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若 紫

第一章 紫上の物語 若紫の君登場、三月晦日から初夏四月までの物語

2.山の景色や地方の話に気を紛らす

 

本文

現代語訳

 すこし立ち出でつつ見渡したまへば、高き所にて、ここかしこ、僧坊どもあらはに見おろさるる、ただこのつづら折の下に、同じ小柴なれど、うるはしくし渡して、清げなる屋、廊など続けて、木立いとよしあるは、

 少し外に出て見渡しなさると、高い所なので、あちこちに、僧坊どもがはっきりと見下ろされる、ちょうどこのつづら折の道の下に、同じような小柴垣であるが、きちんとめぐらして、こざっぱりとした建物に、廊などを建て続けて、木立がとても風情あるのは、

 「何人の住むにか」

 「どのような人が住んでいるのか」

 と問ひたまへば、御供なる人、

 とお尋ねになると、お供である人が、

 「これなむ、なにがし僧都の、二年籠もりはべる方にはべるなる」

 「これが、某僧都が、二年間籠もっております所だそうでございます」

 「心恥づかしき人住むなる所にこそあなれ。あやしうも、あまりやつしけるかな。聞きもこそすれ」などのたまふ。

 「気おくれするほど立派な人が住んでいるという所だな。何とも、あまりに粗末な身なりであったなあ。聞きつけたら困るな」などとおっしゃる。

 清げなる童などあまた出で来て、閼伽たてまつり、花折りなどするもあらはに見ゆ。

 美しそうな童女などが、大勢出て来て、閼伽棚に水をお供えしたり、花を折ったりなどするのも、はっきりと見える。

 「かしこに、女こそありけれ」

  「僧都は、よも、さやうには、据ゑたまはじを」

「いかなる人ならむ」

 「あそこに、女がいるぞ」

  「僧都は、まさか、そのようには、囲って置かれまいに」

  「どのような女だろう」

 と口々言ふ。下りて覗くもあり。

 と口々に言う。下りて覗く者もいる。

 「をかしげなる女子ども、若き人、童女なむ見ゆる」と言ふ。

「きれいな女の子たちや、若い女房、童女が見える」と言う。

 君は、行ひしたまひつつ、日たくるままに、いかならむと思したるを、

 源氏の君は、勤行なさりながら、日盛りになるにつれて、どうだろうかとご心配なさるのを、

 「とかう紛らはさせたまひて、思し入れぬなむ、よくはべる」

 「何かとお紛らわしあそばして、お気になさらないのが、よろしうございます」

 と聞こゆれば、後への山に立ち出でて、京の方を見たまふ。はるかに霞みわたりて、四方の梢そこはかとなう煙りわたれるほど、

 と申し上げるので、後方の山に立ち出でて、京の方角を御覧になる。遠くまで霞がかかっていて、四方の梢がどことなく霞んで見える具合、

 「絵にいとよくも似たるかな。かかる所に住む人、心に思ひ残すことはあらじかし」とのたまへば、

 「絵にとてもよく似ているなあ。このような所に住む人は、心に思い残すことはないだろうよ」とおっしゃると、

 「これは、いと浅くはべり。人の国などにはべる海、山のありさまなどを御覧ぜさせてはべらば、いかに、御絵いみじうまさらせたまはむ。富士の山、なにがしの嶽」

 「これは、まことに平凡でございます。地方などにございます海、山の景色などを御覧に入れましたならば、どんなにか、お絵も素晴らしくご上達あそばしましょう。富士の山、何々の嶽」

 など、語りきこゆるもあり。また西国のおもしろき浦々、磯の上を言ひ続くるもありて、よろづに紛らはしきこゆ。

 などと、お話し申し上げる者もいる。また、西国の美しい浦々や、海岸辺りについて話し続ける者もいて、何かとお気を紛らし申し上げる。

 「近き所には、播磨の明石の浦こそ、なほことにはべれ。何の至り深き隈はなけれど、ただ、海の面を見わたしたるほどなむ、あやしく異所に似ず、ゆほびかなる所にはべる。

 「近い所では、播磨国の明石の浦が、やはり格別でございます。どこといって奥深い趣はないが、ただ、海の方を見渡しているところが、不思議と他の海岸とは違って、ゆったりと広々した所でございます。

 かの国の前の守、新発意の、女かしづきたる家、いといたしかし。大臣の後にて、出で立ちもすべかりける人の、世のひがものにて、交じらひもせず、近衛の中将を捨てて、申し賜はれりける司なれど、かの国の人にもすこしあなづられて、『何の面目にてか、また都にも帰らむ』と言ひて、頭も下ろしはべりにけるを、すこし奥まりたる山住みもせで、さる海づらに出でゐたる、ひがひがしきやうなれど、げに、かの国のうちに、さも、人の籠もりゐぬべき所々はありながら、深き里は、人離れ心すごく、若き妻子の思ひわびぬべきにより、かつは心をやれる住まひになむはべる。

 あの国の前国司で、出家したての人が、娘を大切に育てている家は、まことにたいしたものです。大臣の後裔で、出世もできたはずの人なのですが、たいそうな変わり者で、人づき合いをせず、近衛の中将を捨てて、申し出て頂戴した官職ですが、あの国の人にも少し馬鹿にされて、『何の面目があって、再び都に帰られようか』と言って、剃髪してしまったのでございますが、少し奥まった山中生活もしないで、そのような海岸に出ているのは、間違っているようですが、なるほど、あの国の中に、そのように、人が籠もるにふさわしい所々は方々にありますが、深い山里は、人気もなくもの寂しく、若い妻子がきっと心細がるにちがいないので、一方では気晴らしのできる住まいでございます。

 先つころ、まかり下りてはべりしついでに、ありさま見たまへに寄りてはべりしかば、京にてこそ所得ぬやうなりけれ、そこらはるかに、いかめしう占めて造れるさま、さは言へど、国の司にてし置きけることなれば、残りの齢ゆたかに経べき心構へも、二なくしたりけり。後の世の勤めも、いとよくして、なかなか法師まさりしたる人になむはべりける」と申せば、

 最近、下向いたしました機会に、様子を拝見するために立ち寄ってみましたところ、都でこそ不遇のようでしたが、はなはだ広々と、豪勢に占有して造っている様子は、そうは言っても、国司として造っておいたことなので、余生を豊かに過ごせる準備も、またとなくしているのでした。後世の勤行も、まことによく勤めて、かえって出家して人品が上がった人でございました」と申し上げると、

 「さて、その女は」と、問ひたまふ。

 「ところで、その娘は」と、お尋ねになる。

 「けしうはあらず、容貌、心ばせなどはべるなり。代々の国の司など、用意ことにして、さる心ばへ見すなれど、さらにうけひかず。『我が身のかくいたづらに沈めるだにあるを、この人ひとりにこそあれ、思ふさまことなり。もし我に後れてその志とげず、この思ひおきつる宿世違はば、海に入りね』と、常に遺言しおきてはべるなる」

 「悪くはありません、器量や、気立てなども結構だということでございます。代々の国司などが、格別懇ろな態度で、結婚の申し込みをするようですが、全然承知しません。『自分の身がこのようにむなしく落ちぶれているのさえ無念なのに、この娘一人だけだが、特別に考えているのだ。もし、わたしに先立たれて、その素志を遂げられず、わたしの願っていた運命と違ったならば、海に入ってしまえ』と、いつも遺言をしているそうでございます」

 と聞こゆれば、君もをかしと聞きたまふ。人びと、

 と申し上げると、源氏の君もおもしろい話だとお聞きになる。供人たちは、

 「海龍王の后になるべきいつき女ななり」

  「心高さ苦しや」とて笑ふ。

 「きっと海龍王の后になる大切な娘なのだろう」

  「気位いの高いことも、困ったものだね」と言って笑う。

 かく言ふは、播磨守の子の、蔵人より、今年、かうぶり得たるなりけり。

 このように話すのは、播磨守の子で、六位蔵人から、今年、五位に叙された者なのであった。

 「いと好きたる者なれば、かの入道の遺言破りつべき心はあらむかし」

  「さて、たたずみ寄るならむ」

 「大変な好色者だから、あの入道の遺言をきっと破ってしまおうという気なのだろうよ」

  「それで、うろうろしているのだろう」

 と言ひあへり。

 と言い合っている。

 「いで、さ言ふとも、田舎びたらむ。幼くよりさる所に生ひ出でて、古めいたる親にのみ従ひたらむは」

 「いやもう、そうは言っても、田舎びているだろう。幼い時からそのような所に成長して、古めかしい親にばかり教育されていたのでは」

 「母こそゆゑあるべけれ。よき若人、童など、都のやむごとなき所々より、類にふれて尋ねとりて、まばゆくこそもてなすなれ」

 「母親はきっと由緒ある家の出なのだろう。美しい若い女房や、童女など、都の高貴な家々から、縁故を頼って探し集めて、眩しく育てているそうだ」

 「情けなき人なりて行かば、さて心安くてしも、え置きたらじをや」

 「心ない人が国司になって赴任して行ったら、そんなふうに安心して、置いておけないのでは」

 など言ふもあり。君、

 などと言う者もいる。源氏の君は、

 「何心ありて、海の底まで深う思ひ入るらむ。底の「みるめ」も、ものむつかしう」

 「どのような考えがあって、海の底まで深く思い込んでいるのだろうか。海底の「海松布」も何となく見苦しい」

 などのたまひて、ただならず思したり。かやうにても、なべてならず、もてひがみたること好みたまふ御心なれば、御耳とどまらむをや、と見たてまつる。

 などとおっしゃって、少なからず関心をお持ちになっている。このような話でも、普通以上に、一風変わったことをお好みになるご性格なので、お耳を傾けられるのだろう、と拝見する。

 「暮れかかりぬれど、おこらせたまはずなりぬるにこそはあめれ。はや帰らせたまひなむ」

 「暮れかけてきましたが、ご発作がおこりあそばさなくなったようでございます。早くお帰りあそばされのがよいでしょう」

 とあるを、大徳、

 と言うのを、大徳は、

 「御もののけなど、加はれるさまにおはしましけるを、今宵は、なほ静かに加持など参りて、出でさせたまへ」と申す。

 「おん物の怪などが、憑いている様子でいらっしゃいましたが、今夜は、やはり静かに加持などをなさって、お帰りあそばされませ」と申し上げる。

 「さもあること」と、皆人申す。君も、かかる旅寝も慣らひたまはねば、さすがにをかしくて、

 「それも、もっともなこと」と、供人皆が申し上げる。源氏の君も、このような旅寝もご経験ないことなので、何と言っても興味があって、

 「さらば暁に」とのたまふ。

「それでは、早朝に」とおっしゃる。



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