41. 鳥は | |
本文 | 現代語訳 |
鳥は こと所の物なれど、鸚鵡(あうむ)、いとあはれなり。人のいふらんことをまねぶらんよ。ほととぎす。くひな。しぎ。都鳥。ひわ。ひたき。 | 鳥は、異国のものであるがオウム、大層しみじみ面白い。人が何か言うと、それをまあ真似するそうだ。ほととぎす。くひな。しぎ。都鳥。ひわ。ひたき。 |
山鳥、友を恋ひて、鏡を見すればなぐさむらん、心わかう、いとあはれなり。谷へだてたる程など、心ぐるし。鶴は、いとこちたきさまなれど、鳴くこゑ雲井まできこゆる、いとめでたし。 | 山鳥は、友を離れて鳴かぬので、鏡を見せたら慰められたのであろうか、うぶで、大変しみじみしている。谷をへだてる頃(夜)は、切なく思える。鶴は、いかにも仰々しい恰好だが、鳴き声は空まで聞こえる。たいそうめでたいことだ。 |
かしらあかき雀。斑鳩(いかるが)の雄鳥。たくみ鳥。 | 頭の赤い雀。斑鳩(いかるが)の雄鳥。たくみ鳥。 |
鷺(さぎ)は、いとみめも見ぐるし。まなこゐなども、うたてよろづになつかしからねど、「ゆるぎの森にひとりはねじ」とあらそふらん、をかし。水鳥、鴛鴦(をし)いとあはれなり。かたみにゐかはりて、羽のうへの霜はらふらん程など。千鳥いとをかし。 | さぎは、大変見た目も見苦しい。目つきなども不快で、万事につけて親しみが持てないけれど「ゆるぎの森にひとりはねじ」と争っているだろうことは、面白い。水鳥、おしどりは、たいそうしみじみする。互に浮いている場所を代りあって、羽の上の霜を払うことなど(面白い)。千鳥大層面白い。 |
鶯は、ふみなどにもめでたきものにつくり、聲よりはじめてさまかたちも、さばかりあてにうつくしき程よりは、九重のうちになかぬぞいとわろき。人の「さなんある」といひしを、さしもあらじと思ひしに、十年ばかりさぶらひて、ききしに、まことにさらに音せざりき。さるは、竹ちかき紅梅も、いとよくかよひぬべきたよりなりかし。まかでてきけば、あやしき家の見所もなき梅の木などには、かしがましきまでぞなく。よるなかぬもいぎたなき心地すれども、今はいかがせん。夏・秋の末まで老いごゑに鳴きて、「むしくひ」など、ようもあらぬ者は、名を付けかへていふぞ、くちをしくくすしき心地する。それもただ、雀などのやうに常にある鳥ならば、さもおぼゆまじ。春なくゆゑこそはあらめ。「年たちかへる」など、をかしきことに、歌にも文にもつくるなるは。なほ春のうちならましかば、いかにをかしからまし。人をも、人げなう、世のおぼえあなづらはしうなりそめにたるをばそしりやはする。鳶・烏などのうへは、見入れきき入れなどする人、世になしかし。されば、いみじかるべきものとなりたれば、とおもふに、心ゆかぬ心地するなり。 | うぐいすは、漢詩文などにも見事なものとして描かれ、声からはじめて姿かたちも、それほど上品で愛らしい割には、宮中で鳴かないことこそは、たいへん感心できない。(清少納言以外の)女房が、「そうでしょうか」と言うが、そうではないと思いながら、十年ばかり宮仕えして、聞いているが、本当にさらに鳴き声はしない。ところがそこは竹に近く紅梅もあり、鶯が通ってくるにはちょうど恰好な所なのだ。宮中を退出して、里などできくと、卑しい家の何の見どころもないの木などではやかましいほど鳴く。夜鳴かないのも寝坊という感じがするが、今更どうしようもない。夏・秋の末まで老いて生気を失ったように鳴いて、「むしくひ」などと身分や教養などないような者が、名を変えて言うのは、人間離れした気分がする。それもただ、雀などのように季節に関係なく鳴く鳥ならば、そうも思わないだろう。鶯は春鳴く鳥だからこそだろう。「年たちかへる」などと、趣のあることとして和歌にも漢詩にも作るということだ。なお、春のうちならば、どんなに面白かっただろうか。人も同様で、人並でなく世評もいかがわしくなり出した人を、誰がことさら悪くいうものか。鳶・烏などにあっては、目を見はったり聞き耳を立てたりする人など、決して世にはないのだ。そんなわけで、鶯は立派なはずの鳥となっているからこそと思うにつけ、不満な気がするのである。 |
祭のかへさ見るとて、雲林院・知足院などのまへに車を立てたれば、ほととぎすもしのばぬにやあらん、なくに、いとようまねび似せて、木だかき木どもの中に、もろ聲になきたるこそ、さすがにをかしけれ。 | 賀茂祭の翌日、斎王が斎院にかえる行列を見ると言って、雲林院・知足院などの前に車を置くと、ほととぎすも折からの情趣にがまんできないのか鳴くと、鶯がたいそう上手にその声にならって、高い木の中に声をあわせて鳴くことこそ、さすがに面白い。 |
ほととぎすは、なほさらにいふべきかたなし。いつしかしたり顔にも聞えたるに、卯の花・花橘などにやどりをして、はたかくれたるも、ねたげなる心ばへなり。 | ほととぎすは、殊更に言うべきことはない。いつかいつかと待つうちに、得意そうに鳴き声が聞えたと思うと卯の花・花橘などに宿って、なかば姿を隠しているのも、小にくいやりかたというものだ。 |
五月雨のみじかき夜に寝覚をして、いかで人よりさきにきかむとまたれて、夜ふかくうちいでたるこゑの、らうらうじう愛敬づきたる、いみじう心あくがれ、せんかたなし。六月になりぬれば、音もせずなりぬる、すべていふもおろかなり。 | 五月雨の短い夜に寝覚をして、何とかして人より先に聞きたいものだと待つうちに、夜更けに出た声が、洗煉されて魅力がある、それは何とも心が動いてどうしようもない。六月になってしまっては、音もしなくなってしまう、どんなにすばらしいといってもいい足りない。 |
よる鳴くもの、なにもなにもめでたし。ちごどものみぞさしもなき。 | 夜に鳴くもの、何でもめでたい。幼児どものみそんなにも泣くのか。 |
1 こと所…異国。鸚鵡は西域の霊鳥といわれた。 2 人のいふらんことを…礼記に「鸚鵡能言 不離飛鳥」とある。「らん」は何かを典拠とすることを示す。枕草子の知的性格を表わす顕著な例。 3 くひな…水鶏とかき、戸を叩くような声で鳴くので、しばしば和歌に詠まれた。 4 都鳥…伊勢物語の伝説で名高い。名称の興味。 5 友を恋ひて…奥義抄に、隣国より山鳥を贈り、声の妙な由を申したが鳴かない、ある女御が友を離れて鳴かぬのであろう、鏡をかけて見せ給えと申したのでその通りにすると、わが影を見て鳴いたという話があり、袖中抄・無名抄などにも同様の説が見える。中国の伝説に因むもので、万葉集、十四にもこれに類する歌が見える。 6 谷へだてたる程…奥義抄に、山鳥は夜になると雄鳥が山の峰を隔てて寝るとの説を伝え、万葉集八、家持の長歌に「あしひきの山鳥こそは峰むかひに妻どひすとへ…」と見える。「程」は時間を示す。 8 鳴くこゑ…詩経に「鶴鳴九皐、声聞于天」とある。九皐(きゆうこう)は曲折して深く入りこんだ沼。雲井は空。転じて宮中をいう。 11 まなこゐ…眼居、すなわち目つき。 13 ゆるぎの森…近江国高島郡。古今六帖、六「高島やゆるぎの森の鷺すらもひとりは寝じと争ふものを」。 15 羽のうへ…古今六帖、三「羽の上の霜うちはらふ人もなしをしのひとり寝けさぞかなしき」。 23 くすし…「くすし」は霊妙、不可思議などの意。ここは人間離れしたなどの語が当る。 25 年たちかへる…拾遺集、一春、素性法師「あらたまの年たちかへるあしたより待たるるものは鶯の声」。 30 祭のかへさ…賀茂祭の翌日、斎王が斎院にかえる行列。 31 雲林院・知足院…いずれも山城国愛宕郡紫野にあった寺院。 40 ちごどものみぞさしもなき。…この一文、三巻本以外にはない。主題の点よりみて、本来ここにあるべきものか疑問。 |
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