25. すさまじきもの | |
本文 | 現代語訳 |
すさまじきもの 晝ほゆる犬、春の網代。三四月の紅梅の衣。牛死にたる牛飼。ちご亡くなりたる産屋。火おこさぬ炭櫃、地火爐。博士のうちつづき女子生ませたる。方たがへにいきたるに、あるじせぬ所。まいて節分などはいとすさまじ。 | 不似合いなもの、昼吠える犬、春の網代。三、四月の紅梅襲の下着。牛の死んだ牛小屋。幼児が亡くなった産屋。火を起こさぬ暖炉、かまど。博士が打ち続いて女の子を生ませたことも不似合いだ。方違えに行ったのに、全く饗応しない家。まして、節分などはたいそう似つかわしくない。 |
人の國よりおこせたるふみの物なき。京のをもさこそ思ふらめ、されどそれはゆかしきことどもをも書きあつめ、世にある事などをもきけばいとよし。人のもとにわざときよげに書きてやりつるふみの返りごと、いまはもてきぬらんかし、あやしうおそき、とまつほどに、ありつる文、立文をもむすびたるをも、いときたなげにとりなしふくだめて、上にひきたりつる墨などきえて、「おはしまさざりけり」もしは、「御物忌とてとりいれず」といひてもて歸りたる、いとわびしくすさまじ。 | 地方より送ってくる手紙などがないこと。京の物でもそう思うであろうが、しかし、それは、心惹かれることなどを書き集め、世の中の事件を書いてあればなおのこと良い。人のもとへわざと丁寧に書いて送った手紙の返事が、今はもう持って来ていいころかしら、妙に遅い、と、待っている間に、例の手紙、立文を結んであったのを、たいそう汚げに繕い、ばさばさになって、封じ目に引いた墨などが手ずれで消えて、「宛先不明」だとか、「物忌み中なので取り入れません」だとか言って持って帰ってくるのは、たいそう切なく似つかわしくないことだ。 |
また、かならず来べき人のもとに車をやりてまつに、来る音すれば、さななりと人々いでて見るに、車宿にさらにひき入れて、轅ほうとうちおろすを、「いかにぞ」と問へば、「けふはほかへおはしますとてわたり給はず」などうちいひて、牛のかぎりひきいでて往ぬる。 | また、必ず来るはずの人のもとに、車を出して待っていると、来る音がするので「来たのだな」と、召し使い達が出てみると、車庫にどんどん引き入れて、ながえをポンと打ち下ろすので、「どうしたのですか」と訊けば、「今日は他へお出かけになるとのことで、ご来訪いたしません」などと言い捨てて、牛だけを引きだしていってしまうこと。 |
また家のうちなる男君の来ずなりぬる、いとすさまじ。さるべき人の宮づかへするがりやりて、はづかしとおもひゐたるもいとあいなし。ちごの乳母の、ただあからさまにとていでぬるほど、とかくなぐさめて、「とく来」といひやりたるに、「今宵はえまゐるまじ」とて返しおこせたるは、すさまじきのみならず、いとにくくわりなし。女むかふる男、まいていかならん。まつ人ある所に、夜すこしふけて、忍びやかに門たたけば、むねすこしつぶれて、人いだして問はするに、あらぬよしなき者の名のりしてきたるも、返す返すもすさまじといふはおろかなり。 | また、婿としている男君が来なくなってしまうこと、たいそう不似合いだ。然るべき身分で宮仕している女にとられて、恥ずかしいと思い続けるのも、いかにも面白くない。幼児の育ての母が、ただちょっとと言って退出している間、なにくれとあやして、「早く来い」と、言い寄るのに、「今夜はとても参れません」などと返してくるのは、不似合いどころかたいそう憎らしく不条理だ。まして、女を迎える男はどうであろうか。待つ人がある時に、少し夜が更けて、忍びやかに門が叩かれると、胸が少しどきりとして、人を使いに出して尋ねさせるが、別のつまらぬゆかりのない者が名乗り出てきたというのも、返す返すも、面白くないどころではない。 |
験者の物のけ調ずとて、いみじうしたりがほに獨鈷や数珠などもたせ、せみの聲しぼりいだして誦みゐたれど、いささかさりげもなく、護法もつかねば、あつまりゐ念じたるに、男も女もあやしとおもふに、時のかはるまで誦みこうじて、「さらにつかず。たちね」とて、数珠とり返して、「あな、いと験なしや」とうちいひて、額よりかみざまにさくりあげ、あくび おのれ うちしてよりふしぬる。いみじうねぶたしとおもふに、いとしもおぼえぬ人の、おしおこしてせめて物いふこそいみじうすさまじけれ。 | 修験道の行者が、物の怪を制伏滅除すると言って、得意顔で獨鈷や数珠などを「よりまし」と称する童女にもたせ、セミの鳴くような声を絞り出して読経しても、一向に制伏されそうもなく、護法童子もつかないので、集まって念じるが、男も女も変だと思っているが、時が変わるまで(二時間以上)誦みあぐんで、「一向に護法が乗り移らない。立ちなさい」と言って、数珠を取り返して、「ああ、霊験のないことよ」と言って、額から髪をさくりあげて、あくびをおのずからちょっとして寝てしまう。たいそう眠たいと思うのに、それほど思ってもいない人が揺り起して、責めて口をきくことは、たいそう似つかわしくない。 |
除目に司得ぬ人の家。今年はかならずと聞きて、はやうありし者どものほかほかなりつる、田舎だちたる所に住むものどもなど、みなあつまりきて、出で入る車の轅もひまなく見え、物まうでする供に、我も我もとまゐりつかうまつり、ものくひ、酒のみ、ののしりあへるに、はつる暁まで門たたく音もせず、あやしうなど耳立ててきけば、前駆おふこゑごゑなどして、上達部などみな出で給ひぬ。ものききに、宵よりさむがりわななきをりける下衆男、いと物うげにあゆみくるを、見る者どもはえ問ひにだにも問はず。外よりきたる者などぞ、「殿はなににかならせ給ひたる」などとふに、いらへには、「なにの前司にこそは」などぞかならずいらふる。まことにたのみけるものは、いとなげかしとおもへり。つとめてになりて、ひまなくをりつる者ども、ひとりふたりすべりいでて往ぬ。ふるき者どもの、さもえいきはなるまじきは、来年の國々、手を折りてうちかぞへなどして、ゆるぎありきたるも、いとほしうすさまじげなり。 | 除目に官職を得ない人の家は似つかわしくない。今年は必ず官職を得ると聞いて、以前奉公していた者達で今は散り散りになっているのや、田含めいた所に住む者達などが、みんな集まりきて、出入りする車の長柄も絶え間なく見え、参詣するお供に、我先にとお仕え申し上げ、物を食い、酒を飲み、語らいあうが、除目がすんでしまった明け方まで門を叩く音もせず、おかしいなどと耳をそばだてて聞けば、馬に乗って先導する人を追う声などして、除目に参列した公卿などはみな出てしまった。ようすを探り聞きに、昨夜より寒がり震える卑しい男、たいそうつらそうに歩いてくるのを、主人に仕える者どもは、どうだったと聞く勇気さえない。外より来た者などが、「殿は何にかなりましたか」と、訊くと、答えては、「前の何々の守ですよ」などときっと答える。主人の任官をしんそこあてにしていた者はたいそう悲観している。早朝になって、暇なくいた者たちは、一人二人と滑り出て行ってしまう。古参の者達でそうも見すてて行かれない者は、来年国司の交替があるはずの国々を、指折り数えなどしてえらそうにあるきまわる様子も、気の毒で似つかわしくないものである。 |
よろしうよみたるとおもふ歌を人のもとにやりたるに、返しせぬ。懸想人はいかがせん、それだにをりをかしうなどある返事せぬは、心おとりす。またさわがしう時めきたる所に、うちふるめきたる人の、おのがつれづれといとまおほかるならひに、むかしおぼえてことなることなき歌よみておこせたる。物のをりの扇、いみじとおもひて、心ありと知りたる人にとらせたるに、その日になりて、思はずなる繪などかきて得たる。 | よく詠めたと思う歌を人に贈ったのに返事がないのは、似つかわしくない。恋人の場合は人目もあることだからやむを得ない、しかしそれにしても、折ふし風情のある歌などに返事がないのは幻滅というものだ。また、慌ただしく時流に乗って栄えているところに、時代からとり残された旧人が、退屈で暇の多い自分の日常から、昔式の格別とりえもない歌をよんでよこしたこと。何か晴れの場合の檜扇を、大事だと思って、その方面に心得があると聞いている人に預けたところその日になって思いがけない絵などかいてよこしたことなど、不似合いだ。 |
産養、むまのはなむけなどの使に、禄とらせぬ。はかなき薬玉・卯槌などもてありく者などにも、なほかならずとらすべし。思ひかけぬことに得たるをば、いとかひありとおもふべし。これはかならずさるべき使と思ひ、心ときめきしていきたるは、ことにすさまじきぞかし。 | 出産の祝い、餞別に、ご祝儀がないこと。何ということもない薬玉・卯槌などを持って歩くものにさえ、必ず取らせるものだ。思いがけぬことにご祝儀を受ければ、たいそう価値があると思うに違いない。これは必ず祝儀が出るに違いない使だと思い、胸をときめかせて行った場合に祝儀がないのは、とりわけ似つかわしくないことなのだ。 |
婿取りして四五年まで産屋のさわぎせぬ所も、いとすさまじ。おとななる子どもあまた、ようせずは、孫などもはひありきぬべき人の親どち晝寝したる。かたはらなる子どもの心地にも、親の晝寝したるほどは、より所なくすさまじうぞあるかし。寝おきてあぶる湯は、はらだたしうさへぞおぼゆる。 | 婿取りして四五年たってもお産がないところもたいそう似つかわしくない。大人になった子供多数、悪くすると孫どもが這い歩く人の親同士が昼寝している。側にいる子供の気持ちのにも、親が昼寝していることは、頼るところなく、大変似つかわしくない。寝起きして浴びる湯は、腹立たしいとさえ思える。 |
十二月のつごもりのながあめ。「一日ばかりの精進解斎」とやいふらん。 | 十二月末の長雨は似つかわしくない。「あと一日という日に精進を怠ける」とでも言おうか。 |
以下精神内容に関し分類の段が続く。 | |
1 すさまじきもの…「すさまじ」は対象が規準となるものに調和せず不安定な感じを与え、そこから不快な感情が導かれる状態で、ものすごいの意はない。 2 網代…川瀬に竹や木を編み列ねて氷魚を捕える装置。冬季のものなので春のをすさまじとした。 3 紅梅の衣…紅梅襲(衣紅梅、裏蘇枋など)の下着。大体十一月の五節から二月頃までの間に着る。 4 地火爐…ヂクワロ・ヂヒロ・ヂホロなどとよむ。炭櫃のように暖房用でなく料理用のものらしい。 5 博士の…「博士の」は三巻本にないが他の諸本に従う。博士は明経・文章・明法・算等の諸道の博士。世襲であるが女子にはその資格がない。 6 方たがへ…陰陽道で、外出の際天一神または太白神の遊行する方角を忌み、一応他所に宿り中宿りして方角を違えてから目的地に行くこと。 7 あるじせぬ所…「あるじまうけ」すなわち饗応をしない家。 8 節分…節分は立春・立夏・立秋・立冬など季節の移り目をいう。この日方違をする慣例があった。 9 人の國…京都に対し地方のこと。また外国にもいう。 10 きてやりつるふみ…先刻こちらからおくった手紙。 11 立文…書状の包み紙でたてに包んだものを立文といい、巻いて端を折り結ぶものを結び文という。 12 上にひきたりつる墨などきえて…封じ目に引いた墨などが手ずれで消えて。 13 さななり…「さなるなり」の約。来たのだなの意。 14 車宿にさらにひき入れて…車庫にどんどん引き入れて。「さらに」は普通下に打消がくる。あるいは「たゝに」の誤りか。能因本「車やとりさまにやりいれて」。 15 ほうと…擬声語。ポンと。「う」は撥音の代用である。 16 家のうちなる男君…婿としている男性。能因本「家ゆすりてとりたるむこ」。当時の結婚の風習に留意したい。 17 さるべき人の宮づかへするがりやりて…然るべき身分で宮仕している女にとられて。通釈には親が宮仕人に娘を預ける意とする。 18 いとあいなし…いかにもおもしろくない。 19 ただあからさまにとていでぬるほど…ついちょつとといって退出したその間。 20 むねすこしつぶれて…胸がすこしどきりとして。 21 あらぬよしなき者の…別の、縁もない(つまらぬ)男が。 22 すさまじといふはおろかなり…おもしろくないどころではない。 23 調ず…調伏。身口意を調和し諸悪行を制伏滅除する義。真言の修法で怨霊を降すこと。 24 獨鈷…修験者の持つ具の一。長さ七八寸。銅または鉄製で両端を剣の形に造る。もと天竺の武器にかたどり煩悩を破砕し菩提を表彰するという。 25 もたせ…「よりまし」と称する童女に持たせる。 26 せみの聲…蝉の鳴くような声の意か。なお不審。 27 さりげもなく…然ありげもなく、即ち調伏されそうにもなく。一説に去り気もなく、即ち物の怪が退散しそうになくと解する。 28 護法…護法童子のこと。法のために使われる鬼神で、よりましに乗り移って病悩の由来や物の崇りなどを口走るので、それによって一層適切な祈祷をし、物の怪を調伏するのである。 29 時…「ジ」と音読する。一定の刻限の意。 30 誦みこうじて…誦みあぐんで。「こうじ」は「困じ」。 31 さらにつかず。…一向護法が乗り移らぬ。よりましへの詞。 32 額よりかみざまにざくりあげ…能因本に「かしらさくりあげて」とある。 33 いみじう…以下の一文、三巻本以外にはない。 34 いとしもおぼえぬ人の、おしおこして…それほど思ってもいない人が揺り起して。 35 除目に司得ぬ人の家…〔三〕の「除目の頃など」に共通する主題。 36 はやうありし者どものほかほかなりつる、田舎だちたる所に住むものどもなど…以前奉公していた者達で今は散り散りになっているのや、田含めいた所に住む者達など。 37 はつる暁まで…除目がすんでしまった明け方まで。 38 上達部など…除目に参列した公卿など。 39 見る者…「見る者」の語、疑問。能因本・前田本は「をるもの」とし、春曙抄に「家にあるつかへ人どもは」と注する。しいて「見る者」をとれば、主人の身近く仕える者とでも解されようか。 40 え問ひにだにも問はず…とても、どうだったと聞く勇気さえ出ない。 41 なにの前司にこそは…前の何々の守ですよ。 42 まことにたのみけるものは、いとなげかしとおもへり…主人の任官をしんそこあてにしていた者はたいそう悲観している。 43 ふるき者どもの、さもえいきはなるまじきは、来年の國々、手を折りてうちかぞへなどして…古参の者達でそうも見すてて行かれない者は、来年国司の交替があるはずの国々を、指折り数えなどして。 44 ゆるぎありきたる…えらそうにあるきまわるさま。おなじ表現が〔九〕翁丸の段にも見える。 45 よみたる…能因本・前田本には「よみたり」とある。 46 懸想人はいかがせん、それだにをりをかしうなどある返事せぬは、心おとりす…恋人の場合は人目もあることだからやむを得ない、しかしそれにしても、折ふし風情のある歌などに返事がないのは幻滅というものだ。 47 うちふるめきたる人の、おのがつれづれといとまおほかるならひに、むかしおぼえてことなることなき歌よみておこせたる…時代からとり残された旧人が、退屈で暇の多い自分の日常から、昔式の格別とりえもない歌をよんでよこした。 48 物のをりの扇、いみじとおもひて、心ありと知りたる人にとらせたるに…何か晴れの場合の檜扇を、大事だと思って、その方面に心得があると聞いている人に預けたところ。 49 思はずなる繪などかきて得たる…思いがけない絵などかいてよこした。 50 産養…出産の祝。親族知友から衣類や食物の祝い品を贈る。 51 むまのはなむけなどの使に…昔旅行に立つ人の馬の鼻を旅立つ方に向けて別れを告げ道中の安全を祈った。転じて別れに際し物品を贈ることをいう。餞別。 52 禄とらせぬ…当座の褒美や祝儀。多く巻絹を用いる。 53 薬玉…麝香・沈香などの薬を玉にして錦の袋に入れ、菖蒲や艾(よもぎ)などを結び五色の糸の長いのを結び下げたもの。これを身につけ柱や簾にかけると邪気をはらうと信ぜられ、五月五日の節供に用いられた。もと民間の行事であったものが宮廷にとり入れられたのであろう。 54 卯槌…正月上の卯の日に用いる。桃の木を長さ三寸広さ一寸くらいに切り、五尺程の五色の糸を垂らす(屋代弘賢説)。 55 かならずさるべき使と思ひ、心ときめきしていきたるは…必ず祝儀が出るに違いない使だと思い、胸をときめかせて行った場合は。 56 ようせずは…わるくすると。うっかりすると。 57 すさまじうぞあるかし…能因本「すさまじくぞありし」の本文によれば、作者自らの体験を回想しているらしく、高齢で活動した父元輔の生活に関係があるのかもしれない。 58 つごもり…「つごもり」は晦日一日ではなく、末頃と解した方がよい。以下の文、堺本にはない。なおこのあたり諸本に出入が多く、その混乱を正さない限り、解釈は不可能である。 59 一日ばかりの精進解斎…あと一日という時に精進を怠けるの意。「九仞の功を一箕にかく」の類の諺とみられる。能因本に「けさい」を「けたい」とするのは誤りであろう。 |
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