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須磨

第二章 光る源氏の物語 夏の長雨と鬱屈の物語

3. 伊勢の御息所へ手紙

 

本文

現代語訳

 まことや、騒がしかりしほどの紛れに漏らしてけり。かの伊勢の宮へも御使ありけり。かれよりも、ふりはへ尋ね参れり。浅からぬことども書きたまへり。言の葉、筆づかひなどは、人よりことになまめかしく、いたり深う見えたり。

  「なほうつつとは思ひたまへられぬ御住ひをうけたまはるも、明けぬ夜の心惑ひかとなむ。さりとも、年月隔てたまはじと、思ひやりきこえさするにも、罪深き身のみこそ、また聞こえさせむこともはるかなるべけれ。

 ほんと、そうであった、混雑しているうちに言い落としてしまった。あの伊勢の宮へもお使者があったのであった。そこからもお見舞いの使者がわざわざ尋ねて参った。並々ならぬ事柄をお書きになっていた。言葉の用い方、筆跡などは、誰よりも格別に優美で教養の深さが窺えた。

  「依然として現実のこととは存じられませぬお住まいの様を承りますと、無明長夜の闇に迷っているのかと存じられます。そうは言っても、長の年月をお送りになることはありますまいと推察申し上げますにつけても、罪障深いわが身だけは、再びお目にかかることも遠い先のことでしょう。

  うきめかる伊勢をの海人を思ひやれ

   藻塩垂るてふ須磨の浦にて

  辛く淋しい思いを致してます伊勢の人を思いやってくださいまし

   やはり涙に暮れていらっしゃるという須磨の浦から

 よろづに思ひたまへ乱るる世のありさまも、なほいかになり果つべきにか」

  と多かり。

 何事につけても思い乱れます世の中の有様も、やはりこれから先どのようになって行くのでしょうか」

  と多く書いてある。

 「伊勢島や潮干の潟に漁りても

   いふかひなきは我が身なりけり」

 「伊勢の海の干潟で貝取りしても

   何の甲斐もないのはこのわたしです」

 ものをあはれと思しけるままに、うち置きうち置き書きたまへる、白き唐の紙、四、五枚ばかりを巻き続けて、墨つきなど見所あり。

しみじみとしたお気持ちで、筆を置いては書き置いては書きなさっている、白い唐紙、四、五枚ほどを継ぎ紙に巻いて、墨の付け具合なども素晴らしい。

 「あはれに思ひきこえし人を、ひとふし憂しと思ひきこえし心あやまりに、かの御息所も思ひ倦じて別れたまひにし」と思せば、今にいとほしうかたじけなきものに思ひきこえたまふ。折からの御文、いとあはれなれば、御使さへむつましうて、二、三日据ゑさせたまひて、かしこの物語などせさせて聞こしめす。

 「もともと慕わしくお思い申し上げていた人であったが、あの一件を辛くお思い申し上げた心の行き違いから、あの御息所も情けなく思って別れて行かれたのだ」とお思いになると、今ではお気の毒に申し訳ないこととお思い申し上げていらっしゃる。折からのお手紙、たいそう胸にしみたので、お使いの者までが慕わしく思われて、二、三日逗留させなさって、あちらのお話などをさせてお聞きになる。

 若やかにけしきある侍の人なりけり。かくあはれなる御住まひなれば、かやうの人もおのづからもの遠からで、ほの見たてまつる御さま、容貌を、いみじうめでたし、と涙落しをりけり。御返り書きたまふ、言の葉、思ひやるべし。

 若々しく教養ある侍所の人なのであった。このような寂しいお住まいなので、このような使者も自然と間近にちらっと拝する御様子、容貌を、たいそう立派である、と感涙するのであった。 お返事をお書きになる、文言、想像してみるがよいであろう。

 「かく世を離るべき身と、思ひたまへましかば、同じくは慕ひきこえましものを、などなむ。つれづれと、心細きままに、

 「このように都から離れなければならない身と、分かっておりましたら、いっそのこと後をお慕い申して行けばよかったものを、などと思えます。所在のない、心淋しいままに、

  伊勢人の波の上漕ぐ小舟にも

   うきめは刈らで乗らましものを

   海人がつむなげきのなかに塩垂れて

   いつまで須磨の浦に眺めむ

  伊勢人が波の上を漕ぐ舟に一緒に乗ってお供すればよかったものを

   須磨で浮海布など刈って辛い思いをしているよりは

   海人が積み重ねる投げ木の中に涙に濡れて

   いつまで須磨の浦にさすらっていることでしょう

 聞こえさせむことの、いつともはべらぬこそ、尽きせぬ心地しはべれ」

  などぞありける。かやうに、いづこにもおぼつかなからず聞こえかはしたまふ。

 お目にかかれることが、いつの日とも分かりませんことが、尽きせず悲しく思われてなりません」

  などとあったのだった。このように、どの方ともことこまかにお手紙を書き交わしなさる。

 花散里も、悲しと思しけるままに書き集めたまへる御心々見たまふ、をかしきも目なれぬ心地して、いづれもうち見つつ慰めたまへど、もの思ひのもよほしぐさなめり。

 花散里も、悲しいとお思いになって書き集めなさったお二方の心を御覧になると、興趣あり珍しい心地もして、どちらも見ながら慰められなさるが、物思いを起こさせる種のようである。

 「荒れまさる軒のしのぶを眺めつつ

   しげくも露のかかる袖かな」

 「荒れて行く軒の忍ぶ草を眺めていると

   ひどく涙の露に濡れる袖ですこと」

 とあるを、「げに、葎よりほかの後見もなきさまにておはすらむ」と思しやりて、「長雨に築地所々崩れてなむ」と聞きたまへば、京の家司のもとに仰せつかはして、近き国々の御荘の者などもよほさせて、仕うまつるべき由のたまはす。

 とあるのを、「なるほど、八重葎より他の後見もない状態でいられるのだろう」とお思いやりになって、「長雨に築地が所々崩れて」などとお聞きになったので、京の家司のもとにご命令なさって、近くの国々の荘園の者たちを徴用させて、修理をさせるようお命じになる。



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