桐壷   第三章 光る源氏の物語
1.若宮参内(四歳)
  本文  現代語訳
 月日経て、若宮参りたまひぬ。いとどこの世のものならず清らにおよすげたまへれば、いとゆゆしう思したり。  月日がたって、若宮が参内なさった。ますますこの世の人とは思われず美しくご成長なさっているので、たいへん不吉なまでにお感じになった。
 明くる年の春、坊定まりたまふにも、いと引き越さまほしう思せど、御後見すべき人もなく、また世のうけひくまじきことなりければ、なかなか危く思し憚りて、色にも出ださせたまはずなりぬるを、「さばかり思したれど、限りこそありけれ」と、世人も聞こえ、女御も御心落ちゐたまひぬ。  翌年の春に、東宮がお決まりになる折にも、第一皇子を超えさせたくおもわれたが、後見すべき人もなく、世間が承知するはずもないことだったので、かえって危険であると差し控えになって、顔色にもお出しなさらずに終わったので、「あれほどかわいがっていらっしゃったが、限界があったのだ」と、世間の人びともお噂申し上げ、弘徽殿女御もお心を落ち着けなさった。
 かの御祖母北の方、慰む方なく思し沈みて、おはすらむ所にだに尋ね行かむと願ひたまひししるしにや、つひに亡せたまひぬれば、またこれを悲しび思すこと限りなし。御子六つになりたまふ年なれば、このたびは思し知りて恋ひ泣きたまふ。年ごろ馴れ睦びきこえたまひつるを、見たてまつり置く悲しびをなむ、返す返すのたまひける。  あの祖母北の方は、悲しみを晴らすすべもなく沈んでいて、せめて死んだ娘のいる所にでも尋ねて行きたいと願っていらっしゃった現れか、とうとうお亡くなりになってしまったので、またこのことを悲しく思われること限りない。御子は六歳におなりなので、今度はお分かりになって、恋い慕ってお泣きになる。長年お親しみなさってきたのに、後に残して先立つ悲しみを、繰り返しおっしゃっていたのであった。