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明石

第二章 明石の君の物語 明石での新生活の物語

7. 明石の娘へ懸想文

 

本文

現代語訳

 思ふこと、かつがつ叶ひぬる心地して、涼しう思ひゐたるに、またの日の昼つ方、岡辺に御文つかはす。心恥づかしきさまなめるも、なかなか、かかるものの隈にぞ、思ひの外なることも籠もるべかめると、心づかひしたまひて、高麗の胡桃色の紙に、えならずひきつくろひて、

 願いが、まずまず叶った心地がして、すがすがしい気持ちでいると、翌日の昼頃に、岡辺の家にお手紙をおつかわしになる。奥ゆかしい方らしいのも、かえって、このような辺鄙な土地に、意外な素晴らしい人が埋もれているようだと、お気づかいなさって、高麗の胡桃色の紙に、何ともいえないくらい念入りに趣向を調えて、

 「をちこちも知らぬ雲居に眺めわび

   かすめし宿の梢をぞ訪ふ

  『思ふには』」

 「何もわからない土地にわびしい生活を送っていましたが

   お噂を耳にしてお便りを差し上げます

  『思ふには』」

 とばかりやありけむ。

  入道も、人知れず待ちきこゆとて、かの家に来ゐたりけるもしるければ、御使いとまばゆきまで酔はす。

  御返り、いと久し。内に入りてそそのかせど、娘はさらに聞かず。恥づかしげなる御文のさまに、さし出でむ手つきも、恥づかしうつつまし。人の御ほど、わが身のほど思ふに、こよなくて、心地悪しとて寄り臥しぬ。

  言ひわびて、入道ぞ書く。

 というぐらいあったのであろうか。

  入道も、こっそりとお待ち申し上げようとして、あちらの家に来ていたのも期待どおりなので、御使者をたいそうおもはゆく思うほど酔わせる。

  お返事には、たいそう時間がかかる。奥に入って催促するが、娘は一向に聞き入れない。気後れする様なお手紙の様子に、お返事を差し上げる筆跡も、恥ずかしく気後れして、相手の身分と、わが身の程を思い比べると、比較にもならない思いがして、気分が悪いといって、物に寄り伏してしまった。

  説得に困って、入道が書く。

 「いとかしこきは、田舎びてはべる袂に、つつみあまりぬるにや。さらに見たまへも、及びはべらぬかしこさになむ。さるは、

   眺むらむ同じ雲居を眺むるは

   思ひも同じ思ひなるらむ

  となむ見たまふる。いと好き好きしや」

 「とても恐れ多い仰せ言は、田舎者には、身に余るほどのことだからでございましょうか。まったく拝見させて戴くことなど、思いも及ばぬもったいなさでございます。それでも、

   物思いされながら眺めていらっしゃる空を同じく眺めていますのは

   きっと同じ気持ちだからなのでしょう

  と拝見してます。大変に色めいて恐縮でございます」

 と聞こえたり。陸奥紙に、いたう古めきたれど、書きざまよしばみたり。「げにも、好きたるかな」と、めざましう見たまふ。御使に、なべてならぬ玉裳などかづけたり。

 と申し上げた。陸奥紙に、ひどく古風な書き方だが、筆跡はしゃれていた。「なるほど、色っぽく書いたものだ」と、目を見張って御覧になる。御使者に、並々ならぬ女装束などを与えた。

 またの日、

  「宣旨書きは、見知らずなむ」とて、

 翌日、

  「代筆のお手紙を頂戴したのは、初めてです」とあって、

 「いぶせくも心にものを悩むかな

   やよやいかにと問ふ人もなみ

  『言ひがたみ』」

 「悶々として心の中で悩んでおります

   いかがですかと尋ねてくださる人もいないので

  『言ひがたみ』」

 と、このたびは、いといたうなよびたる薄様に、いとうつくしげに書きたまへり。若き人のめでざらむも、いとあまり埋れいたからむ。めでたしとは見れど、なずらひならぬ身のほどの、いみじうかひなければ、なかなか、世にあるものと、尋ね知りたまふにつけて、涙ぐまれて、さらに例の動なきを、せめて言はれて、浅からず染めたる紫の紙に、墨つき濃く薄く紛らはして、

 と、今度は、たいそうしなやかな薄様に、とても美しそうにお書きになっていた。若い女性が素晴らしいと思わなかったら、あまりに引っ込み思案というものであろう。ご立派なとは思うものの、比較にならないわが身の程が、ひどくふがいないので、かえって、自分のような女がいるということを、お知りになり訪ねてくださるにつけて、自然と涙ぐまれて、まったく例によって動こうとしないのを、責められ促されて、深く染めた紫の紙に、墨つきも濃く薄く書き紛らわして、

 「思ふらむ心のほどややよいかに

   まだ見ぬ人の聞きか悩まむ」

 「思って下さるとおっしゃいますが、その真意はいかがなものでしょうか

   まだ見たこともない方が噂だけで悩むということがあるのでしょうか」

 手のさま、書きたるさまなど、やむごとなき人にいたう劣るまじう、上衆めきたり。

  京のことおぼえて、をかしと見たまへど、うちしきりて遣はさむも、人目つつましければ、二、三日隔てつつ、つれづれなる夕暮れ、もしは、ものあはれなる曙などやうに紛らはして、折々、同じ心に見知りぬべきほど推し量りて、書き交はしたまふに、似げなからず。

  心深う思ひ上がりたるけしきも、見ではやまじと思すものから、良清が領じて言ひしけしきもめざましう、年ごろ心つけてあらむを、目の前に思ひ違へむもいとほしう思しめぐらされて、「人進み参らば、さる方にても、紛らはしてむ」と思せど、女はた、なかなかやむごとなき際の人よりも、いたう思ひ上がりて、ねたげにもてなしきこえたれば、心比べにてぞ過ぎける。

 筆跡や、出来ぐあいなど、高貴な婦人方に比べてもたいして見劣りがせず、貴婦人といった感じである。

  京の事が思い出されて、興趣深いと御覧になるが、続けざまに手紙を出すのも、人目が憚られるので、二、三日置きに、所在ない夕暮や、もしくは、しみじみとした明け方などに紛らわして、それらの時々に、同じ思いをしているにちがいない時を推量して、書き交わしなさると、不似合いではない。

  思慮深く気位高くかまえている様子も、是非とも会わないと気がすまないと、お思いになる一方で、良清がわがもの顔に言っていた様子もしゃくにさわるし、長年心にかけていただろうことを、目の前で失望させるのも気の毒にご思案されて、「相手が進んで参ったような恰好ならば、そのようなことにして、うやむやのうちに事をはこぼう」とお思いになるが、女は女で、かえって高貴な身分の方以上に、たいそう気位高くかまえていて、いまいましく思うようにお仕向け申しているので、意地の張り合いで日が過ぎて行ったのであった。

 京のことを、かく関隔たりては、いよいよおぼつかなく思ひきこえたまひて、「いかにせまし。たはぶれにくくもあるかな。忍びてや、迎へたてまつりてまし」と、思し弱る折々あれど、「さりとも、かくてやは、年を重ねむと、今さらに人悪ろきことをば」と、思し静めたり。

 京の事を、このように関よりも遠くに行った今では、ますます気がかりにお思い申し上げなさって、「どうしたものだろう。冗談でないことだ。こっそりと、お迎え申してしまおうか」と、お気弱になられる時々もあるが、「そうかといって、こうして何年も過せようかと、今さら体裁の悪いことを」と、お思い静めになった。


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