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須磨

第一章 光る源氏の物語 逝く春と離別の物語

7. 桐壺院の御墓に離京の挨拶

 

本文

現代語訳

 月待ち出でて出でたまふ。御供にただ五、六人ばかり、下人もむつましき限りして、御馬にてぞおはする。さらなることなれど、ありし世の御ありきに異なり、皆いと悲しう思ふなり。なかに、かの御禊の日、仮の御随身にて仕うまつりし右近の将監の蔵人、得べきかうぶりもほど過ぎつるを、つひに御簡削られ、官も取られて、はしたなければ、御供に参るうちなり。

  賀茂の下の御社を、かれと見渡すほど、ふと思ひ出でられて、下りて、御馬の口を取る。

 月を待ってお出かけになる。お供にわずか五、六人ほど、下人も気心の知れた者だけを連れて、お馬でいらっしゃる。言うまでもないことだが、以前のご外出と違って、皆とても悲しく思うのである。その中で、あの御禊の日、仮の御随身となってご奉仕した右近将監の蔵人、当然得るはずの五位の位にも時期が過ぎてしまったが、とうとう殿上の御簡も削られ、官職も剥奪されて、面目がないので、お供に参る一人である。

  賀茂の下の御社を、それと見渡せる辺りで、ふと思い出されて、下りて、お馬の轡を取る。

 「ひき連れて葵かざししそのかみを

   思へばつらし賀茂の瑞垣」

 「お供をして葵を頭に挿した御禊の日のことを思うと

   御利益がなかったのかとつらく思われます、賀茂の神様」

 と言ふを、「げに、いかに思ふらむ。人よりけにはなやかなりしものを」と思すも、心苦し。

  君も、御馬より下りたまひて、御社のかた拝みたまふ。神にまかり申したまふ。

 と詠むのを、「本当に、どんなに悲しんでいることだろう。誰よりも羽振りがよく振る舞っていたのに」とお思いになると、気の毒である。

  君も御馬から下りなさって、御社の方、拝みなさる。神にお暇乞い申し上げなさる。

 「憂き世をば今ぞ別るるとどまらむ

   名をば糺の神にまかせて」

 「辛い世の中を今離れて行く、後に残る

   噂の是非は、糺の神に委ねて」

 とのたまふさま、ものめでする若き人にて、身にしみてあはれにめでたしと見たてまつる。

 とお詠みになる様子、感激しやすい若者なので、身にしみてご立派なと拝する。

 御山に詣うでたまひて、おはしましし御ありさま、ただ目の前のやうに思し出でらる。限りなきにても、世に亡くなりぬる人ぞ、言はむかたなく口惜しきわざなりける。よろづのことを泣く泣く申したまひても、そのことわりをあらはに承りたまはねば、「さばかり思しのたまはせしさまざまの御遺言は、いづちか消え失せにけむ」と、いふかひなし。

 御陵に参拝なさって、御在世中のお姿、まるで眼前の事にお思い出しになられる。至尊の地位にあった方でも、この世を去ってしまった人は、何とも言いようもなく無念なことであった。何から何まで泣く泣く申し上げなさっても、その是非をはっきりとお承りにならないので、「あれほどお考え置かれたいろいろなご遺言は、どこへ消え失せてしまったのだろうか」と、何とも言いようがない。

 御墓は、道の草茂くなりて、分け入りたまふほど、いとど露けきに、月も隠れて、森の木立、木深く心すごし。帰り出でむ方もなき心地して、拝みたまふに、ありし御面影、さやかに見えたまへる、そぞろ寒きほどなり。

 御陵は、参道の草が生い茂って、かき分けてお入りになって行くうちに、ますます露に濡れると、月も雲に隠れて、森の木立は木深くぞっとする。帰る道も分からない気がして、参拝なさっているところに、御生前の御姿、はっきりと現れなさった、鳥肌の立つ思いである。

 「亡き影やいかが見るらむよそへつつ

   眺むる月も雲隠れぬる」

 「亡き父上はどのように御覧になっていられることだろうか

   父上のように思って見ていた月の光も雲に隠れてしまった」



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