、匂宮にも逢わず、母へ告別の和歌を詠み残す
4. 匂宮、宇治へ行く
本文 |
現代語訳 |
宮、「かくのみ、なほ受け引くけしきもなくて、返り事さへ絶え絶えになるは、かの人の、あるべきさまに言ひしたためて、すこし心やすかるべき方に思ひ定まりぬるなめり。ことわり」と思すものから、いと口惜しくねたく、 |
宮は、「こうしてばかり、依然として承知する様子もなくて、返事までが途絶えがちになるのは、あの人が、適当に言い含めて、少し安心な方に心が落ち着いたのだろう。もっともなことだ」とはお思いになるが、たいそう残念で悔しく、 |
「さりとも、我をばあはれと思ひたりしものを。あひ見ぬとだえに、人びとの言ひ知らする方に寄るならむかし」 |
「それにしても、わたしを慕っていたものを。逢わない間に、女房が説き聞かせた方に傾いたのであろう」 |
など眺めたまふに、行く方しらず、むなしき空に満ちぬる心地したまへば、例の、いみじく思し立ちておはしましぬ。 |
などと物思いなさると、恋しさは晴らしようもなく、むなしい空にいっぱい満ちあふれた気がなさるので、いつものように、大変なご決意でおいでになった。 |
葦垣の方を見るに、例ならず、 |
葦垣の方を見ると、いつもと違って、 |
「あれは、誰そ」 |
「あれは、誰だ」 |
と言ふ声々、いざとげなり。立ち退きて、心知りの男を入れたれば、それをさへ問ふ。前々のけはひにも似ず。わづらはしくて、 |
と言う声々が、目ざとげである。いったん退いて、事情を知っている男を入れたが、その男までを尋問する。以前の様子と違っている。やっかいになって、 |
「京よりとみの御文あるなり」 |
「京から急のお手紙です」 |
と言ふ。右近は徒者の名を呼びて会ひたり。いとわづらはしく、いとどおぼゆ。 |
と言う。右近は従者の名を呼んで会った。とても煩わしく、ますますやっかいに思う。 |
「さらに、今宵は不用なり。いみじくかたじけなきこと」 |
「全然、今夜はだめです。まことに恐れ多いことで」 |
と言はせたり。宮、「など、かくもて離るらむ」と思すに、わりなくて、 |
と言わせた。宮は、「どうして、こんなによそよそしくするのだろう」とお思いになると、たまらなくなって、 |
「まづ、時方入りて、侍従に会ひて、さるべきさまにたばかれ」 |
「まず、時方が入って、侍従に会って、しかるべくはからえ」 |
とて遣はす。かどかどしき人にて、とかく言ひ構へて、訪ねて会ひたり。 |
と言って遣わす。才覚ある人で、あれこれ言い繕って、探し出して会った。 |
「いかなるにかあらむ。かの殿ののたまはすることありとて、宿直にある者どもの、さかしがりだちたるころにて、いとわりなきなり。御前にも、ものをのみいみじく思しためるは、かかる御ことのかたじけなきを、思し乱るるにこそ、と心苦しくなむ見たてまつる。さらに、今宵は。人けしき見はべりなば、なかなかにいと悪しかりなむ。やがて、さも御心づかひせさせたまひつべからむ夜、ここにも人知れず思ひ構へてなむ、聞こえさすべかめる」 |
「どうしたわけでありましょう。あの殿がおっしゃることがあると言って、宿直にいる者どもが、出しゃばっているところで、まことに困っているのです。御前におかれても、深く思い嘆いていらっしゃるらしいのは、このようなご訪問のもったいなさを、悩んでいらっしゃるのだ、とお気の毒に拝しております。全然、今晩はだめです。誰かが様子に気づきましたら、かえってまことに悪いことになりましょう。そのまま、そのようにお考えあそばしている夜には、こちらでも誰にも知られず計画しまして、ご案内申し上げましょう」 |
乳母のいざときことなども語る。大夫、 |
乳母が目ざといことなども話す。大夫、 |
「おはします道のおぼろけならず、あながちなる御けしきに、あへなく聞こえさせむなむ、たいだいしき。さらば、いざ、たまへ。ともに詳しく聞こえさせたまへ」といざなふ。 |
「おいでになった道中が大変なことで、ぜひにもというお気持ちなので、はりあいもなくお返事申し上げるのは、具合が悪い。それでは、さあ、いらっしゃい。一緒に詳しく申し上げましょう」と誘う。 |
「いとわりなからむ」 |
「とても無理です」 |
と言ひしろふほどに、夜もいたく更けゆく。 |
と言い合いをしているうちに、夜もたいそう更けて行く。 |