13. みずから心に問う
本文 |
現代語訳 |
語彙 |
そもそも一期の月影かたぶきて、余算の山の端に近し。たちまちに三途の闇に向はんとす。何のわざをかかこたむとする。仏の教へ給ふおもむきは、事にふれて執心なかれとなり。今、草庵を愛するも、閑寂に著するも、さばかりなるべし。いかが要なき楽しみを述べて、あたら時を過さむ。静かなる暁、このことわりを思ひつづけて、みづから心に問ひていはく、世を遁れて山林に交るは、心ををさめて道を行はむとなり、しかるを汝、すがたは聖人にて、心は濁りに染めり、栖はすなはち浄名居士の跡をけがせりといへども、たもつところはわづかに周利槃特が行にだに及ばず、もしこれ貧賤の報のみづから悩ますか、はたまた妄心のいたりて狂せるか。そのとき心さらに答ふる事なし。ただかたはらに舌根をやとひて、※ 不請阿弥陀仏両三遍申してやみぬ。時に建暦の二年、弥生のつごもりごろ、桑門の蓮胤、外山の庵にしてこれをしるす。 |
思えば私の一生も、月が山の端に入ろうとしているようなもので、もう余命いくばくもない。まもなく三途の闇に向かおうとしている。この期に及んで、ああでもない、こうでもないと、いまさら愚痴を言ってみたところで、何になろう。仏の教えに従えば、何につけても執着は禁物なのである。今自分は、この草庵の閑寂に愛着を抱いているが、ただ、それだけのことである。これ以上不要の楽しみを述べて、貴重な時間を空費するのも、どうかと思われるから、もう言うまい。静かな暁、この道理を思念して、自分で自分の心に聞いてみた。遁世して、山林にはいったのは仏道修行のためだったではないか。そのはずだったのに、長明よ、お前は、風体だけは清浄だが、心は世俗の濁りに染まっている。草庵は維摩の方丈になぞらえていながら、持するところの精神の高さは、周利槃特の修行にさえ及ばない。貧賤の報いで、心が病んでいるのか、それとも妄心がやってきて、自分を狂わせているのか、と。だが、それに対して、心はひとことも答えなかった。言えないのである。ただ舌根をつれてきて、おいでを願えない阿弥陀仏の名を二、三度となえた以外には、なんの答えも出てこなかった。建暦二年三月尽、沙門蓮胤、日野の外山の庵にて、記し終わる。 |
つきかげ【月影】…【名詞】@月光。月明かり。月光の当たる所。A月の姿。B月明かりの中の姿。 おもむき【趣】…【名詞】@趣意。意向。心の動き。Aようす。内容。B風情(ふぜい)。情趣。 かんじゃく【閑寂】…【名詞】静かで、ものさびしいこと。俗世間から離れ、心が乱されない境地。「かんせき」とも。 ぢゃくす【着す】【著す】…【自サ変】執着する。 あかつき【暁】…【名詞】夜明け前。未明。▽夜半過ぎから夜明け近くのまだ暗い時分。「あけぼの」よりやや早い時刻をいう のがる【逃る】【遁る】…【自ラ下二】@逃げる。逃れる。避けて遠ざかる。A言い逃れる。 |