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12. 閑居の気味

本文

現代語訳

語彙

おほかたこの所に住みはじめし時はあからさまと思ひしかども、今すでに五年を経たり。仮の庵もややふるさととなりて、軒に朽葉ふかく、土居に苔むせり。おのづからことのたよりに都を聞けば、この山にこもりゐて後、やむごとなきのかくれ給へるもあまた聞ゆ。ましてその数ならぬたぐひ、尽してこれを知るべからず。たびたびの炎上にほろびたる家またいくそばくぞ。ただ仮の庵のみのどけくして、おそれなし。ほど狭しといへども、夜臥す床あり、昼ゐる座あり。一身を宿すに不足なし。寄居は小さき貝を好む。これ知れるによりてなり。みさごは荒磯にゐる。すなはち人をおそるるがゆゑなり。われまたかくのごとし。を知り、世を知れれば、願はず、わしらず、ただ静かなるを望み、憂へ無きを楽しみとす。

そもそも当分の間の仮住まいのつもりだったのだが、今までに、もう五年たっている。だんだん土地に馴染んで、軒には朽ち葉がたまり、土居には苔がむした。いろいろな事のついでに、自然に聞こえてくる京都の様子では、私がこの山にこもってから、高貴の方々もだいぶ亡くなられたらしい。まして、そういう数にはいらない人たちにいたっては、おそらく数えきれまい。再三の火事で焼けた家なども、どれほどあろうか。ただ、こういう仮の庵だけが、のどかにこうやって暮らせて、何の心配もなしにいられるのだ。手狭とはいえ、とにかく寝る所はあり、起きて居る所もある。一人で住む分には十分だ。やどかりというやつは、小さい貝に住み、けっして大きな貝に宿を借りようとはしない。大きな貝に宿を借りるのは危険だということを、すなわち生命の大事を知っているのだ。みさごという鳥は荒磯にいる。波風はげしい荒磯より、人間のほうが怖いからだ。私も、彼らと同様である。街なかに住めば、どういう大事に立ち至るか、世間というものはどういうものかを知ったから、羨みもしないし、あくせくもしない。ただ、静かにしていたいと思い、心配がないのが何よりだと思っている。

おほかた【大方】…【接続詞】そもそも。総じて。▽話題を改めたりするときに用いる。

 

 

 

やや【稍】【漸】…【副詞】@だいぶ。ちょっと。いくらか。▽程度が普通でないようす。Aしだいに。だんだんと。やがて。▽程度が少しずつ増していくようす。

こけむす【苔生す】【苔産す】…【自サ四】こけが生える。▽長い年月を経るなどの意を暗に示すことも多い。

ことのたより【事のたより】…【連語】@何かにつけての便宜。A物事のついで。=事のついで。

やむごとなし…【形ク】@よんどころない。打ち捨てておけない。A格別に大切だ。特別だ。この上ない。並たいていでない。B高貴だ。尊ぶべきだ。重々しい。

いくそばく【幾十許】…【副詞】どれぐらい数多く。どれほど。

のどけし【長閑けし】…【形ク】@天気が穏やかだ。のどかだ。うららかだ。A落ち着いている。ゆったりしている。のんびりしている。

かむな 【寄居虫】【寄居子】…【名詞】貝の名。やどかりの古名。「かうな」「がうな」とも。

 

みさご【鶚】【雎鳩】…【名詞】鳥の名。猛禽(もうきん)で、海岸・河岸などにすみ、水中の魚を捕る。岩壁に巣を作り、夫婦仲がよいとされる。

 

 

   

惣て世の人の栖を作るならひ、必ずしものためにせず。或は妻子眷属のために作り、或は親昵朋友のために作る。或は主君師匠および財宝牛馬のためにさへこれを作る。われ今身のためにむすべり。人のために作らず。ゆゑいかんとなれば、今の世のならひ、この身のありさま、ともなふべき人もなく、頼むべき奴もなし。縦ひろく作れりとも、誰を宿し、誰をか据ゑん。それ、人の友とあるものは富めるをたふとみ、ねむごろなるを先とす。必ずしもなさけあると、すなほなるとをば愛せず。ただ糸竹 花月を友とせんにはしかじ。人の奴たるものは、賞罰はなはだしく恩顧あつきを先とす。さらに育みあはれむと、安く静かなるとをば願はず。ただわが身を奴婢とするにはしかず。

おしなべていって、世間の人が住まいを作る動機は、一大事のためではない。妻子一族のためであったり、親しい知友のためであったり、自分が仕えている主君や師匠のためであったり、ときには財宝や牛馬のためにさえ造ったりする。今、私は自分のために方丈の庵を結んだ。一大事のためでもないが、他人のためでもない。なぜそうしたかといえば、今日のような乱世における、自分の境遇として、いっしょに住まわせる人があるわけではなし、頼みとする忠僕がいるわけでもない。広い家を建ててみたところで、誰を泊まらせ、誰を居させるあてがあろう。今の時代の友だちづきあいをみていると、財産のある者を重んじ、愛想のいい者とまず親しくなろうとする。必ずしも友情のある者、率直な者を愛しようとしているのではない。そんなことなら、友だちを求めず、楽器や季節を友としているほうがましだ。また、下僕も、大げさな賞を与えたり、待遇をよくしてくれる主人につこうとし、いたわって使ってくれるとか、平穏無事だとかいうことは問題にしない。そういうわけなら、自分自身を下僕とする方が、気がきいている。

そうじて【総じて】【惣じて】…【副詞】@すべて。全部で。Aおおよそ。だいたい。一般に。

 

けんぞく【眷属】…【名詞】@身内の者。一族。A家来。配下の者。従者。

しんぢつ【親昵】…【名詞】親しみなじむこと。また、親しい間柄

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たふとむ【尊む】【貴む】…【他マ四】尊ぶ。尊重する。

 

 

 

 

 

 

 

 

おんこ【恩顧】…【名詞】めぐみ。ひきたて。

はぐくみ【育み】…【名詞】大切に育てること。養育。

あはれむ【哀れむ】【憐れむ】…【他マ四】@しみじみと感じ賞美する。Aあわれみをかける。同情する

ぬひ【奴婢】…【名詞】@召使い。下男下女。A令制下で最下位の身分の男女。「奴」が男子で、「婢」が女子。

   

いかが奴婢とするとならば、もしなすべき事あれば、すなはちおのが身を使ふ。たゆからずしもあらねど、人をしたがへ、人をかへりみるよりやすし。もし歩くべき事あれば、みづから歩む。苦しといへども、馬鞍牛車と心を悩ますにはしかず。今、一身をわかちて二つの用をなす。手の奴、足の乗り物、よくわが心にかなへり。身、心の苦しみを知れれば、苦しむ時は休めつ、まめなれば使ふ。使ふとても、たびたび過さずもの憂しとても、心を動かす事なし。いかにいはむや、常に歩き、常に働くは、養性なるべし。なんぞいたづらに休みをらん。人を悩ます、罪業なり。いかが他の力を借るべき。衣食のたぐひ、また同じ。藤の衣、麻のふすま、得るにしたがひて、肌をかくし、野辺のおはぎ、峰の木の実、わづかに命を継ぐばかりなり。人に交らざれば、姿を恥づる悔もなし。乏しければ、おろそかなるをあまくす。惣て、かやうの楽しみ、富める人に対して言ふにはあらず。ただわが身ひとつにとりて、昔今とをなぞらふるばかりなり。

どのように「自分を下僕とするのか」と言われれば、もし何かすることがあれば、ほかでもない、自分の体を動かしてするということである。疲れて気のすすまぬことがない訳ではないが、人を使って、そのために気を遣うよりは、気楽だ。歩かなければならない所へは、自分で歩いて行く。苦しくはあっても、馬だ、鞍だ、牛だ、車だと、めんどうな思いをするよりはましである。今、この身一つに二役を兼ねさせる。命ぜられる手・足と、命ずる身と。手という奴、足という乗物は、わが心の思うように動いてくれる。また、身のほうも、心の苦しみを知っているから、苦しいときは休めるし、元気であれば使う。使うといっても、度を過すことはない。物憂く、働きたくないといっても腹も立たない。いつも歩いたり、動いたりしているほうが、体のためにも、いいのだ。ただじっとして、体の悪くなるのを待っている必要があろうか。また、人を使って、苦労させるということは、罪を作っているようなものである。どうして他人の力が借りられよう。衣食についても、同じである。藤の衣・麻の夜着でも、あり合わせた物で体を包み、野辺のよめ菜でも、峰の木の実でも、手に入った物を食べて、命をつなぐことができれば、それでいい。社交場に出入りするわけではないから、身なりのことで、恥ずかしく思うこともない。食料が少ないから、つまらないものも、おいしくなる。以上述べてきたような嗜みは、富み栄えている人に対していうことではない。ただ、私一個の経験からいうのだが、その今の嗜みを、昔に比べているだけである。

 

 

 

 

 

したがふ【従ふ】【随ふ】…【他ハ下二】@指図する。服従させる。思いのままにする。A率いる。供として連れていく。

かへりみる【顧みる】…【他マ上一】@ふりかえって見る。A心にかける。気にかける。懸念する。反省する。B目をかける。世話をする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふすま【衾】【被】…【名詞】寝るときに身体にかける夜具。かけ布団・かいまきなど。

 

   

それ三界はただ心ひとつなり。心もしやすからずは象馬七珍もよしなく、宮殿楼閣も望みなし。今、さびしき住ひ、一間の庵、みづからこれを愛す。おのづから都に出でて身の乞匃となれる事を恥づといへども、帰りてここにをる時は他の俗塵に馳する事をあはれむ。もし人この言へる事を疑はば、魚と鳥とのありさまを見よ。魚は水に飽かず、魚にあらざればその心を知らず。鳥は林をねがふ、鳥にあらざればその心を知らず。閑居の気味もまた同じ。住まずして誰かさとらむ。

ああ、この世界は、心の持ち方一つだ。心が安らかでなかったら、象や馬や七つの珍宝があっても、ある意味がないし、宮殿楼閣があっても、希望はもてない。今、さびしい住まい、一間の庵にはいるが、ここは自分で気に入っている。都に出かけることがあって、わが身を顧み、ずいぶん落ちぶれたもんだと思うことがあっても、ここに帰ってくると、東奔西走している連中が、返って気の毒になる。もし、この言葉を疑うとすれば、たとえば魚や、鳥の生態を見るがよい。魚は一生、水の中にいて、水の中が飽きたとは言わない。魚でなければ、その気持はわからない。鳥はいつでも林の中にいたがる。鳥でなければ、その気持はわからない。閑居のよろしさも、それと同じだ。住んでもみずに、何がわかろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぞくぢん【俗塵】…【名詞】俗世間の塵(ちり)。世俗の雑事。俗世間の煩わしさをたとえる。

あはれむ【哀れむ】【憐れむ】…【他マ四】@しみじみと感じ賞美する。Aあわれみをかける。同情する

 




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1 あからさま…臨時。当座。かりそめ。

2 やむごとなき人…『方丈記』の書かれた建暦二(一二一二)年まで最近、十年間には次の記録がある。

建仁二・一〇・二一 内大臣土御門通親薨

元久三・三・七 摂政九条良基薨

承元元・四・` 前関白九条兼実薨

承元三・八・一二 皇太后(忻子)崩

同 四・四・一二 坊門院(範子)崩

建暦元・六・二六 八条院崩

同 元・二・八 春華門院(昇子)崩

3 たびたびの炎上…原本「の」なし。諸本により補入。

4 寄居…やどかり。原文、かな書きの右に「寄居」とある。

5 …大事、変事。その事態を予測し、状況を見透しているという意味で「事知れる」といっているので、上文をうけ、小さい貝のほうが安全だということを知っているからである、の意。

6 …この「事」も上に同じ。

7わしら…「わしる」は「はしる」に同じ。あたふたする。

8 …この「事」も、大事の意味。前述のやどかりの比喩から察せられるところでは、生命の危険を知っていることを「事知れる」とするのだから、人間、人生の門題にすえ直せば、「一大事の因縁」(徒然草百八十八段)というようなことになろう。だが世間の人はけっして一大事のために家を建てるのではなく、世俗的な要求から家を建てる。自分も一大事のために家を建てているのでないことは世間の人と同じだが、世間の人とちがうところは、それが他人のためでなく、自分のためだという点にある。といいたいのであろう。以上の三つの「事」、諸本では「身」となっている。

9 ゆゑいかん…『維摩経』の「弟子品」「菩薩品」に「所以者何、―(是)故―」という形の問答が十二回くり返される。

10 ともなふべき人…「ともなふべき人」は、いっしょに隠棲しようと思うような人、の意。

11 ねむごろなる…元来、懇切、ていねい、親密の意であるが、ここでは、それに俗悪なニュアンスを与えて使っている。べたべたと寄りついてくる者、阿諛追従する者、贈答手厚き者、等々。

12 糸竹…「糸」は絃楽器、「竹」は管楽器。

13 花月…春の花、秋の月。

14 しかじ…しくまい。…したほうがましだろう。「しく」は元来、追いつく意。「しかず」は元来…に越すことはない意。

15 賞罰…早く、聖徳太子十七条憲法の第十一に賞罰必当が説かれているが、ここでは賞のほうにアクセントがつけられている。

16 いかが…どのように。

17 たゆ…「たゆし」は疲れて、だるく、体を動かしたくない気持。

18 身、心の苦しみを知れれば…「心、身の苦しみを知れれば」(前田本など)とあるほうが解しやすいが、底本は「身、心の」とある。

19 まめ…「まめ」は、誠実、勤勉の意であるが、ここでは健康の意。

20 たびたび過さず…回数を多くしすぎるような無理はさせない。

21 もの憂し…ものうい気持。仕事がしたくない感じ。

22 心を動かす…感情に左右される、感情的になる、腹を立てる意味に使っているらしい。

23 養性…養生。

24 悩ます…諸本、「悩ます」の次に「は」がある。

25 藤の衣…藤の衣は葛の繊維を編みまたは織って作った粗末な衣服。

26 おはぎ…よめ菜。若葉は食用にする。

27 …口に含んだ物。食物。底本「報」。諸本により改む。

28 三界…欲界・色界・無色界の三つの世界を一切衆生は生きたり死んだりして輪廻すると仏教ではいう。『法華経』の「譬喩品」は三界を火宅にたとえ、「信解品」以下において、その三界からの得脱を解く。

29 心ひとつ…「三界唯一心、心外無別法」(華厳経)の語によったものか。

30 象馬七珍…『法華経』の「提婆達多箔品」の初めに、仏が「心無悋惜、象馬七珍、国城妻子、奴婢僕従、頭目髄脳、身肉手足、不惜駆命、…」と、一切を惜しまず布施したことを説く一条がある。

31 宮殿楼閣…どこにでもあることばだが、『法華経』の「随喜功徳品」に「…諸妙珍宝、及象馬車乗、七宝所成、官殿楼閣等、是大施主、如是布施、満八十年已、而作是念、…」とあるあたりが、ここの場合、意識されていたか。

32 乞匃…乞食。