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澪標

第二章 明石の物語 明石の姫君誕生

1. 宿曜の予言と姫君誕生

 

本文

現代語訳

 まことや、「かの明石に、心苦しげなりしことはいかに」と、思し忘るる時なければ、公、私いそがしき紛れに、え思すままにも訪ひたまはざりけるを、三月朔日のほど、「このころや」と思しやるに、人知れずあはれにて、御使ありけり。とく帰り参りて、

 そうそう、「あの明石で、いたいたしい様子であったことはどうなったろうか」と、お忘れになる時もないので、公、私にわたる忙しさにまぎれ、思うようにお訪ねになれなかったのだが、三月の初めころに、「このごろだろうか」とお思いやりになると、人知れず胸が痛んで、お使いがあったのである。早く帰って参って、

 「十六日になむ。女にて、たひらかにものしたまふ」

 「十六日でした。女の子で、ご無事でございます」

 と告げきこゆ。めづらしきさまにてさへあなるを思すに、おろかならず。「などて、京に迎へて、かかることをもせさせざりけむ」と、口惜しう思さる。

 とご報告する。久々の御子誕生でしかも女の子であったのをお思いになると、喜びは一通りでない。「どうして、京に迎えて、こうした事をさせなかったのだろう」と、後悔されてならない。

 宿曜に、

  「御子三人。帝、后かならず並びて生まれたまふべし。中の劣りは、太政大臣にて位を極むべし」

 宿曜の占いで、

  「お子様は三人。帝、后がきっと揃ってお生まれになるであろう。その中の一番低い子は太政大臣となって位人臣を極めるであろう」

 と、勘へ申したりしこと、さしてかなふなめり。おほかた、上なき位に昇り、世をまつりごちたまふべきこと、さばかりかしこかりしあまたの相人どもの聞こえ集めたるを、年ごろは世のわづらはしさにみな思し消ちつるを、当帝のかく位にかなひたまひぬることを、思ひのごとうれしと思す。みづからも、「もて離れたまへる筋は、さらにあるまじきこと」と思す。

 と、勘申したことが、一つ一つ的中するようである。おおよそ、この上ない地位に昇り、政治を執り行うであろうこと、あれほど賢明であったおおぜいの相人連中がこぞって申し上げていたのを、ここ数年来は世情のやっかいさにすっかりお打ち消しになっていらしたが、今上の帝が、このように御即位なされたことを、思いの通り嬉しくお思いになる。ご自身も「及びもつかない方面は、まったくありえないことだ」とお考えになる。

 「あまたの皇子たちのなかに、すぐれてらうたきものに思したりしかど、ただ人に思しおきてける御心を思ふに、宿世遠かりけり。内裏のかくておはしますを、あらはに人の知ることならねど、相人の言むなしからず」

  と、御心のうちに思しけり。今、行く末のあらましごとを思すに、

 「大勢の親王たちの中で、特別にかわいがってくださったが、臣下にとお考えになったお心を思うと、帝位には遠い運命であったのだ。主上がこのように皇位におつきあそばしているのを、真相は誰も知ることでないが、相人の予言は、誤りでなかった」

  と、ご心中お思いになるのであった。今、これから先の予想をなさると、

 「住吉の神のしるべ、まことにかの人も世になべてならぬ宿世にて、ひがひがしき親も及びなき心をつかふにやありけむ。さるにては、かしこき筋にもなるべき人の、あやしき世界にて生まれたらむは、いとほしうかたじけなくもあるべきかな。このほど過ぐして迎へてむ」

  と思して、東の院、急ぎ造らすべきよし、もよほし仰せたまふ。

 「住吉の神のお導き、本当にあの人も世にまたとない運命で、偏屈な父親も大それた望みを抱いたのであったろうか。そういうことであれば、恐れ多い地位にもつくはずの人が、鄙びた田舎でご誕生になったようなのは、お気の毒にもまた恐れ多いことでもあるよ。いましばらくしてから迎えよう」

  とお考えになって、東の院、急いで修理せよとの旨、ご催促なさる。



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