桐壷   第二章 父帝悲秋の物語
3.命婦帰参
  本文  現代語訳
 命婦は、「まだ大殿籠もらせたまはざりける」と、あはれに見たてまつる。御前の壺前栽のいとおもしろき盛りなるを御覧ずるやうにて、忍びやかに心にくき限りの女房四五人さぶらはせたまひて、御物語せさせたまふなりけり。このごろ、明け暮れ御覧ずる長恨歌の御絵、亭子院の描かせたまひて、伊勢、貫之に詠ませたまへる、大和言の葉をも、唐土の詩をも、ただその筋をぞ、枕言にせさせたまふ。いとこまやかにありさま問はせたまふ。あはれなりつること忍びやかに奏す。御返り御覧ずれば、  命婦は、「まだお休みあそばされなかったのだわ」と、しみじみと拝し上げる。御前にある壺前栽がたいそう美しい盛りに咲いているのを御覧になるようにして、ひそやかにおくゆかしい女房ばかり四、五人を伺候させなさって、お話をさせておいであそばすのであった。最近、毎日御覧になる「長恨歌」の御絵、それは亭子院がお描きなさって、伊勢や貫之に和歌を詠ませなさったものだが、わが国の和歌や唐土の漢詩などをも、ひたすらその方面の事柄を、日常の話題になさっている。たいそう詳しく里の様子をお尋ねあそばす。しみじみとした趣きをひそかに申し上げる。お返事を御覧になると、

 「いともかしこきは置き所もはべらず。かかる仰せ言につけても、かきくらす乱り心地になむ。

 「荒き風ふせぎし蔭の枯れしより 小萩がうへぞ静心なき」

 「たいへんに畏れ多いお手紙を頂戴いてはどうしてよいか分かりません。このような仰せ言を拝見いたしましても、心中は真っ暗闇に思い乱れておりまして。

 「荒い風を防いでいた木が枯れてからは小萩の身の上が気がかりでなりません」

 などやうに乱りがはしきを、心をさめざりけるほどと御覧じ許すべし。いとかうしも見えじと、思し静むれど、さらにえ忍びあへさせたまはず、御覧じ初めし年月のことさへかき集め、よろづに思し続けられて、「時の間もおぼつかなかりしを、かくても月日は経にけり」と、あさましう思し召さる。  などと言うようにやや不謹慎なのを、気持ちが静まらない時だからとお見逃しになるのであろう。決してこうした姿を見せまいと、お静めなさるが、まったく堪えることがおでになれず、初めてお召しになった年月のことまで思い出され、すべて自然と思い続けられて、「片時の間も離れてはいられなかったのに、よくこうも月日を過せたものだ」と、あきれてお思いあそばされる。
 「故大納言の遺言あやまたず、宮仕への本意深くものしたりしよろこびは、かひあるさまにとこ思ひわたりつれ。言ふかひなしや」とうちのたまはせて、いとあはれに思しやる。「かくても、おのづから若宮など生ひ出でたまはば、さるべきついでもありなむ。命長くとこそ思ひ念ぜめ  「故大納言の遺言に背かず、宮仕えの目的をよく果たしたお礼には、その甲斐があったようにと思い続けていたが。どうにもならないことだ」とふと仰せになって、たいそう気の毒にと思いを馳せられる。「そうではあるが、いずれ若宮がご成長されたならば、しかるべき機会がきっとあろう。長生きをしてそれまでじっと辛抱するがよい」
  などのたまはす。かの贈り物御覧ぜさす。「亡き人の住処尋ね出でたりけむしるしの釵ならましかば」と思ほすもいとかひなし   などと仰せになる。あの贈物を帝のお目に入れる。「亡くなった人の住処を探し当てたという証拠の釵であったならば」とお思いあそばしても、まったく甲斐がない。
  「尋ねゆく幻もがなつてにても 
 魂のありかをそこと知るべく」
  「亡き更衣を探し行ける幻術士がいてくれればよいのだがな、人づてにでも魂のありかをどこそこと知ることができるように」
  絵に描ける楊貴妃の容貌は、いみじき絵師といへども、筆限りありければいとにほひ少なし。大液芙蓉未央柳も、げに通ひたりし容貌を唐めいたる装ひはうるはしうこそありけめなつかしうらうたげなりしを思し出づるに、花鳥の色にも音にもよそふべき方ぞなき。朝夕の言種に、「翼をならべ、枝を交はさむ」と契らせたまひしに、かなはざりける命のほどぞ、尽きせず恨めしき   絵に描いてある楊貴妃の姿は、上手な絵師と言っても、筆力には限界があるのでまったく色気が少ない。「大液の芙蓉、未央の柳」の句にも、なるほど似ていた姿だが、唐風の装いをした姿は端麗ではあったろうが、慕わしさがあって愛らしかったのをお思い出しになると、花や鳥の色や音にも喩えようがない。朝夕の口癖に「比翼の鳥となり、連理の枝となろう」とお約束なさっていたのに、思うようにならなかった運命が、永遠に尽きることなく恨めしかった。
  風の音、虫の音につけて、もののみ悲しう思さるるに、弘徽殿には、久しく上の御局にも参う上りたまはず、月のおもしろきに、夜更くるまで遊びをぞしたまふなる。いとすさまじう、ものしと聞こし召す。このごろの御気色を見たてまつる上人、女房などは、かたはらいたしと聞きけり。いとおし立ちかどかどしきところものしたまふ御方にて、ことにもあらず思し消ちて もてなしたまふなるべし。月も入りぬ   風の音や、虫の音を聞くにつけて、何とはなく一途に悲しく思われなさるが、弘徽殿女御におかれては、久しく上の御局にもお上がりにならず、月が美しいので、夜が更けるまで管弦の遊びをなさっているようである。実に興ざめで、不愉快だ、とお聞きなさる。最近のご様子を見ていらっしゃる殿上人や女房などは、はらはらする思いで聞いていた。たいへんに気が強くてとげとげしい性質をお持ちの方なので、何ともお思いなさらず無視して振る舞っていらっしゃるのであろう。月も沈んでしまった。
  「雲の上も涙にくるる秋の月いかですむらむ浅茅生の宿」   「雲の上の宮中までも涙に曇って見える秋の月だ。ましてやどうして澄んで見えようか、草深い里で」
  思し召しやりつつ、灯火をかかげ尽くして起きおはします。右近の司の宿直奏の声聞こゆるは、になりぬるなるべし。人目を思して、夜の御殿に入らせたまひても、まどろませたまふことかたし。朝に起きさせたまふとても、明くるも知らで」と思し出づるにも、なほ朝政は怠らせたまひぬべかめり   お思いやりになりながら、灯芯をかき立てて油の尽きるまで起きていらっしゃる。右近衛府の官人の宿直申しの声が聞こえるのは、丑の刻になったのであろう。人目をお考えになって、夜の御殿にお入りあそばしても、うとうととまどろみになることも難しい。朝になってお起きになろうとしても、「夜の明けるのも分からないで」とお思い出しになられるにつけても、やはり政治をお執りになることは怠りがちになってしまいそうである。
  ものなども聞こし召さず、朝餉のけしきばかり触れさせたまひて、大床子の御膳などは、いと遥かに思し召したれば、陪膳にさぶらふ限りは、心苦しき御気色を見たてまつり嘆く。すべて、近うさぶらふ限りは、男女、「いとわりなきわざかな」と言ひ合はせつつ嘆く。「さるべき契りこそはおはしましけめ。そこらの人の誹り、恨みをも憚らせたまはず、この御ことに触れたることをば、道理をも失はせたまひ、今はた、かく世の中のことをも、思ほし捨てたるやうになりゆくは、いとたいだいしきわざなり」と、人の朝廷の例まで引き出で、ささめき嘆きけり   お食物などもお召し上がりにならず、朝餉には形だけお箸をおつけになって、大床子の御膳などは、まったくお心に入らぬかのように手をおつけあそばさないので、お給仕の人たちは皆、おいたわしいご様子を拝して嘆く。総じて、お側近くお仕えする人たちは、男も女も、「たいそう困ったことですね」とお互いに言い合っては溜息をつく。「こうなるはずの前世からの宿縁がおありだったのでしょう。大勢の人びとの非難や嫉妬をも憚りなさらず、あの方の事に関しては、御分別をお失になり、今は今で、このように政治をお執りになることも、お捨てになったようになって行くのは、たいへんに困ったことである」と、唐土の朝廷の例まで引き合いに出して、ひそひそと嘆息するのであった。