夕顔

第四章 夕顔の物語(2) 仲秋の物語

3.なにがしの院に移る

  本文  現代語訳
  いさよふ月に、ゆくりなくあくがれむことを、女は思ひやすらひ、とかくのたまふほど、にはかに雲隠れて、明け行く空いとをかし。はしたなきほどにならぬ先にと、例の急ぎ出でたまひて、軽らかにうち乗せたまへれば、右近ぞ乗りぬる。   ためらっている月のように、出し抜けに行く先も分からず出かけることを、女は躊躇し、いろいろと説得なさるうちに、急に雲に隠れて、明け行く空は実に美しい。体裁の悪くなる前にと、いつものように急いでお出になって、軽々とお乗せになったので、右近が乗った。
  そのわたり近きなにがしの院におはしまし着きて、預り召し出づるほど、荒れたる門の忍ぶ草茂りて見上げられたる、たとしへなく木暗し。霧も深く、露けきに、簾をさへ上げたまへれば、御袖もいたく濡れにけり。   その辺りに近い某院にお着きあそばして、管理人をお呼び出しになる間、荒れた門の忍草が生い茂っていて見上げられるのが、譬えようなく木暗い。霧も深く、露っぽいところに、簾までを上げていらっしゃるので、お袖もひどく濡れてしまった。
  「まだかやうなることを慣らはざりつるを、心尽くしなることにもありけるかな。

いにしへもかくやは人の惑ひけむ

  我がまだ知らぬしののめの道
 慣らひたまへりや」

  「まだこのようなことを経験しなかったが、いろいろと気をもむことであるなあ。

昔の人もこのように恋の道に迷ったのだろうか

  わたしには経験したことのない明け方の道だ
 ご経験なさいましたか」

  とのたまふ。女、恥ぢらひて、   とおっしゃる。女は、恥ずかしがって、
 「山の端の心も知らで行く月は

  うはの空にて影や絶えなむ

 心細く」

  「山の端をどこと知らないで随って行く月は

  途中で光が消えてしまうのではないでしょうか

 心細くて」

  とて、もの恐ろしうすごげに思ひたれば、「かのさし集ひたる住まひの慣らひならむ」と、をかしく思す。   と言って、何となく怖がって気味悪そうに思っているので、「あの建て込んでいる小家に住み慣れているからだろう」と、おもしろくお思いになる。
   
  御車入れさせて、西の対に御座などよそふほど、高欄に御車ひきかけて立ちたまへり。右近、艶なる心地して、来し方のことなども、人知れず思ひ出でけり。預りいみじく経営しありく気色に、この御ありさま知りはてぬ。   お車を入れさせて、西の対にご座所などを準備する間、高欄に轅を掛けて待っていらっしゃる。右近は、心浮き立つ優美な心地がして、過去のことなども、一人思い出すのであった。管理人が一生懸命奔走している様子から、このご様子をすっかり知った。
  ほのぼのと物見ゆるほどに、下りたまひぬめり。かりそめなれど、清げにしつらひたり。   ほのかに物が見えるころに、お下りになったようである。仮ごしらえだが、こざっぱりと設けてある。
 「御供に人もさぶらはざりけり。不便なるわざかな」とて、むつましき下家司にて、殿にも仕うまつる者なりければ、参りよりて、「さるべき人召すべきにや」など、申さすれど、  「お供にどなたもお仕えいたしておりませんな。不都合なことですな」と言って、親しい下家司で、大殿にも仕えている者だったので、参り寄って、「適当な人を、お呼びなさるべきではありませんか」などと、申し上げさせるが、
  「ことさらに人来まじき隠れ家求めたるなり。さらに心よりほかに漏らすな」と口がためさせたまふ。   「特に人の来ないような隠れ家を求めたのだ。決して他人には言うな」と口封じさせなさる。
   
  御粥など急ぎ参らせたれど、取り次ぐ御まかなひうち合はず。まだ知らぬことなる御旅寝に、「息長川」と契りたまふことよりほかのことなし。   お粥などを準備して差し上げたが、取り次ぐお給仕が揃わない。まだ経験のないご外泊に、「鳰鳥の息長川」よりもいついつまでもとお約束なさること以外ない。
  日たくるほどに起きたまひて、格子手づから上げたまふ。いといたく荒れて、人目もなくはるばると見渡されて、木立いとうとましくものふりたり。け近き草木などは、ことに見所なく、みな秋の野らにて、池も水草に埋もれたれば、いとけうとげになりにける所かな。別納の方にぞ、曹司などして、人住むべかめれど、こなたは離れたり。   日が高くなったころにお起きになって、格子を自らお上げになる。とてもひどく荒れて、人影もなく広々と見渡されて、木立がとても気味悪く鬱蒼と古びている。側近くの草木などは、格別見所もなく、すっかり秋の野原となって、池も水草に埋もれているので、まことに恐ろしくなってしまった所であるよ。別納の方に、部屋などを設えて、人が住んでいるようだが、こちらは離れている。
  「けうとくもなりにける所かな。さりとも、鬼なども我をば見許してむ」とのたまふ。   「気味悪そうになってしまった所だね。いくら何でも、鬼などもわたしならきっと見逃すだろう」とおっしゃる。
   
  顔はなほ隠したまへれど、女のいとつらしと思へれば、「げに、かばかりにて隔てあらむも、ことのさまに違ひたり」と思して、   お顔は依然として隠していらっしゃるが、女がとても辛いと思っているので、「なるほど、これ程深い仲になって隠しているようなのも、男女のあるべきさまと違っている」とお思いになって、
  「夕露に紐とく花は玉鉾の

  たよりに見えし縁にこそありけれ

 露の光やいかに」

  「夕べの露を待って花開いて顔をお見せするのは

  道で出逢った縁からなのですよ

 露の光はどうですか」

  とのたまへば、後目に見おこせて、   とおっしゃると、流し目に見やって、
  「光ありと見し夕顔のうは露は

  たそかれ時のそら目なりけり」

  「光輝いていると見ました夕顔の上露は

  たそがれ時の見間違いでした」

  とほのかに言ふ。をかしと思しなす。げに、うちとけたまへるさま、世になく、所から、まいてゆゆしきまで見えたまふ。   とかすかに言う。おもしろいとお思いになる。なるほど、うちとけていらっしゃるご様子は、またとなく、場所が場所ゆえ、いっそう不吉なまでにお美しくお見えになる。
   
  「尽きせず隔てたまへるつらさに、あらはさじと思ひつるものを。今だに名のりしたまへ。いとむくつけし」   「いつまでも隠していらっしゃる辛さに、顕すまいと思っていたが。せめて今からでもお名乗り下さい。とても気味が悪い」
  とのたまへど、「海人の子なれば」とて、さすがにうちとけぬさま、いとあいだれたり   とおっしゃるが、「海人の子なので」と言って、依然としてうちとけない態度は、とても甘え過ぎている。
  「よし、これも我からなめり」と、怨みかつは語らひ、暮らしたまふ。   「それでは、これも『われから』のようだ」と、怨みまた一方では睦まじく語り合いながら、一日お過ごしになる。
  惟光、尋ねきこえて、御くだものなど参らす。右近が言はむこと、さすがにいとほしければ、近くもえさぶらひ寄らず。「かくまでたどり歩きたまふ、をかしう、さもありぬべきありさまにこそは」と推し量るにも、「我がいとよく思ひ寄りぬべかりしことを、譲りきこえて、心ひろさよ」など、めざましう思ひをる。   惟光が、お探し申して、お菓子などを差し上げさせる。右近が文句言うことは、やはり気の毒なので、お側に伺候することもできない。「こんなにまでご執心でいられるのは、魅力的で、きっとそうに違いない様子なのだろう」と推量するにつけても、「自分がうまく言い寄ろうと思えばできたのを、お譲り申して、なんと寛大なことよ」などと、失敬なことを考えている。
   
  たとしへなく静かなる夕べの空を眺めたまひて、奥の方は暗うものむつかしと、女は思ひたれば、端の簾を上げて、添ひ臥したまへり。夕映えを見交はして、女も、かかるありさまを、思ひのほかにあやしき心地はしながら、よろづの嘆き忘れて、すこしうちとけゆく気色、いとらうたし。つと御かたはらに添ひ暮らして、物をいと恐ろしと思ひたるさま、若う心苦し。格子とく下ろしたまひて、大殿油参らせて、「名残りなくなりにたる御ありさまにて、なほ心のうちの隔て残したまへるなむつらき」と、恨みたまふ。   譬えようもなく静かな夕方の空をお眺めになって、奥の方は暗く何となく気味が悪いと、女は思っているので、端の簾を上げて、添い臥していらっしゃる。夕映えのお顔を互いに見交わして、女も、このような出来事を、意外に不思議な気持ちがする一方で、すべての嘆きを忘れて、少しずつ打ち解けていく様子は、実にかわいい。ぴったりとお側に一日中添ったままで、何かをとても怖がっている様子は、子供っぽくいじらしい。格子を早くお下ろしになって、大殿油を点灯させて、「すっかり深い仲となったご様子でいて、依然として心の中に隠し事をなさっているのが辛い」と、お恨みになる。
  「内裏に、いかに求めさせたまふらむを、いづこに尋ぬらむ」と、思しやりて、かつは、「あやしの心や。六条わたりにも、いかに思ひ乱れたまふらむ。恨みられむに、苦しう、ことわりなり」と、いとほしき筋は、まづ思ひきこえたまふ。何心もなきさしむかひを、あはれと思すままに、「あまり心深く、見る人も苦しき御ありさまを、すこし取り捨てばや」と、思ひ比べられたまひける。  「主上には、どんなにかお探しあそばしているだろうから、人々はどこを探しているだろうか」と、思いをおはせになって、また一方では、「不思議な気持ちだ。六条辺りでも、どんなにお思い悩んでいらっしゃることだろう。怨まれることも、辛いことだし、もっともなことだ」と、おいたわしい方としては、まっさきにお思い出し申し上げなさる。無心に向かい合って座っているのを、かわいいとお思いになるにつれて、「あまり思慮深く、対座する者までが息が詰るようなご様子を、少し取り除きたいものだ」と、ついご比較されるのであった。