第二章 光る源氏の物語 夏の長雨と鬱屈の物語
4.
朧月夜尚侍参内する
本文 |
現代語訳 |
尚侍の君は、人笑へにいみじう思しくづほるるを、大臣いとかなしうしたまふ君にて、せちに、宮にも内裏にも奏したまひければ、「限りある女御、御息所にもおはせず、公ざまの宮仕へ」と思し直り、また、「かの憎かりしゆゑこそ、いかめしきことも出で来しか」。許されたまひて、参りたまふべきにつけても、なほ心に染みにし方ぞ、あはれにおぼえたまける。 |
尚侍の君は、世間体を恥じてひどく沈みこんでいられるのを、大臣がたいそうかわいがっていらっしゃる姫君なので、無理やり、大后にも帝にもお許しを奏上なさったので、「決まりのある女御や御息所でもいらっしゃらず、公的な宮仕え人」とお考え直しになり、また、「あの一件が憎く思われたゆえに、厳しい処置も出て来たのだが」と。赦されなさって、参内なさるにつけても、やはり心に深く染み込んだお方のことが、しみじみと恋しく思われなさるのであった。 |
七月になりて参りたまふ。いみじかりし御思ひの名残なれば、人のそしりもしろしめされず、例の、主上につとさぶらはせたまひて、よろづに怨み、かつはあはれに契らせたまふ。 御さま容貌もいとなまめかしうきよらなれど、思ひ出づることのみ多かる心のうちぞ、かたじけなき。御遊びのついでに、 |
七月になって参内なさる。格別であった御寵愛が今に続いているので、他人の悪口などお気になさらず、いつものようにお側にずっと伺候させあそばして、いろいろと恨み言を言い、一方では愛情深く将来をお約束あそばす。 お姿もお顔もとてもお優しく美しいのだが、思い出されることばかり多い心中こそ、恐れ多いことである。管弦の御遊の折に、 |
「その人のなきこそ、いとさうざうしけれ。いかにましてさ思ふ人多からむ。何ごとも光なき心地するかな」とのたまはせて、「院の思しのたまはせし御心を違へつるかな。罪得らむかし」 |
「あの人がいないのが、とても淋しいね。どんなに自分以上にそのように思っている人が多いことであろう。何事につけても、光のない心地がするね」と仰せになって、「院がお考えになり仰せになったお心に背いてしまったなあ。きっと罰を得るだろう」 |
とて、涙ぐませたまふに、え念じたまはず。 |
と言って、涙ぐみなさるので、涙をお堪えきれになれない。 |
「世の中こそ、あるにつけてもあぢきなきものなりけれ、と思ひ知るままに、久しく世にあらむものとなむ、さらに思はぬ。さもなりなむに、いかが思さるべき。近きほどの別れに思ひ落とされむこそ、ねたけれ。生ける世にとは、げに、よからぬ人の言ひ置きけむ」 |
「世の中は、生きていてもつまらないものだと思い知られるにつれて、長生きをしようなどとは、少しも思わない。そうなった時には、どのようにお思いになるでしょう。最近の別れよりも軽く思われるのが、悔しい。生きている日のためというのは、なるほど、つまらない人が詠み残したのであろう」 |
と、いとなつかしき御さまにて、ものをまことにあはれと思し入りてのたまはするにつけて、ほろほろとこぼれ出づれば、 |
と、とても優しい御様子で、何事も本当にしみじみとお考え入って仰せになるのにつけて、ぽろぽろと涙がこぼれ出ると、 |
「さりや。いづれに落つるにか」 |
「それごらん。誰のために流すのだろうか」 |
とのたまはす。 |
と仰せになる。 |
「今まで御子たちのなきこそ、さうざうしけれ。春宮を院ののたまはせしさまに思へど、よからぬことども出で来めれば、心苦しう」 など、世を御心のほかにまつりごちなしたまふ人びとのあるに、若き御心の、強きところなきほどにて、いとほしと思したることも多かり。 |
「今までお子様たちがいないのが、物足りないね。東宮を故院の仰せどおりに思っているが、良くない事柄が出てくるようなので、お気の毒で」 などと、治世をお心向きとは違って取り仕切る人々がいても、お若い思慮で、強いことの言えないお年頃なので、困ったことだとお思いあそばすことも多いのであった。 |