空蝉      
3.空蝉と軒端荻、碁を打つ
  本文  現代語訳
  火近う灯したり。母屋の中柱に側める人やわが心かくると、まづ目とどめたまへば、濃き綾の単衣襲なめり。何にかあらむ表に着て、頭つき細やかに小さき人の、ものげなき姿ぞしたる。顔などは、差し向かひたらむ人などにも、わざと見ゆまじうもてなしたり。手つき痩せ痩せにて、いたうひき隠しためり。   灯火が近くに灯してある。母屋の中柱に横向きになっている人が自分の思いを寄せている人かと、まっさきに目をお留めになると、濃い紫の綾の単重襲のようである。何であろうか、その上に着て、頭の恰好は小さく小柄な人で、見栄えのしない姿をしているのだ。顔などは、向かい合っている人などにも、特に見えないように気をつけている。手つきも痩せ痩せした感じで、ひどく袖の中に引き込めているようだ。
  いま一人は、東向きにて、残るところなく見ゆ。白き羅の単衣襲、二藍の小袿だつもの、ないがしろに着なして、紅の腰ひき結へる際まで胸あらはに、ばうぞくなるもてなしなり。いと白うをかしげに、つぶつぶと肥えて、そぞろかなる人の、頭つき額つきものあざやかに、まみ口つき、いと愛敬づき、はなやかなる容貌なり。髪はいとふさやかにて、長くはあらねど、下り端、肩のほどきよげに、すべていとねぢけたるところなく、をかしげなる人と見えたり。   もう一人は、東向きなので、すっかり見える。白い羅の単衣に、二藍の小袿のようなものを、しどけなく引っ掛けて、紅の袴の腰紐を結んでいる際まで胸を露わにして、嗜みのない恰好である。とても色白で美しく、まるまると太って、大柄の背の高い人で、頭の恰好や額の具合は、くっきりとしていて、目もと口もとが、とても愛嬌があり、はなやかな容貌である。髪はとてもふさふさとして、長くはないが、垂れ具合や、肩のところがすっきりとして、どこをとっても悪いところなく、美しい女と見えた。
   
  むべこそ親の世になくは思ふらめと、をかしく見たまふ。心地ぞ、なほ静かなる気を添へばやと、ふと見ゆる。かどなきにはあるまじ。碁打ち果てて、結さすわたり、心とげに見えて、きはぎはとさうどけば、奥の人はいと静かにのどめて、   道理で親がこの上なくかわいがることだろうと、興味をもって御覧になる。心づかいに、もう少し落ち着いた感じを加えたいものだと、ふと思われる。才覚がないわけではないらしい。碁を打ち終えて、だめを押すあたりは、機敏に見えて、陽気に騷ぎ立てると、奥の人は、とても静かに落ち着いて、
  「待ちたまへや。そこは持にこそあらめ。このわたりの劫をこそ」など言へど、   「お待ちなさいよ。そこは、持でありましょう。このあたりの、劫を先に数えましょう」などと言うが、
  「いで、このたびは負けにけり。隅のところ、いでいで」と指をかがめて、「十、二十、三十、四十」などかぞふるさま、伊予の湯桁もたどたどしかるまじう見ゆ。すこし品おくれたり。   「いやはや、今度は負けてしまいましたわ。隅の所は、どれどれ」と指を折って、「十、二十、三十、四十」などと数える様子は、伊予の湯桁もすらすらと数えられそうに見える。少し下品な感じがする。
   
  たとしへなく口おほひて、さやかにも見せねど、目をしつけたまへれば、おのづから側目も見ゆ。目すこし腫れたる心地して、鼻などもあざやかなるところなうねびれて、にほはしきところも見えず。言ひ立つれば、悪ろきによれる容貌をいといたうもてつけて、このまされる人よりは心あらむと、目とどめつべきさましたり。   極端に口を覆って、はっきりとも見せないが、目を凝らしていらっしゃると、自然と横顔も見える。目が少し腫れぼったい感じがして、鼻筋などもすっきり通ってなく老けた感じで、はなやかなところも見えない。言い立てて行くと、悪いことばかりになる容貌をとてもよく取り繕って、傍らの美しさで勝る人よりは嗜みがあろうと、目が引かれるような態度をしている。
  にぎははしう愛敬づきをかしげなるを、いよいよほこりかにうちとけて、笑ひなどそぼるれば、にほひ多く見えて、さる方にいとをかしき人ざまなり。あはつけしとは思しながら、まめならぬ御心は、これもえ思し放つまじかりけり。   朗らかで愛嬌があって美しいそうなのを、ますます得意満面に気を許して、笑い声などを上げてはしゃいでいるので、はなやかさが多く見えて、そうした方面ではそれなりにとても美しい人である。軽率であるとはお思いになるが、お堅くないお心には、この女も捨てておけないのであった。
  見たまふかぎりの人は、うちとけたる世なく、ひきつくろひ側めたるうはべをのみこそ見たまへ、かくうちとけたる人のありさまかいま見などは、まだしたまはざりつることなれば、何心もなうさやかなるはいとほしながら、久しう見たまはまほしきに、小君出で来る心地すれば、やをら出でたまひぬ。   ご存じの範囲の女性は、くつろいでいる時がなく、取り繕って横顔を向けたよそゆきの態度ばかりを御覧になるだけだが、このように気を許した女の様子ののぞき見などは、まだなさらなかったことなので、気づかずにすっかり見られているのは気の毒だが、しばらく御覧になりたいとは思いながらも、小君が出て来そう気がするので、そっとお出になった。
   
  渡殿の戸口に寄りゐたまへり。いとかたじけなしと思ひて、   渡殿の戸口に寄り掛かっていらっしゃっる。とても恐れ多いと思って、
  「例ならぬ人はべりて、え近うも寄りはべらず」   「珍しくお客がおりまして、近くにまいれません」
 「さて、今宵もや帰してむとする。いとあさましう、からうこそあべけれ」とのたまへば、   「それでは、今夜も帰そうとするのか。まったくあきれて、ひどいではないか」とおっしゃると、
  「などてか。あなたに帰りはべりなば、たばかりはべりなむ」と聞こゆ。   「いいえ決して。あちらに帰りましたら、きっと手立てを致しましょう」と申し上げる。
  「さもなびかしつべき気色にこそはあらめ。童なれど、ものの心ばへ、人の気色見つべくしづまれるを」と、思すなりけり。   「そのように何とかできそうな様子なのであろう。子供であるが、物事の事情や、人の気持ちを読み取れるくらい落ち着いているから」と、お思いになるのであった。
  碁打ち果てつるにやあらむ、うちそよめく心地して、人びとあかるるけはひなどすなり。   碁を打ち終えたのであろうか、衣ずれの音のする感じがして、女房たちが各部屋に下がって行く様子などがするようである。
   
 「若君はいづくにおはしますならむ。この御格子は鎖してむ」とて、鳴らすなり。   「若君はどこにいらっしゃるのでしょうか。この御格子は閉めましょう」と言って、物音を立てさせているのが聞こえる。
  「静まりぬなり。入りて、さらば、たばかれ」とのたまふ。   「静かになったようだ。入って、それでは、うまく工夫せよ」とおっしゃる。
  この子も、いもうとの御心はたわむところなくまめだちたれば、言ひあはせむ方なくて、人少なならむ折に入れたてまつらむと思ふなりけり。   この子も、姉のお気持ちは曲がりそうになく堅物でいるので、話をつけるすべもなくて、人少なになった時にお入れ申し上げようと考えるのであった。
  「紀伊守の妹もこなたにあるか。我にかいま見せさせよ」とのたまへど、   「紀伊守の妹も、ここにいるのか。わたしにのぞき見させよ」とおっしゃるが、
  「いかでか、さははべらむ。格子には几帳添へてはべり」と聞こゆ。   「どうして、そのようなことができましょうか。格子には几帳が添え立ててあります」と申し上げる。
  さかし、されどもをかしく思せど、「見つとは知らせじ、いとほし」と思して、夜更くることの心もとなさをのたまふ。   もっともだ、しかしそれでも興味深くお思いになるが、「見てしまったとは言うまい、気の毒だ」とお思いになって、夜の更けて行くことの遅いことをおっしゃる。
   
  こたみは妻戸を叩きて入る。皆人びと静まり寝にけり。   今度は、妻戸を叩いて入って行く。女房たちは皆静かに寝静まっていた。
  「この障子口に、まろは寝たらむ。風吹きとほせ」とて、畳広げて臥す。御達、東の廂にいとあまた寝たるべし。戸放ちつる童もそなたに入りて臥しぬれば、とばかり空寝して、灯明かき方に屏風を広げて、影ほのかなるに、やをら入れたてまつる。   「この障子の口に、僕は寝ていよう。風よ吹き抜けておくれ」と言って、畳を広げて横になる。女房たちは、東廂に大勢寝ているのだろう。妻戸を開けた女童もそちらに入って寝てしまったので、しばらく空寝をして、灯火の明るい方に屏風を広げて、うす暗くなったところに、静かにお入れ申し上げる。
  「いかにぞ、をこがましきこともこそ」と思すに、いとつつましけれど、導くままに、母屋の几帳の帷子引き上げて、いとやをら入りたまふとすれど、皆静まれる夜の、御衣のけはひやはらかなるしも、いとしるかりけり。   「どうなることか、愚かしいことがあってはならない」とご心配になると、とても気後れするが、手引するのに従って、母屋の几帳の帷子を引き上げて、たいそう静かにお入りになろうとするが、皆寝静まっている夜の、お召物の衣ずれの様子は、柔らかであるのが、かえってはっきりとわかるのであった。