40. 花の木ならぬは | |
本文 | 現代語訳 |
花の木ならぬは かへで。かつら。五葉。 | 花の木と言えば、楓、桂、五葉の松。 |
たそばの木、しななき心地すれど、花の木どもちりはてて、おしなべてみどりになりたるなかに、時もわかず、こきもみぢのつやめきて、思ひもかけぬ青葉の中よりさし出でたる、めづらし。 | 「たそばの木」は、品位のない心地がするけれども、花の木たちも、ちり果てて、あらかた緑になってしまっている中に、季節をわきまえず、濃い紅のもみじがつやつやと光って、思いがけず青葉の中から飛び出しているのも、珍しいことだ。 |
まゆみ、さらにもいはず。そのものとなけれど、やどり木といふ名、いとあはれなり。さか木、臨時の祭の御神楽のをりなど、いとをかし。世に本どもこそあれ、神の御前のものと生ひはじめけむも、とりわきてをかし。 | 檀は、さらに言うまでもない。また、その元という名ではないが、「やどり木」という名は、たいそう趣き深い。さか木は、臨時の祭の御神楽の折など、たいそう趣深い。世の中には多くの木がある、その中でこの木だけが神の御前のものとして生いはじめたというのもとりわけ趣深い。 |
楠の木は、木立おほかる所にも、ことにまじらひたてらず、おどろおどろしき思ひやりなどうとましきを、千枝にわかれて恋する人のためしにいはれたるこそ、たれかは数を知りていひはじめけんと思ふにをかしけれ。 | 楠の木は、木が多く混ざり合っている所でも、格別まじって立ってはいず、仰山に茂った様子を思いやるなどいやな気持だが、「千枝にわかれて」と、恋する人のたとえに言われることこそ、誰が(千という)数を知って言い始めたのだろうと思うにつけ、面白い。 |
檜の木、またけぢかからぬものなれど、三葉四葉の殿づくりもをかし。五月に雨の声をまなぶらんもあはれなり。 | 檜の木は、また親しい感じのしないものだが、「三葉四葉の殿づくり」と言われるのも面白い。五月に雨の声をまねることも、また、しみじみとする。 |
かへでの木のささやかなるに、もえいでたる葉末のあかみて、おなじかたにひろごりたる、葉のさま、花も、いと物はかなげに、虫などの乾れたるに似てをかし。 | 楓の木が、こぢんまりとしていて、萌え出てくる葉の先が赤みを帯びて、同じ方向に広がっている、葉の様子、また花の様子も、たいそうものはかなげであって、虫などがひからびるのに似て趣深い。 |
あすはひの木、この世にちかくもみえきこえず。御嶽にまうでて帰りたる人などのもて来める、枝ざしなどは、いと手ふれにくげにあらくましけれど、なにの心ありて、あすはひの木とつけけむ。あぢきなきかねごとなりや。たれにたのめたるにかとおもふに、きかまほしくをかし。 | 「あすなろの木」とは、この世の近くには見えも聞こえもしない。お山に詣でて帰ってきた人などが持ってくる枝の張りぐあいなどは、たいそう手に触れにくげに、荒々しいが、如何なる思惑があって「明日は檜の木」とつけたのだろうか。「明日は…」なんてつまらぬ予言だこと。誰に向って頼ませたのかと思うにつけ。聞いてみたくて面白い。 |
ねずもちの木、人なみなみになるべきにもあらねど、葉のいみじうこまかにちひさきがをかしきなり。楝(あふち)の木。山橘。山梨の木。 | 「ねずもちの木」は、人並に待遇されそうな木でもないが、葉がとても細かく小さいのが趣があるというものだ。楝(あふち)の木。山橘。山梨の木。 |
椎の木、常磐木はいづれもあるを、それしも、葉がへせぬためしにいはれたるもをかし。 | 椎の木は、常緑樹は他にいくらもあるのに、椎の木に限って落葉しない例に言われるのも面白い。 |
白樫といふものは、まいて深山木のなかにもいとけどほくて、三位・二位のうへのきぬ染むるをりばかりこそ、葉をだに人の見るめれば、をかしきこと、めでたきことにとりいづべくもあらねど、いづくともなく雪のふりおきたるに見まがへられ、素戔喝尊(すさのをのみこと)出雲の國におはしける御ことを思ひて、人丸がよみたる歌などを思ふに、いみじくあはれなり。をりにつけても、ひとふしあはれともをかしとも聞きおきつるものは、草・木・鳥・虫もおろかにこそおぼえね。 | 白樫というものは、まして深山の木々の中でもたいそう遠く離れた感じがして、三位・二位の上着を染める折ばかりにしか、葉でさえ人の見ることも少ないのに、面白いこと、喜ばしいことに持ち出すこともないけれど、どことなく雪が降り落ちているように見間違えられ、スサノヲノミコトが、出雲の国にいらっしゃったことを思って、柿元人麻呂が詠んだ「あしひきの山路も知らず白樫の枝にも葉にも雪の降れれば」という歌など思うと大層しみじみする。ちょっとした折でも何か一点、「あはれ」または「をかし」と心に聞きとめたものは、草・木・鳥・虫でもおろそかには思われない。 |
ゆづり葉の、いみじうふさやかにつやめき、華はいとあかくきらきらしく見えたるこそ、あやしけれどをかし。なべての月には見えぬ物の、師走のつごもりのみ時めきて、亡き人のくひものに敷く物にやとあはれなるに、また、よはひを延ぶる歯固めの具にももてつかひためるは。いかなる世にか、「紅葉せん世や」といひたるもたのもし。 | 譲り葉が、ふさふさとして色つやがあり、花はたいそう赤くきらきらと見えることは、卑しいけれども面白い。(譲り葉が)普通の月には見えぬものが、12月の大晦日にのみ心わくわく、どきどきして、亡くなった人への供物に敷くものになってしみじみとしているのに、長命を祝う歯固めの道具につかいなれているようだ。いつの世にか、「紅葉しない世や」と、詠われたのも頼もしい。 |
柏木、いとをかし。葉守の神のいますらんもかしこし。兵衛の督・佐・尉などいふもをかし。 | 柏木(樹神)はたいそう趣深い。葉守の神がおいでになるのも恐れ多い。兵衛の督・佐・尉などいうも趣深い。 |
姿なけれど、椶櫚(すろ)の木、唐めきて、わるき家の物とは見えず。 | 恰好は悪いが、しゅろの木は異国的で、貧しい家のものとは見えない。 |
…能因本・前田本「木は」。堺本は三巻本に同じ。 2 かへで…この一句、三巻本以外の諸本にはない。 3 かつら…倭名抄、十・名義抄に「楓」をヲカツラ、「桂」をメカツラとよみ、またいずれもカツラとよむ。五葉は五葉の松。 4 たそばの木…他系統諸本「そばの木」。そばの木は倭名抄。十にも見え、錦木のこととも、かなめの木のことともいう。 5 まゆみ…檀。檀紙の料とし、弓を作るに用いる。 6 やどり木…寄生植物の総称。その名への興味を示す。 7 臨時の祭…賀茂の臨時の祭(十一月下の酉の日)と石清水の臨時の祭(三月中の午の日)とあり、いずれも神楽を奏し、舞人はさかきを手にして舞う。 8 世に本どもこそあれ…神楽歌、採物、榊の歌に「神垣のみむろの山の榊葉は神の御前に茂り合ひにけり」。「榊葉に木綿(ゆう)とりしでて誰が世にか神の御前にいはひそめけむ」などとある。 10 千枝にわかれて…古今六帖、二に「和泉なるしのだの森の柿の木の千枝にわかれて物をこそ思へ」とある。 11 けぢかからぬ…能因本「人ちかゝらぬ…」。前田本「人のけちかからぬ…」。 12 三葉四葉の殿づくり…催馬楽「この殿はむべも富みけりさき草の三葉四葉に殿造りせり」により、殿舎の造営に用いられることをいった。さき草は山百合。 13 五月に…方干の詩「長潭五月雨含冰気。孤檜終宵学雨声」による(金子彦二郎博士説)。「まなぶ」はまねぶの意。 14 あすはひの木…羅漢柏。古写本に「あすはゐの木」とある。明日は檜の木の義で「あすなろう」ともよぶ。檜の木に似て深山陰湿の地に生ずる。 15 あらくましけれど…荒々しいが。能因本・前田本「あらあらしけれど」、堺本「あらましけれど」。 19 ねずもちの木…人並に待遇されそうな木でもないが。ネズミの語の連想による洒落である。堺本「ひとひとしう人なみなみなるさまにはあらねど」。 20 椎の木…拾遺集、十九雑恋、読人しらず「はし鷹のとかへる山の椎柴の葉がへはすとも君はかへせじ」。 21 白樫…樫の一種。葉は幅狭く小さい。 22 三位・二位のうへのきぬ…四位以上の束帯の黒袍は、普通つるばみの実で染め、白樫の葉を用いた例は見当らないが、これを用いることもあったのであろう。 24 いづくともなく雪のふりおきたるに見まがへられ…拾遺集、四冬、人麿「あしひきの山路も知らず白樫の枝にも葉にも雪の降れれば」。万葉集では第四句を「枝もとををに」として人麿歌集の歌とする。「見まがへられ」は作者が白樫を見たことがなく、歌意を誤解したのであろう。 28 師走のつごもりのみ…十二月晦日亡魂を祭る際、供物にゆずり葉を敷く風習があったらしい。なお十二月に魂祭る風習は、徒然草を見るとその当時既に京都でもすたれていた。 29 歯固めの具…新年に当り長命を祝うことを歯固めといい、餅・猪肉・押鮎などを食べる。ゆずり葉は鏡餅を飾り、歯固めの品の下に敷く例であった。 31 「紅葉せん世や」…古今六帖、拾遺「旅人に宿かすが野のゆづる葉の紅葉せむ世や君を忘れむ」をさす。ゆずり葉は紅葉しない。 32 柏木…樹神。大和物語「かしは木に葉守の神のましけるを知らでぞ折りし崇りなさるな」。 33 兵衛の督・佐・尉…「柏木」は衛府の官の異名とされた。 |
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