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45. にげなきもの 

本文

現代語訳

語彙

 にげなきもの 下衆の家に雪の降りたる。また、月のさし入りたるもくちをし。月のあかきに、屋形なき車のあひたる。また、さる車にあめ牛かけたる。また、老いたる女の腹たかくてありく。わかきをとこ持ちたるだに見ぐるしきに、こと人のもとへいきたるとてはら立つよ。

似合わない感じのもの。素姓のいやしい者の家に雪が降り積もる。また、月が差し込むのも残念だ。月の明るい時に屋形のない牛車が予期せずやってきたこと。また、その車に黄牛をかけること。また、老いた女が妊婦のように腹を大きくして歩くこと。若い夫を心に抱くことは体裁悪いのに、男が他の女のところへ通ったといって腹が立つ。

くちをし【口惜し】…【形シク】①残念だ。がっかりする。②不本意だ。はがゆい。不満だ。惜しい。③情けない。つまらない。感心しない。

 

 

 

 

 

もつ【持つ】…【他タ四】①持つ。所持する。所有する。②ある状態を保つ。維持する。③心に抱く。思う。④使う。用いる。▽連用形で用いて。

 老いたるをとこの寝まどひたる。また、さやうに髭がちなるものの椎摘みたる。歯もなき女の梅くひて酸がりたる。下衆の紅の袴着たる。この頃はそれのみぞあめる。

年とった男が寝ぼけた様子。また、そのように髭がちな者が椎の実を拾って食べる。歯もなき老女が、梅を食べてすっぱがること。素姓のいやしい者が紅の袴着ること。この頃は、そういうこともあるようだ。

 

   

 靭負の佐夜行すがた。狩衣すがたも、いとあやしげなり。人におぢらるるうへのきぬは、おどろおどろし。立ちさまよふも、見つけてあなづらはし。「嫌疑の者やある」ととがむ。入りゐて、空だきものにしみたる几帳にうちかけたる袴など、いみじうたつきなし。

靭負の佐の夜廻り姿。狩衣姿もたいそうみっともない。職掌柄人にこわがられる赤色の袍が、いかにも仰山だ。女房の局のあたりをうろつく姿も、見つけると軽蔑したくなる。人を見ると、「嫌疑の者はいるか」と尋問する。入ってきて、香にしみている几帳に吊り下げた袴など、まったく格好がつかない。

 

 かたちよき君たちの、弾正の弼(ひち)にておはする、いと見ぐるし。宮の中将などの、さもくちをしかりしかな。

美貌の貴公子が弾正の弼の職におられるのは大変見苦しい。源頼定殿などの、さも情けないことであるかな。

くちをし【口惜し】…【形シク】①残念だ。がっかりする。②不本意だ。はがゆい。不満だ。惜しい。③情けない。つまらない。感心しない。



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 下衆…素姓のいやしい者。上衆に対す。

3 屋形なき車の…屋形(屋根を覆い人を乗せる部分)のない牛車が予期せずやってきた。「車のあふ」は車にあうの意ではない。伊勢物語、九段「修行者あひたり」と同例。

4 あめ牛…黄牛。上等の牛として尊ばれたもの。

5 腹たかく…腹を大きくして。妊娠のさまである。

6 をとこ…ここは夫または情夫を意味する。

9 椎摘みたる…椎の実を拾って食べている様子の子供じみて不似合なことをいうか。

11 靭負の佐…衛門府の次官。従五位相当で検非違使兼職。

12 夜行…夜行は夜歩き、夜遊びなどの意。春曙抄・評釈などには夜中巡行即ち夜廻りの意とする。

16 「嫌疑の者やある」ととがむ…能因本には「…とたはぶれにもとがむ」とある。

17 空だきもの…あたり一帯に匂わすようにたく香をいう。

19 弾正の弼…弾正弼は弾正台(官吏の悪を正し内外の非道を糾弾し風俗を粛正する官)の次官。大小ある。

20 宮の中将…源頼定。一品式部卿為平親王の男。母左大臣源高明の女。長徳四年(九九八)権中将となる。



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