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花散里

3. 姉麗景殿女御と昔を語る

 

本文

現代語訳

 かの本意の所は、思しやりつるもしるく、人目なく、静かにておはするありさまを見たまふも、いとあはれなり。まづ、女御の御方にて、昔の御物語など聞こえたまふに、夜更けにけり。

  二十日の月さし出づるほどに、いとど木高き蔭ども木暗く見えわたりて、近き橘の薫りなつかしく匂ひて、女御の御けはひ、ねびにたれど、あくまで用意あり、あてにらうたげなり。

 あの目的の所は、ご想像なさっていた以上に、人影もなく、ひっそりとお暮らしになっている様子を御覧になるにつけても、まことにおいたわしい。最初に、女御のお部屋で、昔のお話などを申し上げなさっているうちに、夜も更けてしまった。

  二十日の月が差し昇るころに、ますます木高い木蔭で一面に暗く見えて、近くの橘の薫りがやさしく匂って、女御のご様子、お年を召しているが、どこまでも深い心づかいがあり、気品があって愛らしげでいらっしゃる。

 

 「すぐれてはなやかなる御おぼえこそなかりしかど、むつましうなつかしき方には思したりしものを」

  など、思ひ出できこえたまふにつけても、昔のことかきつらね思されて、うち泣きたまふ。

 「格別目立つような御寵愛こそなかったが、仲睦まじく親しみの持てる方とお思いでいらしたなあ」

  などと、お思い出し申し上げなさるにつけても、昔のことが次から次へと思い出されて、ふとお泣きになる。

 

 ほととぎす、ありつる垣根のにや、同じ声にうち鳴く。「慕ひ来にけるよ」と、思さるるほども、艶なりかし。「いかに知りてか」など、忍びやかにうち誦んじたまふ。

 ほととぎす、先程の垣根のであろうか、同じ声で鳴く。「自分の後を追って来たのだな」と思われなさるのも、優美である。「どのように知ってか」などと、小声で口ずさみなさる。

 

 「橘の香をなつかしみほととぎす

  花散る里をたづねてぞとふ

 「昔を思い出させる橘の香を懐かしく思って

   ほととぎすが花の散ったこのお邸にやって来ました

 

 いにしへの忘れがたき慰めには、なほ参りはべりぬべかりけり。こよなうこそ、紛るることも、数添ふこともはべりけれ。おほかたの世に従ふものなれば、昔語もかきくづすべき人少なうなりゆくを、まして、つれづれも紛れなく思さるらむ」

 昔の忘れられない心の慰めには、やはり参上いたすべきでした。この上なく、物思いの紛れることも、数増すこともございました。人は時流に従うものですから、昔話も語り合える人が少なくなって行くのを、わたし以上に、所在なさも紛らすすべもなくお思いでしょう」

 

 と聞こえたまふに、いとさらなる世なれど、ものをいとあはれに思し続けたる御けしきの浅からぬも、人の御さまからにや、多くあはれぞ添ひにける。

 とお申し上げなさると、まことに言うまでもない世情であるが、物をしみじみとお思い続けていらっしゃるご様子が一通りでないのも、お人柄からであろうか、ひとしお哀れが感じられるのであった。

 「人目なく荒れたる宿は橘の

  花こそ軒のつまとなりけれ」

 「訪れる人もなく荒れてしまった住まいには

   軒端の橘だけがお誘いするよすがになったのでした」

 とばかりのたまへる、「さはいへど、人にはいとことなりけり」と、思し比べらる。

 とだけおっしゃっるが、「そうはいっても、他の女性とは違ってすぐれているな」と、ついお思い比べられる。



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