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49. 職の御曹司の西面の 

本文

現代語訳

語彙

 職の御曹司の西面の立蔀のもとにて、頭の辨、物をいと久しういひ立ち給へれば、さしいでて、「それはたれぞ」といへば、「辨さぶらふなり」とのたまふ。「なにかさもかたらひ給ふ。大辨みえば、うちすて奉りてんものを」といへば、いみじうわらひて、「たれかかかる事をさへいひ知らせけん。「それ、さなせそ」とかたらふなり」とのたまふ。

 中宮様の仮の御座所のもとで、頭の弁(藤原行成)が、ただ何となくたいそう長い間お立ちになっていたので、そっと出て、「そこにいらっしゃるのはどなたですか」と訊くと、「弁が参上しております。」とおっしゃる。「何をおっしゃるかと思えば。大弁が見えたらあなたなど放ってしまうでしょうに。」というと、大袈裟に笑って、「誰がこんなことまであなたに教えたのかな。『決してそうはするな』と言い聞かせているのですよ。」と、おっしゃる。

ひさし【久し】…【形シク】@長い。▽期間や、時間についていう。A時間がかかる。B久しぶりだ。

 いみじうみえ聞えて、をかしきすぢなど立てたることはなう、ただありなるやうなるを、みな人さのみ知りたるに、なほ奥ふかき心ざまを見知りたれば、「おしなべたらず」など、御前にも啓し、またさ知ろしめしたるを、つねに、「『女は己をよろこぶもののために顔づくりす。士は己を知る者のために死ぬ』となんいひたる」といひあはせ給ひつつ、よう知り給へり。「遠江の濱柳」といひかはしてあるに、わかき人々は、ただいひに見ぐるしきことどもなど、つくろはずいふに、「此の君こそうたてみえにくけれ。こと人のやうに、歌うたひ興じなどもせず、けすさまじ」などそしる。

頭弁は、ひどく人前を飾ったりうまいことを言ったりして格別風流を気どることもなく、ただそれだけの人のようであるのを、皆はそのように思っているが、私だけは行成の奥深い気だてを理解しているので「並大抵な方ではありません」などと中宮にも申し、中宮も御承知になっているのだが「『女は己を喜ぶ者のために化粧する。士は己を知る者のために死ぬ』というではないか」と、古人の詞を引き合いに出して、私をよく理解しておられた。「遠江の濱柳」のように、妨げられても間は絶えない仲なのに、若い女房達は、ただ見苦しいことをありのまま言い立てて、「実際あの方はいやに交際しにくいこと。ほかの方のように歌を詠い興じなどもされず、面白くもないわ。」などとののしる。

 

   

 さらにこれかれに物いひなどもせず、「まろは、目はたたざまにつき、眉は額ざまに生ひあがり、鼻はよこざまなりとも、ただ口つき愛敬づき、おとがひの下、くびきよげに、聲にくからざらん人のみなん思はしかるべき。とはいひながら、なほ顔いとにくげならん人は心憂し」とのみのたまへば、ましておとがひほそう、愛敬おくれたる人などは、あいなくかたきにして、御前にさへぞあしざまに啓する。

 行成は、全然女房の誰彼に話しかけなどもせず、「私は、目は縦につき、眉は額の方向に生えあがり、鼻は横についているけれども、ただ口つきは可愛らしく、あごの下やくびがきれいで、声が感じ悪くない女性だけが好きになれそうな気がする。とはいいながら、なお顔がたいそう見苦しい人は、情けない。」とだけおっしゃると、まして下あごが、可愛らしく思えない人などは、わけもなく敵視して、中宮にまでも行成のことを悪く申しあげる。

 

 

 

 

 

おとがひ【頤】…【名詞】下あご。あご。

 

 

 

 

こころうし【心憂し】…【形ク】@情けない。つらい。心苦しい。A不快だ。あってほしくない。

 物など啓せさせんとても、そのはじめいひそめてし人をたづね、下なるをもよ呼びのぼせ、つねに来ていひ、里なるは、文かきても、みづからもおはして、「おそくまゐらば、「さなん申したる」と申しにまゐらせよ」とのたまふ。「それ、人のさぶらふらん」などいひゆづれど、さしもうけひかずなどぞおはする。

行成は中宮に何か申しあげてもらおうとする場合も、最初に取次を依頼した当の私を探し求め、私が局に下っていても呼んで上らせ、いつも来ていい、私が私宅に下っている時は、手紙を書いても、自らいらして、「もしあなたの参上が遅れるなら、『行成がこう申している』と(中宮に)申しあげに人をさし上げてくれ。」とおっしゃる。「それは別に人がございましょう。」などと、私は辞退するが、行成は決してそのまま承諾されずにいる。

 

   

 「げににくくもぞなる。さらばな見えそ」とて、おのづから見つべきをりも、おのれ顔ふたぎなどして見給はぬも、まごころに空ごとし給はざりけりと思ふに、三月つごもりがたは、冬の直衣の着にくきにやあらん、うへのきぬがちにてぞ、殿上の宿直姿もある。

「本当にしゃくにさわる。それでは見ないでください」と言って、自然に見るべき折も、自分の顔をふさぎなどしてご覧になるのも、真心に甲斐のないことをしなさっていると思うのに、三月末ごろは、冬の直衣は着にくいのであろうか、重ね着勝ちで、殿上人の宿直姿もある。

げに【実に】…【副詞】@なるほど。いかにも。本当に。▽同調する意を表す。A本当に、まあ。まことに、まあ。▽感動の意を表す。

にくし【憎し】…【形ク】@しゃくにさわる。気に入らない。いやだ。憎らしい。A感じが悪い。みっともない。見苦しい。Bあっぱれだ。見事だ。優れている。▽憎く感じるほど優れているようす。

 つとめて、日さし出づるまで、式部のおもとと小廂にねたるに、奥の遣戸をあけさせ給ひて、上の御前、宮の御前出でさせ給へば、おきもあへずまどふを、いみじくわらはせ給ふ。唐衣をただ汗衫の上にうち着て、宿直物もなにもうづもれながらある、上におはしまして、陣より出で入る者ども御覧ず。殿上人のつゆ知らでより来て物いふなどもあるを、「けしきな見せそ」とて、わらはせ給ふ。

翌朝、日が高くなるまで、式部の御座所の小部屋に寝ていたが、奥の遣戸をお開けになって、天皇と中宮の御前に出てみると、十分起きてないで戸惑うのを、たいそうお笑いになる。唐衣をただ汗衫の上に着て、くつろいだ様子の服装にもなにもうずもれながらある、天皇にいらっしゃっては、陣から出入りする者どもをご覧になる。殿上人が、まったく知らないで来てあれこれ言うことなどもあるのを「様子を見せよ」と言ってお笑いになる。

 

   

 さて立たせ給ふ。「ふたりながら、いざ」と仰せらるれど、「いま、顔などつくろひたててこそ」とて、まゐらず。

 さて、出発なさる。「二人で、いざ」とおっしゃるけれども、「今、顔などをなおしてから」と言って、お行きにならない。

 

 入らせ給ひて後も、なほめでたきことどもなどいひあはせてゐたる、南の遣戸のそばの、几帳ののさし出でたるにさはりて、簾のすこしあきたるより、くろみたる物の見ゆれば、説孝がゐたるなめりとて、見も入れで、なほこと事どもをいふに、いとよくゑみたる顔のさし出でたるも、なほ説孝なめりとて見やりたれば、あらぬ顔なり。あさましとわらひさわぎて、几帳ひきなほし隠るれば、頭の辨にぞおはしける。みえ奉らじとしつるものをといとくちをし。もろともにゐたる人は、こなたにむきたれば顔もみえず。

 お入りになった後も、天皇と中宮の御立派な事などを語りながら居る、南の遣戸のそばの、几帳の棹の横木がちょっと出ているのにさわって、簾が少し空いている所から黒っぽいものが見えるので、説孝がいたのだなと思って、見入りもしないで、なお違ったことなどを言うのに、たいそうよく笑っている顔が差し出てきても、なお説孝だろうと思って、見やると、別人の顔だった。あきれた、と笑い騒いで、几帳を引き直し隠れると、頭の弁(行成)殿にこそいらっしゃる。あれ程顔をお見せしまいとしたのにと、大変悔しい。一緒にいた女房達は、行成殿に向いたので、顔も見えない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あさまし…【形シク】@驚くばかりだ。意外だ。A情けない。興ざめだ。Bあきれるほどひどい。C見苦しい。みっともない。

 

   

 立ち出でて、「いみじく名残なくも見つるかな」とのたまへば、「説孝と思ひ侍りつれば、あなづりてぞかし。などかは、見じとのたまふに、さつくづくとは」といふに、「女は寝起き顔なんいとかたき、といへば、ある人の局にいきて、かいばみして、またも見やするとて来たりつるなり。まだ上のおはしましつる折からあるをば、知らざりける」とて、それより後は、局の簾うちかづきなどし給ふめりき。

 (行成は)立ってきて、「余す所なくすっかり拝見しましたなあ。」とおっしゃると、「説孝と思っていましたので、見くびって見られてしまったのですわ。何でまあ、見まいとおっしゃりながら、そうつくづくと御覧になりましたか。」というと、「女は寝起き顔が素晴らしい、と言えば、ある人の局に行って、垣間見してまた他に見えはしないかと思ってやって来たのだ。まだ主上がいらっしゃった時からいたのを、あなたは一向気づかなかった。」と言って、その後は局の簾をくぐってしまわれた。

 




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1 職の御曹司の西面の立蔀…中宮職内に設けた仮の御座所。定子は長徳二年(九九六)二月廿五日から三月四日まで、および長徳三年六月廿二日から長保元年(九九九)八月九日まで、ほとんどここに住まわれた。

2 頭の辨…藤原行成。長徳元年八月蔵人頭、同二年四月権左中弁。

4 大辨…大弁は弁官の最上位。

9 女は…史記、刺客伝、晋の予譲の言。「士為知己者死、女為説己者容」。

11 遠江の濱柳…万葉集、七、旋頭歌「霞降り遠つあふみのあど川柳、刈れ(離れ)れどもまたも生ふ(逢ふ)ちふあど川柳」の類か。妨げられても間は絶えないの意。「とほた」は「とほつ」の転。

12 ただいひ…「ただいひに…いふ」で、一途にいうさま。

15 たたざま…たての方向に。能因本「たてざま」。

29 …几帳の棹の横木を「手」という。

31 説孝…藤原氏。宣孝(紫式部の夫)の兄。長徳四年(九九八)七月五位の蔵人。一説に橘則隆とする。

39 寝起き顔…能因本に「ねおきたる顔なんいとよき」とある。「かたし」はあり難し、すなわちめったにないほどすばらしいの意か。

40 かいばみ「かいまみ」に同じ。垣間見の義で物のすきまからのぞくこと。能因本「かいまみ」。

41 またも…能因本「又もしみえやするとて…」。

43 かづき…簾をくぐって中に入ることを「かづく」という。「かづく」はかぶるの意。