3. 桜宴の翌日、昨夜の女性の素性を知りたがる
本文 |
現代語訳 |
その日は後宴のことありて、まぎれ暮らしたまひつ。箏の琴仕うまつりたまふ。昨日のことよりも、なまめかしうおもしろし。藤壺は、暁に参う上りたまひにけり。「かの有明、出でやしぬらむ」と、心もそらにて、思ひ至らぬ隈なき良清、惟光をつけて、うかがはせたまひければ、御前よりまかでたまひけるほどに、 |
その日は後宴の催しがあって、忙しく一日中お過ごしになった。箏の琴をお務めになる。昨日の御宴よりも、優美に興趣が感じられる。藤壷は、暁にお上りになったのであった。「あの有明は、退出してしまったろうか」と、心も上の空で、何事につけても手抜かりのない良清、惟光に命じて、見張りをさせておかれたところ、御前から退出なさった時に、 |
「ただ今、北の陣より、かねてより隠れ立ちてはべりつる車どもまかり出づる。御方々の里人はべりつるなかに、四位の少将、右中弁など急ぎ出でて、送りしはべりつるや、弘徽殿の御あかれならむと見たまへつる。けしうはあらぬけはひどもしるくて、車三つばかりはべりつ」 |
「たった今、北の陣から、あらかじめ物蔭に隠れて立っていた車どもが退出しました。御方々の実家の人がございました中で、四位少将、右中弁などが急いで出てきて、送って行きましたのは、弘徽殿方のご退出であろうと拝見しました。ご立派な方が乗っている様子がはっきり窺えて、車が三台ほどでございました」 |
と聞こゆるにも、胸うちつぶれたまふ。 「いかにして、いづれと知らむ。父大臣など聞きて、ことごとしうもてなさむも、いかにぞや。まだ、人のありさまよく見さだめぬほどは、わづらはしかるべし。さりとて、知らであらむ、はた、いと口惜しかるべければ、いかにせまし」と、思しわづらひて、つくづくとながめ臥したまへり。 |
とご報告申し上げるにつけても、胸がどきっとなさる。
「どのようにして、どの君と確かめ得ようか。父大臣などが聞き知って、大げさに婿扱いされるのも、どんなものか。まだ、相手の様子をよく見定めないうちは、厄介なことだろう。そうかと言って、確かめないでいるのも、それまた、誠に残念なことだろうから、どうしたらよいものか」と、ご思案に余って、ぼんやりと物思いに耽り横になっていらっしゃった。 |
「姫君、いかにつれづれならむ。日ごろになれば、屈してやあらむ」と、らうたく思しやる。かのしるしの扇は、桜襲ねにて、濃きかたにかすめる月を描きて、水にうつしたる心ばへ、目馴れたれど、ゆゑなつかしうもてならしたり。「草の原をば」と言ひしさまのみ、心にかかりたまへば、 |
「姫君は、どんなに寂しがっているだろう。何日も会っていないから、ふさぎこんでいるだろうか」と、いじらしくお思いやりなさる。あの証拠の扇は、桜襲の色で、色の濃い片面に霞んでいる月を描いて、水に映している図柄は、よくあるものだが、人柄も奥ゆかしく使い馴らしている。「草の原をば」と詠んだ姿ばかりが、お心にかかりになさるので、 |
「世に知らぬ心地こそすれ有明の 月のゆくへを空にまがへて」 |
「今までに味わったことのない気がする 有明の月の行方を途中で見失ってしまって」 |
と書きつけたまひて、置きたまへり。 |
とお書きつけになって、取って置きなさった。 |