86. さて、その左衛門の陣などに
  本文  現代語訳
  さて、その左衛門の陣などにいきてのち、里に出でてしばしあるほどに、「とくまゐりね」など、仰せごとの端に、「左衛門の陣へいきしうしろなん、つねに思しめし出でらるる。いかで、さつれなくうち古りてありしならん。いみじうめでたからんとこそ思ひたりしか」など仰せられたる、御返りに、かしこまりのよし申して、私には、「いかでかはめでたしと思ひ侍らざらん。御前にも、「なかなるをとめ」とは御覧じおはしましけんとなむ思ひ給へし」ときこえさせたれば、たちかへり、「いみじく思へるなる仲忠がおもてぶせなる事は、いかで啓したるぞ。ただ今宵のうちに、よろづのことを捨ててまゐれ。さらずは、いみじうにくませ給はん」となん仰せごとあれば、「よろしからんにてだにゆゆし。まいて「いみじ」とある文字に、命も身も、さながら捨ててなん」とて參りにき。   さて、左衛門の陣などに行ってから、実家に戻っていくらか経った時に、「はやく参上しなさい。など中宮のお言葉を側近の女房が書いて伝える。「左衛門の陣へ行くあなた(作者)の後姿が常に思い出されます。何であなたはそんなにそっけなく無関心に振舞ったのでしょう。さぞやすばらしいこととわたしは思いましたよ。」などとおっしゃられる。お返しには、謹んでお言葉を承った由を申し上げて私信には「どうして喜ばしいと思えましょうか。宮さまにも「なかなるをとめ」と涼がほめたように、朝ぼらけを面白く御覧になりましたでしょうと、思った次第でございます。」と、お返事すると、折り返しあなたは仲忠がひいきだそうなのに、涼の歌など挙げて仲忠のために不面目でしょうとのお達しがあれば、もしそうでなければ大変お憎しみですよ。一通りのお憎しみでもおそれ多い。まして『大変』とのお言葉に命も身もさながら捨ててしまおう」と、参内した。