夕顔

第一章 夕顔の物語 夏の物語

2.    数日後、夕顔の宿の報告

  本文  現代語訳
  惟光、日頃ありて参れり。   惟光が、数日して参上した。
 「わづらひはべる人、なほ弱げにはべれば、とかく見たまへあつかひてなむ」   「患っております者が、依然として弱そうでございましたので、いろいろと看病いたしておりまして」
 など、聞こえて、近く参り寄りて聞こゆ。   などと、ご挨拶申し上げて、近くに上って申し上げる。
 「仰せられしのちなむ、隣のこと知りてはべる者、呼びて問はせはべりしかど、はかばかしくも申しはべらず。『いと忍びて、五月のころほひよりものしたまふ人なむあるべけれど、その人とは、さらに家の内の人にだに知らせず』となむ申す。   「仰せ言のございました後に、隣のことを知っております者を、呼んで尋ねさせましたが、はっきりとは申しません。『ごく内密に、五月のころからおいでの方があるようですが、誰それとは、全然その家の内の人にさえ知らせません』と申します。
  時々、中垣のかいま見しはべるに、げに若き女どもの透影見えはべり。褶だつもの、かことばかり引きかけて、かしづく人はべるなめり。    時々、中垣から覗き見いたしますと、成程、若い女たちの透き影が見えます。褶めいた物を、申しわけ程度にひっかけているので、仕えている主人がいるようでございます。
   
  昨日、夕日のなごりなくさし入りてはべりしに、文書くとてゐてはべりし人の、顔こそいとよくはべりしか。もの思へるけはひして、ある人びとも忍びてうち泣くさまなどなむ、しるく見えはべる」   昨日、夕日がいっぱいに射し込んでいました時に、手紙を書こうとして座っていました女人の顔が、とてもようございました。憂えに沈んでいるような感じがして、側にいる女房たちも涙を隠して泣いている様子などが、はっきりと見えました」
  と聞こゆ。君うち笑みたまひて、「知らばや」と思ほしたり。   と申し上げる。源氏の君はにっこりなさって、「知りたいものだ」とお思いになった。
  おぼえこそ重かるべき御身のほどなれど、御よはひのほど、人のなびきめできこえたるさまなど思ふには、好きたまはざらむも、情けなくさうざうしかるべしかし、人のうけひかぬほどにてだに、なほ、さりぬべきあたりのことは、このましうおぼゆるものを、と思ひをり。   ご声望こそ重々しいはずのご身分であるが、ご年齢のほど、女性たちがお慕いしお褒め申し上げている様子などを考えると、興味をお感じにならないのも、風情がなくきっと物足りない気がするだろうが、世間の人が承知しない身分でさえ、やはり、しかるべき身分の人には、興味をそそられるものだから、と思っている。
   
  「もし、見たまへ得ることもやはべると、はかなきついで作り出でて、消息など遣はしたりき。書き馴れたる手して、口とく返り事などしはべりき。いと口惜しうはあらぬ若人どもなむはべるめる」   「もしや、何か発見いたすこともありましょうかと、ちょっとした機会を作って、恋文などを出してみました。書きなれている筆跡で、素早く返事など寄こしました。たいして悪くはない若い女房たちがいるようでございます」
  と聞こゆれば、   と申し上げると、
   「なほ言ひ寄れ。尋ね寄らでは、さうざうしかりなむ」とのたまふ。   「さらに近づけ。突き止めないでは、きっと物足りない気がしよう」とおっしゃる。
  かの、下が下と、人の思ひ捨てし住まひなれど、その中にも、思ひのほかに口惜しからぬを見つけたらばと、めづらしく思ほすなりけり。   あの、下層の最下層だと、人が見下した住まいであるが、その中にも、意外に結構なのを見つけたらばと、心惹かれてお思いになるのであった。