33. 説経の講師は | |
本文 | 現代語訳 |
説経の講師は顔よき。講師の顔をつとまもらへたるこそ、その説くことのたふとさもおぼゆれ。ひが目しつればふとわするるに、にくげなるは罪や得らんとおぼゆ。このことはとどむべし。すこし年などのよろしきほどは、かやうの罪えがたのことはかき出でけめ、今は罪いとおそろし。 | 説法をする僧の顔はよい。講師の顔をじっと見つめていてこそ、その説くことの尊さも感じ取れるというものだ。ちょっとわき見でもすると、すぐに忘れてしまうので、醜い講師だと聴衆は仏罰をうけはしないかと思う。しかし、こんなことを言うのはやめよう。若い年ごろには、こんな罰あたりのことを書き出しもしたろう、しかし年老いた今は罪障がおそろしい。 |
また、たふときこと、道心おほかりとて、説経すといふ所ごとに最初にいきゐるこそ、なほこの罪の心には、いとさしもあらでと見ゆれ。 | 説経は尊いことだ、自分は信心が強いと言って、説経ある所にはどこでも最初に行き坐ることは、私の罰あたりの根性では、まさかそうまでしなくても、と思われる。 |
蔵人など、昔は御前などいふわざもせず、その年ばかりは、内裏わたりなどにはかげもみえざりける、いまはさしもあらざめる。蔵人の五位とて、それをしもぞいそがしうつかへど、なほ名殘つれづれにて、心ひとつはいとまある心地すべかめれば、さやうの所にぞひとたび二たびもききそめつれば、つねにまでまほしうなりて、夏などのいとあつきにも、かたびらいとあざやかにて、薄二藍、青鈍の指貫など、ふみちらしてゐためり。烏帽子に物忌つけたるは、さるべき日なれど、功徳のかたにはさはらずと見えんとにや。 | 現職を去った蔵人など、昔は先駆けなどということもせず、蔵人の職を退いた年ばかりは、内裏への来訪などには姿も現さないものが、今はあんなに姿を現す。六位の蔵人のうち任期満ちて五位に叙し殿上を下りた者が、それを殊更忙しく召し使うが、なお名残手持ち無沙汰で、自分の気持では暇があるような気がするので、説経所に出かけて一度か二度聴きはじめると、いつも参りたくなって、夏など大変暑い時も、単衣もたいそう鮮やかで、薄二藍、青鈍の指貫など足を出さず袋の口を括ったようにして踏み歩く。烏帽子に物忌の札を付けるのは、今日は物忌の日だが、功徳のためには構わぬと、人に見せつけるつもりなのかしら。 |
その事する聖とものがたりし、車たつることなどをさへぞ見入れ、ことについたるけしきなる。ひさしうあはざりつる人のまうであひたる、めづらしがりて、ちかうゐより、物いひうなづき、をかしきことなどかたり出でて、扇ひろうひろげて、口にあててわらひ、よくさうぞくしたる数珠かいまさぐり、手まさぐりにして、こなたかなたうち見やりなどして、車のあしよしほめそしり、なにがしにてその人のせし八講、経供養せしこと、とありし事かかりし事、いひくらべゐたる程に、この説経の事はききも入れず。なにかは、つねにきくことなれば、耳なれてめづらしうもあらぬにこそは。 | 説経する当の僧侶と話し合い、聴聞の女房車の立て方にまで目をつけ、万事につけ一々気を配る様子である。長い間会わなかった人と、説経の場で会う、珍しがって、近くに歩み寄り、物を言いうなづき、面白いことなどが話題にのぼって、扇を広く広げて、口に当てて笑い、よく装飾した数珠を手でもてあそびもてあそびして、こちらあちらを見渡したりして、車が良いだの悪いなどをほめたり罵ったりして、どこそこでだれそれがした法華八講、何の経で心書写し、または書写させた功徳のために仏事を修すること、とある事とかくある事、言い比べ座っているだけで、この説経のことは、聞き入れもしない。何の事はない、いつも聴きなれている事だから、耳馴れて珍しくもないからだろう。 |
さはあらで、講師ゐてしばしあるほどに、前駆すこしおはする車とどめておるる人、蝉の羽よりもかるげなる直衣・指貫、生絹のひとへなどきたるも、狩衣のすがたなるも、さやうにてわかうほそやかなる三四人ばかり、さぶらひのもの、またさばかりして入れば、はじめゐたる人々もすこしうち身じろぎ、くつろい、高座のもとちかきはしらもとにすゑつれば、かすかに数珠おしもみなどしてききゐたるを、講師もはえばえしくおぼゆるなるべし、いかでかたりつたふばかりと説き出でたなり。 | そうではなくて、講師が座ってしばし時間が経ってから、先導が少しいらっしゃる車を停めて降りる人は、蝉の羽よりも軽そうな直衣・指貫、軽快な生絹単衣など着ているのも、狩衣の姿であるのも、そのように若く細やかな人が三四人ばかり、従者の者、また同数ぐらい同様にして入ると、元からいた人々も、少しうち身じろぎし、融通して席を作り、説経師の席のもとに近い柱のもとにお座りになると、かすかに数珠を押しもみなどしてお聞きになっているので、講師も光栄に思ったのであろう、いかに評判よく語り伝えようかとばかり、説き始めたのであった。 |
聴聞すなどたふれさわぎ、ぬかつくほどにもならで、よきほどにたちいづとて、車どものかたなど見おこせて、我どちいふことも、何事ならむとおぼゆ。見しりたる人はをかしとおもふ、見しらぬは、たれならん、それにやなど思ひやり、目をつけて見おくらるるこそをかしけれ。 | 聴聞するといって大騒ぎをし興奮して礼拝するまでにもならず、ちょうど適当な頃あいに席を立ち出ようとして車の方を見て自分たち同士言うことも、何事になるのかと思われる。当方がその人々を見知っている場合は、奥ゆかしいと思う、見知らぬ人は、誰だろう、それはなど思いやり、目をつけて見送られることもまた趣深い。 |
「そこに説経しつ、八講しけり」など人のいひつたふるに、「その人はありつや」「いかがは」など、さだまりていはれたる、あまりなり。などかはむげにさしのぞかではあらん。あやしからん女だに、いみじう聞くめるものを。さればとて、はじめつかたは、かちありきする人はなかりき。たまさかには、壺装束などして、なまめき化粧じてこそはあめりしか。それも物まうでなどをぞせし。説経などにはことにおほく聞えざりき。この頃、そのをりさしいでけむ人、命ながくて見ましかば、いかばかりそしり誹謗せまし。 | 「どこそこで説経をした、八講をした。」などと人が言い伝えるのに、「その人はどこにいる」「どうでした?」などと決まって言われることは、余計なことだ。どうしてこんな有難い所を何でまるきりのぞかずにいられよう。賤しい女でさえひどく熱心に聴聞する様子なものを。とは言え、以前は徒歩で出かける婦人などなかった。偶然あるとしても壷装束などして優雅に身づくろいをしていたようだった。それも、物詣でなどをしたわけではない。説経などには殊に多くはあったわけではなかった。この頃になって、説経を聞く人は、命長くみられるようになったので少しばかりそしりや誹謗しにくくなったようだ。 |
老後の筆に成る随筆と解される。 1 説経の講師…説法をする僧。能因本・前田本「説経師」。 3 ひが目…「ひが目」は能因本・前田本の「ほかめ」が正しく、「僻目」ではここに合わない。 4 罪や得らん…春曙抄は罪を得るのを講師と解する。 6 すこし年などのよろしきほど…堺本に「わかき時」と明記している。 8 なほこの罪の心には、いとさしもあらでと見ゆれ。…以下説経聴聞の情況を写し批判する。 10 蔵人…能因本に「蔵人おりたる人」とあり、ここは当然現職を去った蔵人である。 11 昔…現在に対し過去のある時代を讃美した表現。 12 御前…「御前駆」の略。行幸などの際の先払い。 17 まで…「まで」は詣で。 18 かたびら…布の下着で短い。夏は直衣の下に着用する。 25 何々の場所で、だれそれが催した。 26 八講…法華八講。法華経八巻を朝夕二座に一巻ずつ講じ、四日目に八座で結願する。一巻全部を講ずるのではなく、問者が経の要文について問い、講師が答え、不能のときは判者が裁決する。 31 生絹のひとへ…練らぬ絹で製した単衣。軽快で夏衣にする。 34 くつろい…「くつろぎ」の音便。融通して空席を作り。 35 高座…説経師の席。倭名抄、五、伽藍具に「仁王経云建百高座」とある。 36 はしらもと…他本には「柱のもとに」とある。但し「柱もと」の例は他にもあり、誤りとはいえない。 38 39 女性がその中で聴聞している牛車である。 40 われどち。自分たち同志。貴公子達のさま。 47 壷装束は女子の物詣や旅行の際の服装。上衣の両棲を折って腰帯にはさみ市女笠をかぶる。 48 もしその当時聴聞に出かけた人が長生きしていて当世の風俗を見たとするならば。 |
|